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9月26日

E.W.サイードが亡くなったという事である。彼の著作は殆ど読んでおらず、この夏にようやく入手した『オリエンタリズム』ですら、殆ど目を通して居無いという有様である。莫迦丸出しだな、私は。
私が彼に共感を覚えるのは、恐らくパレスティナ人としての立場での発言をするからであろう。67歳という比較的若い年齢での死去も、ひょっとしたらその言動の所以かと思ったが、元々彼はいろいろと病気をもっていたというし、どうやら普通の病死らしい。
偉大な学者の死に哀悼を捧げたい。

9月25日

月曜日まではほぼ毎日バイトの予定が入っており、それ以外の時間は図書館にカンヅメとあっては、日記の更新が滞るのは致し方の無い所であろうか。
20日には京大主催の国際学会があったのだが、関西の研究者よりも関東の研究者が多くて吃驚した。発表自体は面白いものが多かったが、主題の『古代世界における物質文化、意識そして歴史的アイデンティティ』(長いな・・・)を何処まで反映したものだったか、些か微妙な所であった。取り敢えず、スーツが疲れた。肩凝った。

9月16日(内容自体は一日遅れ)

理の解らぬ奴等の戯言など、捨て置けばよい。
今は、存分に祝ってあげようじゃあないか。

我が星野仙一の壮挙を、さ・・・

9月14日(解る人にしか解らん内容だが構うもんか)

昨日は、某所での酒宴にて、友人がアイリッシュ・ウィスキーを持って来た。
通常はウィスキーはまるで駄目なのだが、このウィスキーは相当に呑み易く、ロックで杯を重ねた挙句に酩酊。吐かなかったのが不思議な程。
いや、酒が旨いと感じたのは、味付けが格別だったのか。
−酔いて砂上に臥すとも、君笑う事莫れ、
  古来、朋友との別離に酒は欠くべからざるもの也。

9月9日(欝なのか冷笑が絶える事が無い今日この頃)

史学ゼミのミーティングがあった。今日は人が少なかったし、話も盛り上がりに欠けたが。
まあそれ以外の事っていうと、中日の山田監督の解任かね。吃驚した。正気かよ。時期間違えてるだろ。
解任の理由という事であれこれ書いていたけど、どうも嘘臭い。取ってつけたような理由ばかり。こんな事じゃあ、また87年以前の暗黒時代に逆戻りしてしまうぜ。

今年は関西人のえげつなさを嫌というほど見せてもらって、相当に辟易した年でした。阪神の優勝まであと僅か、別に露骨なのは構わないが、他者への思い遣りというものが何処まで欠けているのかという事を、じっくりと観察させてもらいましょうぞ(何だこのブラックな文章は・・・)

9月7日

北大路のリサイクルショップで、パソコンラックを買ってきた。
しかし、持って帰って来るのが大変だった。北大路から下宿までゴロゴロと10分程転がして来た後、部屋に入らないから引き戸を外していたら埃が気になって、ついでに掃除をしたり、部屋の模様替えをしたり・・・未だに、処置が完全には終わっていない。それでも、以前よりは部屋がすっきりする・・・かな?未だ分からん。

9月6日

京大の南川教授の著書『海のかなたのローマ帝国』の書評会に行って来た。
個人的には、最初の学説整理の部分の読み応えが圧倒的だったから、近代西洋史の人にもっと来て欲しかったのだが、やはり古代史の人ばかりだった。まあ無理もないか。宣伝不足とか時期が悪いとか、そういった事を越えた問題だろう。
書評会は・・・南川氏オン・ステージだった。物凄い勢いで喋られる方なんだなあ。でも、話がメチャメチャ面白かった。

9月1日

注文していた新刊が、ようやく届いた。6月2日注文、8月1日発売だと、こうも待つことになるのか。いやいや、早めに注文した意味無いじゃないか。
とりあえず、分厚さに絶句。洋書の学術書で600ページって、物凄い厚み・・・

8月31日

私を玩具にしていた、友人F女史の見送りに行ってきた。これから1年ほど(下手すりゃ2年)、中国に留学するらしい。初の海外経験が中国留学とは、なかなかに英雄的である。僕には真似出来ません。

何だか、周囲から人がどんどん居なくなってしまうよなあ・・・
そろそろ、真面目に留学とか考えてみるか。金が無いけど。

8月30日

最近は平々凡々に勉強ばかりしている日が続いたが、今日は院生室の連中等と共に、サッカーをやった。
しかし、いきなり左足を挫いて、1時間以上の安静を余儀なくされた。
試合自体も、今日は不調だった。決定力を欠いていた。

8月25日(3年半の不義理)

一昨日二時、尼崎の伯母の家を訪れた。思えば2000年3月24日以来の訪問となる。
「シルクロード横断から帰って京都に居を定め直したら、真っ先に挨拶に行こう」
という思いは空回り、気が付けば昨日に至るまで、指呼の間にある街を通過することはあっても、電車を下りることは無かった。
伯母夫妻も、いとこのお兄さんお姉さん方も、元気であった。私に再会して、喜ぶよりも大笑いしていたような気もするが・・・持参した写真を見せても、本亭を紹介しても、笑いっ放し・・・というのは一部嘘か。笑いながらも、食い入るように見入っていた。すぐに帰るつもりが、結局泊めてもらい、バイトには尼崎から直接出勤という、遠距離通学の自宅生の様な事になってしまった。
喜んで貰えて良かった。

今日は、院生室の人々と、花火をやった。ロケット花火が三発ほど不発だったのが心残りだったが、まあ愉しかった。

8月20日(聖地巡礼?)

本日、府大の先輩S氏と、甲子園に行ってきた。
なにが大変かって、眠くて・・・第一試合など、かなり良い試合なのに、思い切り居眠りしてしまった。今年は一塁側内野席の傘で影になる部分に座したので快適だったのだが、これが仇になった形。
そんな中、眠気も呼吸も忘れかけたのは、第三試合の東北−平安戦。好試合などという域を越えて、息を呑むような投手戦だった。
泣くな、平安のエース服部。また、来年も甲子園に来て、ダルビッシュと投げ合えば良いじゃないか。今度は、決勝戦で。

8月15日(盆疲れ)

私は今日も疲れている。

元々、お盆にはバイト先から(何故かしら)ドッチャリと休みをふんだくっていたので、某大学図書館に篭って勉強している筈だったのである。それが、下記の通り11日は下鴨神社の古本祭り、12日は掃除、13日に旅の道連れS氏は来るわ谷底どっきゅん倶楽部のお盆の会だわで殆ど睡眠すら取らず、14日には偉大なる珍友H氏が到来したから昼間から酒を呑み、そして今日も、その流れで一日潰してしまった。単純に時間の使い方が下手だともいう。

8月11日(糺の森・納涼古本合戦)

下鴨神社で恒例の古本祭りがあったので、朝から行ってみた。10時に行ったら、既に人で一杯。
大体、見て回ったのは3時間ほど。今回は大して買って居無いなあと思って下宿で集計したら、蒼くなった。6000円ほど使っていた。嗚呼。

8月10日(6年の御無沙汰)

いま、この文章を書いている私は、たいがい、疲れている。
・・・まあ、いつも疲れているといえば疲れているが、今日はまた格別の理由である。

昨日・本日と、春日井高校3年3組の同窓会が岐阜にてあったのである。
しかし、その前日の私の顔面は、一日中、蒼白だった。台風が日本を直撃するという天気予報が、エンドレスでニュースを独占していたからである。これは無理だろうと思いながらも、同窓会当日に京都駅に来て見れば、JR東海道・山陽本線は、平常どおり運行。これは幸いとばかりに電車に乗って、集合地点の春日井駅に来て見れば、集合時間の1時間前に到着してしまい、実に一番乗り。しかも、私の次に到着したM嬢の名前を忘れるというオマケ付き。前日の夜に卒業アルバムを読んで予習しておいた意味が無い・・・私としては同窓会への参加は1回生のとき以来なのだが、聞くところに拠れば、その後にも一回集まっているらしい。しかし、どうやらその時は、私は日本に居無かったようなのである(久し振りにこのネタ使うなあ)。20人弱集合したのだが、顔や名前を忘れている人が少なからず居て、自ら絶句していた。
キャンプ無理だろうと思っていたら、出来てしまった。川遊びは無理だったけれども。これ以上書いているとキリが無いんでやめますが。それにしても、私の名前を忘れている人居無かったなあ。
「高校時代と全然変わってないじゃん」
だそうである。しかし、高校時代と顔が全然変わって居無いのは、夏季限定である。このHPのアドレスを教えた皆、このページ見てね。イメージ、かなり変わっている筈だから。

8月6日

奈良に行って来た。奈良国立博物館で開かれている、『パキスタン・ガンダーラ彫刻展/インド・マトゥラー彫刻展』を見学して来た。日本・パキスタン/日本・インド国交樹立50周年を記念しての催しということであるが、久し振りにパキスタンで見学した仏様に挨拶してくるのが目的であるのは、言うまでも無い。ペシャワールやラホールで見学した仏様が懐かしくて、ついつい図録を買ってしまった。それにしても、ラホール美術館きっての宝物、「断食する仏陀」像は、日本に持ってくることは、やはり無理だったらしい。何処にも無かった。
ついでに、興福寺と東大寺に行って来た。興福寺は初めてで、東大寺は小学校の修学旅行以来13年振りである。こちらも、懐かしさのあまり膝が砕けそうになってしまった。

8月3日

昨年に引き続き、ノートルダム女子大学で行われた中村哲医師の講演会に行って来た。今年は司会を中学生がやるなど、かなり去年とはスタイルを変えてきていた。『とくダネ』が彼の特集番組を組んでいたとは全然知らなかったが。アフガンでの(恐らくはパキスタンもそうだろうが)対日感情が徐々に悪化しているというのは、無視すべからざる情報だ。やっぱりそろそろ現地取材が必要かな。もう一度、旅行者としての視座を取り戻す為には・・・
その後、下鴨劇場の後輩たちの芝居を見てきた。新人が多い所為か、やはりまだまだ若いな、と感じた。何しろ新人たちは私よりも6歳下。遂に昭和や東欧やソ連を知らない世代が続々と入学してきたのだなあ。

8月2日

急激に暑くなってきた為、集中力が加速度的に低下してきた今日この頃。
それに輪をかけるかのように、今日は史学科院生室主催サッカーの会があった。学部生の人々もかなり参加していたが、なにぶんにも暑くてバテた。開始後一時間強で黒いシャツは塩を吹き、足はもつれ気味、そんな状態で1時半から5時半まで、やり続けた。まあ途中2試合ほど休んだけれども。バテたという割には、先回新調したばかりの靴が今日は足に馴染み、極めて動きまくった。

終了後は、四条川端某所へ。友人F女史と呑む為である。9時半過ぎまで、通い慣れた空間には私を含めて4人しか居らず、きわめて良い雰囲気であった。

近しい人々が海外へ行くのを見送る時、
「これは逆ではないか。私が見送られるべきではないのか・・・」
たまにそんなことを思う。朋友の旅立ちを見送るのは好きだが、やはり私は見送られてこそ本領発揮であるかと思う。
最初の長期旅行の思い出を未だに引き摺っているだけかもしれないけれども。

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