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12月26日(愕然)

なんという悲報であろうか。
イラン南西部バム地方で地震があり、バム市街地は壊滅状態、死者は5千人を越え、旅行者たちの人気を集めてきたバム旧市街のアルグ(城砦)も壊滅状態であるという。
今までも訪問した国が滅んだり宿泊した宿が潰れたりした事があったが、今回は格段に哀しい・・・幾多の王朝の興亡を見守ってきた、砂漠のオアシス、あの愛して止まない「死者の街」が壊滅状態だというのか。
亡くなった方たちの冥福を祈ると共に、私が宿泊したアクバル・ゲストハウスのオーナー・アクバル氏、およびその関係者各位の息災を祈りたい。

12月17日

今日は授業が午前中しか無く、私は府立大の(マスターの)同期であるM氏と共に、神戸県立博物館へと行って来た。いや京都からは遠かった。何しろ灘。で、着いてみたら恐ろしく巨大な建造物。
で、展示であるが、流石に大戸先生が感心していただけあって、よくこれだけ多くの宝物を集めてきた物だと感心してしまう。呆れるやら感心するやら・・・カーブル博物館からの出品があったのには、思わず唸ってしまった。唸る私のすぐ近くに神戸大学の毛利先生がいたけど、多分私の事知らんだろうな・・・
土産に、アレクサンドロス大王のドラクマ貨のレプリカントを購入してきた。あれ、そのまんま今のギリシアでも貨幣の意匠になっているんだよな・・・

12月15日(変な所で緊張)

昨日、京大であった古代史研究会(西洋古代史ね)の大会に行ってきた。
発表がどれも面白かったというのは誇張ではなくして事実。ギリシア3本・共和制ローマ1本・帝政期ローマ2本という比率を、近年の帝政期ローマに対する関心の高まりを反映したもの、と言っても良いものかどうか。吃驚したのは、締めの豊田教授か。真面目に聞いている時間よりも笑っている時間の方が長かったんじゃないかという位に笑ってしまった。何と見事な話術の持ち主よ・・・
懇親会は、・・・緊張した。いや、恐縮したといった方が精確かな。

明けて今日の授業では、また報告を行ったが、内容というのが下の記事の時と同じ内容であったりする。まだまだ、問題点が提起し切れていないな。もっとも、それが出来たら修論なんて半分完成したような物だが。

12月11日

昨日、演習の報告が終ってやっと一息ついている。
今回は、完全に五里霧中な状態に陥ってしまった。何をどうやれば良いのか解らなくなってしまったのである。まあ先生に有効な指摘を頂いたので、それを元にして研究を今一度組み直してみようかと考えているが、・・・久し振りに良く寝た。8時間以上寝るのは2ヶ月振りかな?まあ同級生たちの多忙には比ぶる可くも無いだろうが。

12月6日

府大史学科による学会、洛北史学会の例会が終了した。今回は私の趣味で、わざわざミキサーを借り出して大袈裟にやってみた。
それにしても、人が少ないのは残念だった。まあやむを得ぬ事情があった為だが、学部生がもう少し参加できれば良いのだがなあ・・・もっとも、他所の研究会も院生以上しか出ぬのが通例だから、異常な事態でないというのは解るのだが。場所が下手にでかいものだから、空席がどうしても目立ってしまう。来年の大会は、もう少し余裕を持って、情宣を心掛けてみる事とするか。もっとも、今回よりも大会直前の方が余裕は無いのだろうなあ・・・来年の西洋古典学会、洛北史学会大会と日がかぶったりしないだろうか?企画委員をやっているだけに、相当に心配だ。
例会の発表は面白い物が多かったと思うが、テーマに馴染みのある人があまり居無かっただろうなあ。それが些か残念である。

11月30日(Title-not-found)

間が開きましたな・・・先週の猛烈な饒筆は一体何だったんだろう・・・
それだけ過酷な週だった。大学院の企画会議での折衝とか史学ゼミでの二年ぶりの発表が襤褸襤褸だったとか。これだけ消耗しているのに自分の勉強は殆ど進んでいないので、いっそ莫迦らしくなってしまう。
今日のバイトは止めときゃ良かったかな・・・まあ溜まっていた日記が可也片付いたから良いか。それでも、未だ4日分ほど残っている。毎日書いていた3回生までの日々が懐かしい。

11月22日(汝、我が愛しきチャイよ)

インドやパキスタンでの1日は、チャイから始まった。
健康だろうと下痢で死にかけていようと、それは変わりが無い。起きたら宿の食堂や外に出るかして、チャイをすすりながら外の光景を眺めるのである。その後で外を出歩いたり、観光に出発したり、バックパックを担いだり・・・
ふと。
そんな事を思い出させてくれる物に出会った。

学祭2日目。
思いもかけず昼間の時間がフリーになり、下鴨劇場の後輩たちの芝居を見て、能楽部の発表を見た後、また別の(下劇の)後輩たちが参加している、竹原喫茶なる模擬店に足を運んだ。慣れ親しんだ大学会館2階の多目的ホールにダンボールと椅子を並べただけの簡素な物だが、お品書きを見た私は、迷いもせずにチャイを頼んでいた。もっとも、チャイという奴は曲者で、一番安い、屑茶のような物で作らないと不味いものなのだ、と旅行人の蔵前編集長が書いていたなあ、などと思いにふける私は、運ばれ来たチャイを見て目を見張った。
濃厚な牛乳の質感、かすかに浮く沈殿物、何よりもその香り。インドの、パキスタンのチャイの味と香りを実に良く知っている人が作ったものだと理解できた。
心行くまで匂いを堪能してから、一口啜る。
ああ、これだ。口腔と舌に対して遺憾なく発揮される、恐ろしいほどに我儘な存在感。牛乳でぐつぐつと茶を煮込まねば、こんなに濃い味にはならないのだ。
チャイを啜る度、心から唸る様な吠える様な声が響く。心の渇きを癒される歓喜の声か、あるいは心の飢えを呼び覚まされて泣き喚く声か。心の奥底で、鎖で縛って鍵をかけて仕舞い込んで眠らせている、もう一人の私を揺さぶり起こしかねないほどの衝撃を繰り返し与えてくれる。たった一杯の飲み物。しかし、心を震わす感慨を与えてくれる、飲み物である。
沙漠の如き私の心に、久々に染み渡る、美味いチャイであった。

11月21日(年甲斐も無く)

今日から学祭なので、授業が午前中のみ。で、午後は殆ど図書館に行っていたのだが、時折模擬店の立ち並ぶ方面に足を運んだりした。
夕刻からはギターマンドリンクラブの定期演奏会に足を運んだ。放送研究会の先輩である町田先輩が卒業してから疎遠になっていたのだが、今回は一回生の史学科の子にチケットをもらったのと、アナウンスが下劇の後輩である事が判明した為、是が非でも・・・と思ったわけである。会場に行ってみたら、懐かしい面々が並んでいたねえ。T原君とかN楽嬢とか・・・でも先輩は居無かったな・・・ちょっと寂しい。

ところで、トップページ写真を三代目の物に交代しました。特に理由は無いんですが、まあ気分転換というところでしょうか。すぐに変えるかもしれませんが。

11月19日(イスタンブールの思い出)

バイト夜勤からの帰り道、ドネルケバブを商っている店に突入してみた。久し振りに食べるケバブサンドは、パサパサとした口触りがした。店内には水煙草も置いてあり、思わず手を伸ばしかけた。まあ、この店に寄っている間に雨が降り出しましたけど。

11月16日(筋肉痛を引き摺りながら)

関西学院大学の西洋史研究会大会に足を運んできた。
スーツを着て革靴を履いてキャンパスまで上って行くのが億劫だった。
大戸先生の発表をはじめとして、かなり面白い発表が聞けたのは良かったのだが、もう少し、厚かましく振舞っても良かったような気がした。最近は、少し大人しくなり過ぎているような気がする。

11月15日

本日、元気よくサッカー。キーパーを一試合だけやってシュート決められてブルーだった。
20分一本勝負で4試合プラス、他のチームに移籍して一試合だから5試合くらいに出た勘定になるか。元気なものだ。雨降らなくて良かった。

11月14日

バイトからの帰り道、木屋町三条付近にドネルケバブを商っている店を2件ほど発見した。あれで値段が500円じゃなければ、迷う事無く買っていただろうなあ。久し振りに食いたい。

11月13日(金曜日でないのが残念だ)

一昨日、実に久方ぶりに私家版の西紅柿鶏蛋湯を作り、多少は気が晴れたのかなと思う。
今日は、修士論文の中間報告会であった。残念ながら、あまり解らなかった。難しくて・・・舞台裏を聞いてみると面白いんだけれども。
報告会の後の打ち上げが、物凄い(一部が)暴走していた。私は暴走していない、念のため。

11月9日(総選挙)

自身では初めてとなる総選挙の投票だった。何しろ前回は日本に居無かったから、投票してなかった。
もっとも、今回も危なかった。一日中バイトだったから、投票には朝の7時半に行って来たのである。
それにしても、頭を抱えた選挙ではあった。悩んだし困った。

11月4日

昨日、中日スポーツHPを見ていて以下の記事に驚いた。

「福留、五輪予選用に圧縮バット使用」
「圧縮バットは、ボールを飛ばす力が強いのでプロでは使用が禁止され・・・」

おいおい、それは嘘でしょう。
「圧縮バットはボールの反発力を増すのに大した事は無い、むしろ耐久力がある為、バットが折れにくい。投手の安全を考慮して、その使用を復活すべきである」
とは江本孟徳の『プロ野球を10倍楽しく見る方法』シリーズで、もう20年も前に、投手の側から指摘されている事である。第一、反発力が増すならば五輪予選で使用が許可されているわけは無かろう。
このシリーズではまた、
「ボールがよく飛ぶのは、球の反発力と球場の問題」
と述べられている。実際、我がナゴヤドームや、東京ドーム・福岡ドームなどでは、打球がよく飛ぶ「ラビットボール」の使用は秘密でもなんでもなく、新聞で報道されている事実ですらある。このような御時世に、未だに圧縮バットの使用がプロ野球で禁止されているとは驚いた。スポーツ記者たちの不勉強を指摘するとともに、球界関係者各位、あるいはこの落書きを見ている人たちの熟考を求めたいものである。

11月3日(ダム女では学祭だったらしいねえ、よく知らんけど)

雨の中、京大会館で行われた西洋史読書会に出席してきた。
もう参った。いや、発表は面白かったのだ。旅の知己でもあるF氏の発表など2本を聴いて、その後が大変だった。知恩寺で行われている秋の古本市の最終日に顔を出したのだが、足元がぬかるみ、雨はザクザク降り、折角の古本市も本棚の半分にシートが被せられている状態では、手も足も出ない始末。嗚呼、友人に頼まれている講談社現代新書の東洋史シリーズ、折角揃えるチャンスだったのに・・・吃驚したのはタキトゥスの『同時代史』。ちょっと目を離した隙に、さっさと無くなっていた。

夜には、TBSで9時からやっていた、ローマ関係の特番を見ていたが、30分で飽きた。というより、見るに耐えなかった。折角、出汁から作った労作の味噌汁を噴出してしまう所だった。噴飯ものとは、まさにあのような番組を指して言うものであろう。

10月27日(我らが闘将へ捧ぐ)

星野仙一監督へ。
お疲れ様でした。

10月26日

昨日参加したサッカーでは、殆ど休まなかった為かどうか、その日の内に筋肉痛になっている始末。
今日も当然筋肉痛。痛ひ。

10月23日

最近は疲れが溜まっているなあ。やはり、ここ数ヶ月来、、私家版の『西紅柿鶏蛋湯』(トマトと鶏卵のスープ。中国では極めてポピュラーな料理の一つ)を作っていないからかな。
そういう事にしておこうか。

10月22日(賽は投げられたという事にしておこうか)

大学院同期のM氏と2人で、『ガリア戦記』を読み始めた。一節の半分を読むのに1時間以上かかり、二人とも消耗しきったが、2人で良かったよ。独りだったら、到底もつまい。まあ、M氏は中世史で私はヘレニズム期中東だからガリア戦記は直接に関って来るわけでは無いが、ラテン語が要るという互いの利害が一致した為、やる事になった訳である。それにしても疲れた。

10月21日

研究室関係の仕事が、やっと一つ終った。疲れた。
単純な筈の仕事だったが、矢鱈に面倒臭くなってしまった。
単純に見える物事ほど、実は面倒くさいという事になるのかなあ。

10月14日(子供たちにオジさんといわれ傷ついた祭りの後)

昨日、豊山町の祭りが終わって京都に帰ってきた。
今年は疲れた。・・・いや、今年「も」疲れた、というべきか。お囃子をやる子供たちの取りまとめが、年々しんどくなってくる。小学生の先生は大変だろうな。N大に編入した後輩に、
「柴田さん、保父さん似合いますよ」
と言われたが、無理だなこりゃ。

祭りの時に、中学校時代の同級生に会った。
「学部時代は芝居のサークルに入ってたんだわ」
「そりゃ似合ってるな」
「音響だけど」
「役者じゃないの?それは意外だな」
皆さん、同じ事を仰るのね。

で、今日は史学ゼミ。久し振りに喋った。何処まで私の考えが皆に伝わったのか、相当に心許ない所では有るが。まあ半分も伝わっていれば御の字である。

10月10日

この日付には結構思い入れがある。以前は、豊山町の祭りもこの日に行われていたのであるから。

そんなわけで、今から帰省する。例年の如く、祭りで太鼓を叩く為である。この時期に至るまで全く練習をして居無いという状態は、今年が初めてであり、かなり不安が残るが、まあ致し方あるまい。
それにしても、前回の『ご報告』から相当に日が経ってしまった。忙しかった・・・と言ってしまって良いのかな?それは逃げのような気がして嫌なのだが。

10月2日

先程、NHKの販売員が受信料を徴収していった。
NHKのパンフレットを見ると腹が立ってくる。受信料を払わせる理由についてツラツラ書いているのだが、一言で言えば強盗の理屈である。
なんだって、NHKを見ていない人間までが受信料を払う義務があるというのだ。これだから、親方日の丸の元国営企業は駄目なんだ。

腹が立つのは風邪の所為かな。すっかり長引いてしまっている。体調が決定的に悪いわけではないのが、良いのか悪いのか・・・
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