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3月31日

今月22日に会った、旧友K嬢に、今日は大学正門で会った。用事があって来たそうだが、一度会いだすと続けざまに会う様になるものである。会ったついでに夕食を共にした。

トップページ写真を更新しました。浦江飯店3階ロビーで撮影したものです。この写真を次期トップページ写真にしようとは、旅行中から考えていた事です。ようやく、念願がかなった形です。

3月29日

偉大なる珍友H氏が、一昨日に引き続いて今日も来た。昼から、録画したいかりや長さんの追悼番組を見たり高校野球を見たりして、自堕落な事この上ない。

本日より、メールのアドレスを変更させていただきます。理由はひとつ、従来のメルアドがパンク寸前だからです。

3月28日(桜が芽を吹き始める頃に)

昼頃、友人つかちー氏が拙亭に来た。古代史研究会に出席するに際して私のジャケットを借りる為である。現在私の下宿はまた本棚がパンクしている状態なので、蔵書の話に花が咲いた。で、私は研究会にスーツで行ったのだが、私服率が矢鱈に多くてガックリきた。肩凝りに耐えた意味が無いような気がして哀しい。
終了後、府立大の桂会館へ。本日は下鴨劇場第4期生の追い出しコンパである。OBも10名弱、顔を出していた。スーツのまま呑み食いというのが、私は苦しい所である。1年ぶりに会う人も居たり、初めて話し込む人も居たりして、非常に楽しいひと時であった。

3月25日(徒然に)

尖閣諸島に、中国の活動家が上陸して逮捕されたらしい。ニュースはその報ばかり流している。
どうも気になるのだが、あの活動家と称する中国人たちは、一体どのような氏素性の人達なのだろうか。中国では、一般人民は移動が厳しく規制されている。自由に動けるのは都市に住んでいる人達だろうが、それでもボートを調達できるほどに経済的余裕を持っている人は数少ない。まあ、少なくとも大学に入るくらいの財力は持っているだろう。そして中国で大学に入る人間はハイカーストというか、エリート予備軍である。
で。
中国では、外洋に向けてボートを漕ぎ出すような奴らは難民とみなされて中国公安当局にしつこく追いまわされるのが常であろう。とすれば、彼らがボートを漕ぎ出すにあたって、政府当局は行動を黙認していたと言う事になる。ならば、彼らは政府の肝煎りであの行動に出たという事になる。どうせ、また他所から勘繰られたら困るような事をやっているんじゃあないか、と思わざるを得ない。

写真集「中華三行」、ようやく最初の4枚をアップしました。宜しければご覧になってください。

3月23日(今、春が来て君たちは)

京都府立大学の卒業式が、なぜか今年は京都コンサートホールであった。例年通り府大でやってくれればいろいろ楽なのに、全くもう。よせば良いのにスーツを着ていったら、私の知人友人は大方笑いまくっていた。
で、昼からサッカー。正気の沙汰とは思えない。

史学ゼミ第7代代表小原君、下鴨劇場4期生諸君、お疲れ様でした。君たちの顔を見ると、ついあの旅の事を思い出してしまいます。君たちが
「一発で柴田さんの事がわかりました」
と言ってくれて、私がどれだけ嬉しかった事か。どれだけホッとした事か。私の事が未だ忘れられていない、未だ風化していない、という事を君たちが教えてくれたのです。

3月22日

名古屋から帰ってきた。今回の戦利品は、下記の通り。
いずれも古本屋での購入である。

『ギリシア文化の遺産』藤縄謙三編、南窓社
『ギリシアを知る事典』周藤芳幸ほか編
『ギリシア案内記』パウサニアス、岩波文庫
『速度と政治』ポール・ヴィリリオ著、平凡社ライブラリー

一番上の『ギリシア文化の遺産』など、1年前から目をつけていた本である。いつ売れるのかと思っていたら一向に売れないので、呆れ果てて今回、遂に買ってしまった。おかげで金が無くなった。これも毎度お馴染みだな・・・

で、夜。
学部時代の友人、K嬢に会ってきた。2年ぶりくらいになるのだろうか、かなり長い事会っていなかった。話していたら、2時間くらいあっという間に経ってしまった。話が合う友人とは、時が過ぎるのもまた早い。

3月17日

明日から4日ほど帰省してくる。
暖かさが持続してくれれば良いが。

3月13日

下鴨劇場の後輩たちが中心になってやる芝居「ロッククライミング」を見てきた。昼公演だから調子はいまいちだったみたいである。公演を見るよりも見た後の雑談が主たる目的であるみたいにダラダラ長居してしまった。

中国旅行記第一弾、「イントロダクション」と「そしてまた上海へ」をアップしました。
待っていてくれた方々、ボチボチ書いていきますので気長にお待ちください。

3月10日(飲み会と歌会)

本日、史学ゼミの後輩・小原氏の追い出しコンパがあった。
最近は追い出されない人ばかりが増えているが、彼は卒業式後に実家に帰る事が決まっている。したがって、本当に「追い出し」である。
二次会までやるのは史上初のような気がする。カラオケで歌いすぎ。後輩たちが面白がって写真を撮っていた。
卒業式では「意表を突く」格好をしていくことを約束したので、・・・まあ彼以下の卒業生諸氏には、期待していただく事としよう。
帰宅後に、このHPを見ていたら驚いた。1年前に作ったページをアップしていなかった。
阿呆である。

とりあえず、私が、帰国後に買った本を2冊。
『旅行記でめぐる世界』前川健一著、文春新書
『東方見便録』斎藤正喜・内藤旬子、文春文庫

これは面白い。特に前川さんの本は珠玉の名品。戦後日本の旅行記の一品を網羅した書評集。しかしこの本は恐らく前川さんにしか書けない。副産物は、持病の海外逃亡癖の発祥を抑えなければならない事。これは結構、難事業である。

3月4日(ようやくPC復活)

ふう、やれやれ。ようやく、更新が出来る状態になった。
3月1日、ビデオキャプチャのインストール失敗に始まった一連のマイPC問題が、やっと一段落した。まだIE6が完全にインストール出来ていないという大問題が残っているけれども、ともかくもワードで原稿を打ったりという事は出来る状態にまで持ってくる事が出来た。
後遺症は、・・・せっかくダウンロードしまくった各種写真のデータがすべて飛んだ事。特に庄司君に借りてスキャンしまくったイラク写真と、星野仙一の胴上げ写真が無くなったのは痛恨の極みである。正直、阪神が優勝しようとどうなろうと知った事では無いが、仙さんの胴上げとビールかけの写真だけは保存しておきたかった。どなたか、心ある方は小生に哀れみをかけて下さい。
とりあえず今日は酒でも呑みに行くか。すでに予約は入っている事であるし。

2月27日

トップページ写真を更新しました。
新写真は、西安郊外の絲稠之道群彫の前で撮影したものです。また更新する可能性は大なんですが・・・
現在「シルクロード」幻想を最大限に活用しているのはお隣中国でしょう。それを具現化したものが、この群彫です。ただのコンクリのハリボテなのに、ついつい見に行ってしまう。しかし西安3度目にして、行ったのは今回が初めてであります。

2月24日(酒とはもう少し良い付き合い方をしたい)

頭が痛い。二日酔いである。
昨日は杉山先生・谷口先生の「謝恩会」(良いのかこのタイトルで・・・)であった。なんで幹事やっているのが私なんだ・・・久し振りに自分のペースをわきまえずに呑んでしまった。
しかし気分的には今晩も呑めそうな気がする。ただし独りで。もしくは、本当に気心の知れた相手とだけ。
呑み屋が大学近辺に一軒しかないという状況は、実は楽だったんだなあ・・・近場から離れた呑み屋での会を設定して、初めて実感した。顔色を失い続けた帰国後3日間であった。

2月20日(旅に帰り、そしてまた旅から帰り)

中国2週間の旅から帰ってきた。
時間が足りないことは最初から解っていたが、当初想定していた西安〜大理という旅程は2日目に北京行きの切符を取ってしまった事で何処か別の世界に行ってしまった。結局、私の原点ともいうべき「中国のゴールデン・トライアングル」、即ち上海〜北京〜西安を繋ぐルートになってしまった。
本当に多くの事に驚いてきた。中国から距離をおいてきた4年の歳月の長さを、今更のように実感した。浦島太郎の気分であった。旅行記を書く筈であるので暫しお待ちを。

今の気分を一言で言うと、

「本当に久し振りに素っ裸になってきた」

という所だろうか。日本で積もり積もってきた心の澱を、旅に帰り、中国の排気ガスと砂埃と人民のエネルギーに塗れる事で綺麗さっぱりと拭い落としてきた気分である。

2月5日(訪中前日)

・・・遂に訪中の前日です。
未だレポート完成してないけど、何とか完成させて行きます。

2月2日

無理やり時間を作って、大阪歴史博物館へ行ってきた。同館で開催されている、「トルコ三大文明展」を見学するためである。とりあえず驚いたのは、人の多さ。とてもじゃないが、平日とは到底思えない。昨日などは、さらに人が多かったらしい。さもありなん。
それで展示品だが、良くこれだけの物を持って来たものだと感心した。流石にイスタンブール考古博物館最高の至宝「アレクサンドロスの石棺」やアナドル文明博物館の至宝・ハットゥシャシュ城門の神像などは無かったが、それでも宝の中の宝をどっさり持ってきていた。

1月30日(ひとまずは修羅場を終えて)

昨日は修士論文の構想報告があった。
それに至るまでに月曜日と水曜日に予備報告があって、それをもとにレジュメを一から打ち直していたら半分徹夜状態。レジュメを打ち終えたのが構想報告開始20分前。泥縄なぞというものではない。へろへろを通り越して、完全に壊れ切っていた。しかも同時進行で史学科の院生の一部で行う呑み会の幹事の仕事(やるのは旅行後だけどそれまでに話を取りまとめなければならないから)をこなさねばならず、関係各位には迷惑を掛け捲ってしまった。相変わらず成長がみられない報告を辛抱強く聞いてくださっている大戸先生と伸先生には感謝しきりである。
とりあえずSIBAに行ってリフレッシュしてきたが、今日はまた別口の原稿を仕上げなければならない。・・・つくづく救いようが無いが、まあ何とかなるだろう、多分、きっと・・・

上記の記事は午前中に書いたものだが、あのあと必死で原稿を2時くらいに書き上げた。何とか締切時間に間に合って良かった。さあ後は旅行だ旅行!

1月22日

朝、洗濯をしたら、タオルが凍り付いてしまった。なんという寒さだ・・・日中も厳寒、洒落になっていない・・・

1月21日

床屋に行って、髪を切ってもらうついでに髭を整えてもらった。どれくらいの長さにするのか考えるのが面倒臭かったので、バリカンで1.2cmの長さにそろえて貰った。そうしたら、髭を撫でるというお気に入りのポーズが出来なくなってしまった。まあいい、髪型も髭型も見苦しくなくなった事だし、中国に行っている間に伸びるだろう。

1月18日(旅からどれだけ遠ざかっている事やら)

下鴨劇場第四期生の卒業公演「夜曲〜放火魔ツトムの優しい夜〜」を見てきた。谷底どっきゅん倶楽部のメンバーが大挙して押しかける事となった。私が行方不明になっていた年に入った人達の卒業公演である。それから何年経ったことやら・・・思わず、歳を指折り数えてしまった。変わらないのは、何時の間にやらバラし作業に動員されてしまったことか。

1月16日

専門の研究に必要な本のコピーを、首尾良く取る事が出来た。重畳。

1月15日

ようやく、プリンターが復旧した。どうも、USBケーブルとの相性が悪くなったらしい。パラレルケーブルに替えたら、あっさり動いてくれた。ああ、しんどかった。

1月12日

バイトが終わってから、京都文化博物館に行ってきた。特別展「アンコール・ワット拓本展」を見学してきたのである。こんな企画は上智大学の十八番だろうと思っていたら、案の定、ほとんど上智・石澤教授のチームの仕事だった。一言で言うと、その情熱に脱帽。
夜、谷底どっきゅん倶楽部の・・・新年会かな。谷底会は12月30日にやっているらしいから。於、梅田。新年からこのかた、いろいろとトラブル続きだったけど、今日の会で笑いまくって、仕切り直しと行きたい所だ。

1月7日(佳き事も悪しき事もごちゃ混ぜな新春)

実家で餅つきや子供たちの世話に明け暮れた年末年始から、4日に帰ってまいりました。それ以外の時間は何やっていたかっていうと、テレビを見るか南川先生の本を読んでいたなあ。本当にそれ以外のことは一切やっていない。
そんなわけで今日の昼頃、やっと初稿が書き終わった南川先生の『海のかなたのローマ帝国』紹介をプリントアウトしようとした際の事。いくらやってもプリンターが動いてくれない。どないなっとるんじゃ。
そんなトラブルもあったが、今日、2月の訪中日程が決定した。三条河原町のエイチアイエスで航空券を予約してきた。訪問を見合わせてきた4年間の間に、彼の国が如何に変容を遂げたのであろうか。楽しみと同時に身震いする。何しろ、2年ぶりの海外である。
「旅に帰りたい」
などと泣き言を言っていたが、本当に帰ってきます。2週間だけど。
とりあえず現在の課題は、年末途中放棄した大掃除の続きをやるかやらないか決定することである。

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