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9月28日

ある友人から、
「近鉄バファローズが無くなった今、もうプロ野球を見る気は失せた」
と、掲示板に書き込みがあった。行間から血と涙が溢れ出てくるような述懐に、私は落涙する一歩手前であった。彼の心中は、察するしかない。近鉄は・・・関西に押し潰されたな・・・結構好きな球団だっただけに(オリックス好きはイチロー選手がメジャーに行って仰木監督が勇退した2001年に止めた)、かなり無念だ・・・

こんな年に限って、我が中日ドラゴンズは強いのである。今年は球界再編の煽りを喰ってか、優勝ムードも湿りがちだという。
だが、こんな年だからこそ大騒ぎする意味があるのだ。
アテネ五輪の野球日本代表が、まるで今年の虚塵みたいに無策を極めた野球をやって思わぬ惨敗を喫した年に、本塁打数が今年最下位の球団(最終的には11位くらいになるのかな?)が優勝するのだ。こんな痛快な事があるから、野球を見るのを止められないのだ。まあ、日テレの中日−虚塵戦は観るに耐えなくて1分でチャンネル変えてばかりだったけど。
野球の醍醐味はホームランでは無い、とかつてタイ・カッブが言ったらしい。それを、今年の中日は見せ付けてくれたじゃあないか。
「空気を読め」
等という、全国紙を標榜する各紙の罵詈雑言は、聞き飽きた。もうたくさんだ。そんなものは、本当の「国民の声」などではない。我が中日は、東海地方のローカルな地方球団、田舎球団で結構。だから今までやってこれたんだ。これからもそうであり続ける事を願って、今こそ、我らがチームを応援しようじゃあないか、大きく胸を張って誇らかに叫ぼうじゃあないか、中日ファンたちよ。

「スポーツマスコミが書き立てる『空気』など読めなくて結構だ!優勝万歳!中日ドラゴンズ万歳!」

未だ気が早いか。明日は違う事を書こう。
この事に気を取られているから、ギリシア語を読むスピードが全然上がらないんだな・・・

9月24日

修正するのを忘れていたが、下方9月8日分「消息」中の野球協約に関する記事、実は加盟料の条項は1991年追加のものであった。それを通したのが坂井・元西武およびダイエー球団代表ってのは驚いた・・・しかし、
「あれは時限立法だった」
との当人の弁を聞いて納得した。それを長い間放置して、挙句が球界改悪の決定的ツールになっていたのは、NPBの体質の救い難さを象徴している。
明日は我が身、と思わねばならないんだろう。

9月22日

バイト帰りにソフマップに行ってノートPCを見ていたら帰宅がすっかり遅くなってしまった。そろそろ、必要になってきそうである。

で、髭を剃ってみたら涼しい。自分の顎のラインを見るのは2ヶ月ぶりである。

9月19日

友人が帰った後、四条烏丸某所でやっていた友人・中村健の出演する、ワンダリング・パーティー公演を観てきた。狭い客席に、来ていた後輩たちと一緒に座る。簡易製本用に購入した角材を持ったまま突入したから、後輩たちは
「この人一体何なの?」
と思ったであろうなあ・・・その話をしたら、京大在学中の後輩が
「京大の本部地下生協に簡易製本スタンドがありますよ」
と教えてくれた。それならこんなに手間のかかるもの買う必要、ひょっとして無かったの?
今回は、熱海殺人事件縮小バージョン。狭いステージで大丈夫かな、と思っていたらやっぱり狭かったみたい。おもろかったけど、脚本の都合の所為か、一部問題が残ったままであった。まあ単純に、男と男が熱海の浜辺で肩寄せあって海を見ているというシチュエーションに耐えられなかっただけだろうけれどもね・・・

NHKは、今回のプロ野球スト、王手をかけ損ねたな・・・サンデースポーツに星野の仙ちゃんを呼んで言いたい放題言わせる、というシチュエーションを望んでいたのだが。その意味では、坂井・二宮・野村らを呼んでいた田原総一郎のサンデー・プロジェクトの方が、はるかに面白かった(最後の10分しか見ていないのが痛恨の極みだが)。ただし、オーナーサイドの出演者が伊藤修というのだけは、いただけない。新規参入支持の中日の関係者であるから、はっきりいって
「サンドバッグ」
としての意味が全く無かった。
今回、「合併・1リーグ制反対」と「スト支持」は、必ずしも同義ではなかったが、今回の騒動で殆ど同義に近い状態になってしまった。この二つが本来は別々のものであることを再認識しつつ、私は選手会のストを支持するものである。
それにしても、先週のスト回避が、プレーオフ進出の可能性をかけたロッテと日本ハムの両球団の直接対決に配慮したものだとは思わなかったなあ。考えてみれば、両リーグとも1位通過チームなんて絶対に動かないもんなあ(セリーグの場合、1位=優勝であるのは言うまでも無く)。それよりもパのプレーオフ争いの方が、確かに重要ではある。
取り敢えず、コピペになるが、今週末の動きを総合するとこういうことになりそうだ。

中日・阪神・横浜・広島・・・新規参入支持
ヤクルト       ・・・新規参入支持したいけど古田の立場に配慮して中立
ダイエー・日ハム  ・・・新規参入支持したいけど他のパリーグ球団に配慮して中立
西武・ロッテ     ・・・実は日和見
虚塵・オリ近     ・・・新規参入に絶対反対なのは実はここだけ

で、来シーズンから新規参入チームを加えるとして、恐らく交流試合を実施しても、昨年までとは違って盛り上がるだろうなあ。

ところで、日経に話が出ていたけど、辞める根来コミッショナー、次は日本消費者機構とかいうところの会長に就任するらしいな。肩書きを見たら、
「前公正取引委員会委員長」
になっていた。どこの新聞も突っ込んでいないけど、それで良いのか?やるなあ日経・・・

9月18日

今日は、うちの大学で推薦入試があったらしい。面接試験があった教室、あの整頓状況で大丈夫だったんかいな、と少し不安になってしまう。私が13日に掃除したけどね・・・

昨日のスト決行から一夜明け、新聞各紙をみてみる。全体として、スト支持が圧倒的に多い。特に、地方紙の方が、過激な論調になっている。見ていて楽しい。

9月17日

本日夕刻、友人そーちょーが再び上洛して来た。取り敢えず二人ともTVをつけてそれに見入る。そしてプロ野球ストの報に、思わず興奮する。

古田を讃えよ!

それにしてもTBSの筑紫哲也ニュース23には失望を通り越して呆れ果てた。何故、名古屋での街頭インタヴューではスト反対の人間のコメントしか流さない?これでまた、同番組への信用度が減った。反省しろ。だいいち、今回の労使交渉では、中日は最終的に選手会寄りの姿勢を示したのだ。その事実を前にして、釈明をしてみろというのだ。しないだろうなあ、これだから日本のマスコミは駄目なんだ。
あれよりは古田出演のすぽるとでの電話アンケートの方が、はるかに信用度・公平度という点で勝るではないか。それにしても、スト支持97%か。驚くべき数字だな。

9月15日

今日は3限に授業があったのだが、誰も来やしない。それでも、カップラーメンを啜ったり演習室内に置いてあった某先生の卒論を拝読したりしていたら、先生だけは来た。それじゃ授業にならないから、休講になった。そのついでに先生の研究室からフランス語の雑誌を移動したけれどもね。

9月14日

ある人と、球界再編問題について泥沼な激論をやった。中日は優勝をタテに取られて身動きが取れない、という話をしたら、
「所詮中日はへたれだ」
といわれて、そう思わないではないが(少なくとも経営陣についてはそうだ)、
「優勝パレードを没にされた事がないからそんな事がいえるんですよ」
とムキにならざるを得なかった。

冷静になって振り返ってみると、また違う思考が沸いてくる。
中日ファンは、悪口を言われる事にベラボウに慣れている。地元にいると全然聞こえてこないが、例えば私のように外に出ていると、そういった悪意の混じった報道が実に良く聞こえてくる。99年に優勝した時も、02年に福留が松井を降して首位打者を獲った時も、
「日本国民の総意」
なる声にウンザリさせられたものだ。
それが今年は、球界再編というかつて無い事態である。しかもここに来て、読売とサンケイが渡りに船と乗って、
「ストをすれば今期の優勝は無効」(読売社長)
というコメントと、
「ここまで来たら部分ストなどといわず全面ストをすべし」(サンケイ)
と発言した。虚塵の惨敗から目をそらす隠れ蓑として球界再編を使用し、あまつさえシーズン継続に拘らざるを得ない中日に悪者のイメージを全部背負わせよう、という下手糞な台本である。これに、12球団・2リーグ制支持のファンが(心ならずも)乗せられてしまっている。サンケイの記事が一見マトモに見えるし、中日に悪者のイメージを背負わせるこの国のプロ野球報道に慣れている人が多いから、なおさら乗せられてしまう人が多いだろう。
さらに、これにオリックスの思惑もある。ここまでファンの憎悪を買ってしまったら、オリックスは来年、球団経営が壊滅するだろう(既に来期構想は急速に崩壊していっている)。そこで窮余の策として、また球団合併をせざるを得ない、それに際してオリックスはもはや球団を手放さなければならない、という状況を作り出す。そうなればパリーグは10球団となり、1リーグ制に何の障害も無くなる。そしてオリックスは球団経営から解放される、馬鹿を見るのは選手とファンと日本プロ野球機構、そしてオリ・近合併に及び腰の姿勢を余儀なくされた中日が余計な憎悪を買う・・・
この筋書きは考えすぎかな。
ただ、また中日がワリを食う、という構造が出現していることだけは間違いない。こんな事を続けていたら、私もプロ野球ファンを辞めたくなってくる・・・中日ファンはやめないけど。

それにしても。
O型人間って、損する事が多いですねえ・・・

9月13日

金曜日から今朝にかけて、一年間ドイツに滞在していたそーちょーが、拙宅に滞在していた。土曜日には、つかちー氏も加えた三人で、再会と他のある件の二件を祝して四条川端で杯を交わした。前々から的確にして辛辣なコメントを出す人間だったが、ドイツでの一年の滞在でますます辛口に磨きがかかってきた。
顔をあわせている間はエンドレスで雑談を展開していたが、出た結論は
「お互い、日本とはソリが合わんなあ」
というところであろうか。

気になったのは、彼がイスタンブールで泊まった宿、ツリーオブライフの事。ガラタホステルが滅んだ今、コンヤペンションと並んでイスタンの日本人溜まり場であるが、ここがイマイチ好きになれなかった、というのである。これは、彼が日本人の溜まり場宿が性に合わんということなのか、あるいは日本人旅行者の質が変化した為なのか・・・もし後者の所為であるならば、私ももう日本人宿を渡り歩く、という旅行のスタイルは出来ないかも知れんなあ。

9月9日

前日に引き続き、プロ野球スト関係の話を。

サンケイスポーツが、
「ここまできたら、土日限定ストといわずに完全ストをやるべきだ」
との記事を出していた。思わず冷笑が浮かんだ。ああ、ヤッパリ来たな、と思った。
賛成ではない。ふざけるな、と言いたいのだ。
この発言を言うのが近鉄・磯部選手会長だったら、何の疑問も裏を読む必要性も無い。彼の立場では、至極当然の見解だ。しかし、サンケイはオールスターの時期に
「古田 スト回避を決意」
などというガセ記事を平然と出すなど、その記事の不正確さには定評がある。今回は、
「もしストをやるなら優勝は無効だ」
という虚塵球団社長の発言とリンクしている事がミエミエなのである。ところで、土日ストならば実施される試合はトータル134試合となり、ペナント・レースを成立させるのに何の支障も無いだろう。つまり、虚塵社長の発言は今年の虚塵の敗戦宣言なのであり、それをカモフラージュするのにストは格好の隠れ蓑、という訳だ。もちろん、こんな強引な屁理屈は少し考えれば誰にでもウソだとバレるほど稚拙なものであり、この虚塵社長の発言を実態として補足・強化させるのが、上記サンケイの記事である、と解釈する事が出来るのである(サンケイ・夕刊フジの記事が虚塵ベッタリであるのは、一週間ばかり両紙の記事を見てればすぐにわかる)。

無論の事、これを「穿ち過ぎだ」とか「被害妄想も甚だしい」などと思う向きもあるかもしれない。しかし、これに対しては次の一言を以って答えたい。
一度で良い、少数派の立場というものを理解した上でモノを言ってくれ、と。
海外で旅行者として、そしていま関西では中日ファンとして、圧倒的な少数派としての立場に立ち続けて来た。海外に出て、日本しか知らぬ人達のナショナリズム論議が如何に浅薄か、身をもって痛感してきた。中日が東海以外で如何に低く見られているかも痛感してきた。そうした中で、自己のアイデンティティというものと常に向き合ってきたつもりだ。
自己弁護の必要性に晒されてこなかった人からの意見は、聞くに値しないケースが非常に多い。その事を、ここ数年、より強く確信して来ている。

ついでに一言、言っておきます。
僕はスト賛成派なんで。そこのところ、勘違いしないでください。

9月8日

プロ野球オーナー会議での結論が出た。
そんなにストをやらせたいのか?プロ野球ファンの圧倒的多数を敵に回して?

球界再編をめぐる一連の報道の中で、とてつもなく不満である事がある。
ライブドアの加入をめぐるやり取りがあちこちで取り上げられたが、
「球団買収には30億円、新球団加盟には60億円を支払え」
という理不尽にして閉鎖的な条文がいつ追加されたのか、どこも報道していないのだ。あれが2002年に追加された条項であると、一体何人が知っているのだろう。その条項がある所為で、近鉄は球団を売却することが出来ずに、かといって再建のための策はことごとく潰されて、残る手段は球団合併しかなかった、という訳だ。1リーグ制への片棒を担がされた近鉄には同情を禁じ得ない。と同時に、こんな基本的な事実についての検討すらできない日本のスポーツ・マスコミもまた、まったく駄目だということを証明している。
しかし、近鉄に関して、一言だけ言う。近鉄の現経営陣と、阪神のみに声援を送りつづけて近鉄を虐待しつづけた大阪の「阪神ファン」は、全員、故・佐伯勇オーナーの墓前に行って土下座して、今の事態を招いてしまった己が短慮と浅薄さを謝罪して来い。

近鉄バファローズは、大阪とプロ野球機構に寄って集っていびられた挙句に(2001年に優勝パレードが許されなかったという事実は、どれだけあのチームが虐待されていたかという事の証左だと思う)、窮し果てて潰えて行くのだと私の目には映る。今回の球界騒動の先陣を切って混乱を起こしたと批判される事も多いが、私は近鉄を批判する資格を持ち合わせている「プロ野球ファン」など存在しないのではないかと思っている。

そして無論の事、オリックスには同情の欠片も無い。イチロー選手・田口・長谷川・木田と、綺羅星の如き人材をメジャーに出しておいて、合併を以ってチームの再編を行おうとしている。どうせ来年も、成績も観客動員数も最下位だろう。あのチームには、かつてあった魅力など消え失せ潰え切ってしまっている。いびつな球団合併の為にかえってチームの人気が落ち、求心力も落ち、成績も落ちるという事が見えないのだとしたら、終わっている。
いや、もう、終わっているか・・・

9月7日

また台風である。今年は台風の当たり年だなぁ、なんて太平楽を言っている気にもならない。こんなんでは、今年の稲の具合がまた気になって仕方が無い。既に林檎や梨などにはかなりの被害が出ている様子である。
しかも浅間山が噴火したと思ったら、今度は地震だ。まああれも一昨日か。揺れが来た時は大学の研究室にいたが、一緒にいた奴と二人して
「本震来るんじゃないか」
と顔を見合わせてしまった。震源は和歌山県沖合だそうだが、これが波及して京都の断層に影響を与えたら、東海地震が誘発されてしまうんじゃないか。そうしたら富士山が噴火して・・・考えれば考えるほど、ぞっとする。

9月4日

今日は、府大でサッカーに参加してきた。ここ数回は(おもにPCの都合で)ドタキャンを繰り返してきたが、今日は何の問題もなく参加できた。天候も雨寸前、というよりもたまに良い具合の小雨が降って、暑くもなく涼しすぎもせず、丁度良い感じの気候であった。
ただまあ、脚が痛い・・・ついでに、途中で腰にきた。

9月1日

今日、府大の前学長・井口先生の退庁式があった。
学長としての激務と心労の所為か、すっかりお歳を召されたと、つくづく思う。
お疲れ様でした。

8月31日

アテネ五輪が終わった。ここ2〜3日はあまり見ていなかったが、それまでが大変だった。毎日ほぼテレビをつけっぱなしで、オリンピックと高校野球を見まくっていた。どちらも見応えあったからなあ・・・まあ、PCの復旧作業で頭に血が上っていたから、それを鎮める為という効果もありましたねえ。
幾多の名言を聞いたが、一番舌を巻いたのが、卓球・福原愛選手の言葉。「卓球をやめたいと思ったこと、何度もあるんじゃないんですか?」との質問に、
「でも、やめる勇気はなかったですね」
との回答。思わず唸ってしまった。ほんとにこの娘は15歳か?既にして自分の言葉を持っている。これほどの優れた個性を持った選手であるが、今回はベスト16で終わって、かえって良かったと私は思う。五輪のようなビッグゲームで良すぎる成績を若すぎる年齢で挙げると、その実績に潰されかねない。まずまず満足できる結果だったし、今はこれくらいで充分だろう。今後の活躍に期待したい。

8月30日

谷底どっきゅん倶楽部のメンバーが集まっての会食会が、本日7時より蹴上のウェスティン都ホテルであった。実にお洒落な所で最初は居心地が悪くて悪くて仕方がなかったが、そのうち飯を食うこととお喋りに精力を傾注するようになったから、そんな事はどうでも良くなった。今日は来なかったメンバーの一人がそろそろ結婚するから、その話で持ちきり。それにしても、時期的に行けるかな・・・とてもではないが一流ホテルに集まるべきではない(爆)面子の莫迦トークに、また力を貰った。

8月29日

天与、我が杯をとらせたまへ。

8月26日

ここ10日間ほどは、PCのOS変更に伴うシステム不良で大混乱していた。
いや、実は未だ、混乱の真っ只中にいるのである。
取りあえず、ホームページビルダーをインストールする所までは行ったが、今度はインターネットが繋がらない・・・参った。明日の朝には、回復していると信じたい。
今日も、PCのおかげで睡眠不足だ。ちくしょう・・・
一応下に、これまでの亭主消息をまとめて記す。
(一応段差がつけてあります。全画面表示でご覧ください)

8月26日

昨日分の亭主消息を書かないのは、書く必要が無いというか今日や一昨日とほぼ同様に、PCシステムの回復に忙殺されていたからであります。
いやもうシンドイ・・・しかも、勉強に手が回らないのが一番痛い。

8月24日

今日は谷底どっきゅん倶楽部の後輩・ナカノ実験室に応援を頼む。しかし彼にはどちらかというとウインドウズのサービスパックのCD作成などの補助的な役回りを頼んで府大の研究室と拙亭との間を走り回ってもらう。そのおかげか、何とか見れる状態にはなった。

夜、そのナカノ実験室と一緒に昔住んでいた茶山のあたりの飯屋で飯を食いながらアテネ五輪の野球準決勝、日本対豪州戦を見る。結果は日本の完封負けである。
残念だが、少し冷静に考えてみると、今日の結果は、予選で抱いた危惧がそのまま当たってしまっただけ、という風に思えてきた。アジア予選では、本塁打を一本も打たずに繋ぎに徹して大量得点を挙げてきたのに、アテネ本戦では本塁打を量産する一方で緻密な野球はほとんど見られず、打線の繋がりが殆ど観られなかった。
何処かで見たような野球をやっているなあ、と思っていたら、まるで今年の虚塵みたいだと思い当たった。ベンチが無策で無能である為、選手たちがバラバラにまとまりも無いままに動くしかない、そうなるとホームランを打つしか点が入らない訳である。全然ホームランを打たない中日に、水を開けられている筈だ。
出来れば、次も負けてしまえば良い。その方が、球界関係者も目が覚めるだろう。今のままのシステムを引きずっているままでは、どんどん日本のプロ野球は駄目になっていくだけなのだと。
無論の事、今のシステムを変えるとは1リーグ制にしろという事ではない。読売偏重を改める事こそが肝要なのである。読売一極集中という日本プロ野球界の救い難い体質が、今オリンピックでの惨敗を呼んだという事に、気づくべきである。

8月22日

今日は大学院の先輩にあたるK.T.氏に来てもらって、PCの具合を見てもらう。しかし、手におえないと匙を投げられた。しかも夕刻には雨も降るし、踏んだりけったりじゃ。
これのおかげで、甲子園の決勝戦を見損ねた。近年まれに見る好試合が連続した今夏の決勝戦は、北海道代表の駒大苫小牧が壮絶な打ち合いを制した。嗚呼、観たかった・・・

8月19日

今年も、毎年恒例の夏の甲子園観戦ツアーを、府大の先輩である白川氏、および自主ゼミ「史学ゼミ」後輩のK氏とともに敢行する。今日は準々決勝第一日目、第一試合は中京大中京vs済美だったから、まるで中日戦を観戦しているかのように燃えまくって中京を応援していた。エース小椋の奮投も空しく、中京は拙い攻めが祟って済美にサヨナラ負けを喫した。途中、雨で2回ほど中断したのも災いしたのだろう・・・これで、愛知県勢は春の東邦・愛工大名電に続いて、済美・上甲監督の手品にしてやられた格好になる、か・・・
しかし、泣かずとも良い。胸を張って堂々と、愛知に凱旋して来れば良いのだ。誰が、敢闘した貴君たちを責めるものかよ。

8月18日

昨日・今日と、尼崎の伯母さんの所に遊びに行った。昨日は淡路島まで連れて行ってもらったのだが、これがとてつもない豪雨。温泉に行ったのだが、露天風呂から見える淡路海峡大橋が、雨の所為でしばしば見えなくなりやがる。おいおい。また雨男を全開にしてしまったよ。

8月16日

昨日、睡眠不足にもかかわらず3時まで呑んでいた影響で、頭がガンガンする・・・
それでも何とか起きだして、下鴨納涼古本祭りの最終日に顔を出してみるが、途中で珍友H氏の拙亭襲撃のため、帰宅する。私のパソコンのOSを、今までのウインドウズMEではなくて2000にしてもらおうとしたのだが、がんがんフリーズしまくる状態になってしまう。どないせいっちゅうんじゃ・・・

8月11日

本日より下鴨神社にて、毎夏恒例の納涼古本祭りが始まった。11時より糺の森に突入して、ひと通り見終わったのが3時近く、もう空腹で大変だった。今日は散財の仕方も大人しいな、未だ・・・2年ぶりに会う知人とか色々居て面白かった。
その後に百万遍の松屋に行ったのだが、カレーを注文して思わずスプーンを放り投げて手で食う寸前まで行くも、辛うじて自制。いやあ、匂いとカレールウの具合と、ついでに疲労の所為ですけど。

今日から包丁を新調したのだが、新たな発見があった。包丁って、あんなにも切れ味鋭いもんなんですね。今まで使っていた包丁がボロボロだったり切れ味悪いやつだったりしてたもんだから、全然知らなかった。

8月8日

「ご報告」を、「亭主消息」に改めます。
理由ですか?気分です。こっちの方が、雰囲気出やすいんで。

土・日と、後輩ナカノ実験室の出る「世界で一番透明な色」と、下鴨劇場夏公演「サンタ禁止令」を見てきた。前者はここ1〜2年会っていない知り合いが何人か来ていて同窓会みたいな雰囲気になっちまった。後者は、会場に空調が入っていたのに驚いた。よくまあ、府大の夏の休日にクーラーなんて入れて貰えたもんだ。感心した。未だ未だ発展途上だが、なあに気にする事ァ無い。これから練度は上がっていくんだから。

8月7日(書評 岩本悠著『流学日記』)

共にすごした時間のトータルとしては少ないか知れぬが、思い入れ深いルートの幾つかをを共に歩いた旅仲間のひとりとして、読後の感想を書かせて貰おう。

まずは、旅をしていた時の思い出から。
「旅」にどっぷり浸かってしまっていた私にとって、各地のNGOなどを精力的に訪問してまわり、観光名所には目もくれず、かといってピラミッド盗頂は単独で成功させてしまう本書の著者である著者・悠君には、かなり新鮮さというか、面食らった事を良く覚えている。
そんな彼が旅行記を書いたというので読んでみた。・・・いや実は、本の形で世に問われる前に、彼の原稿はメルマガみたいな感じで私のところにはちょくちょく来ていたから、内容は大体知っていたのだが。

通常−とくにここ数年の紀行文には、その傾向が顕著なように思われるのだが−、旅行記を書く人にとって真っ先に重要なことは
「ある場所に行った」
ことであり、その次に
「そこでこんな事を感じた」
と来る。だから、筆者の内面の想いは重要性において二の次、三の次になってしまい、見え難くなってしまう事が多い。
しかし、海外を旅する人たちは、こと内面の思索においては、日本に居る時よりも遥かに深い。基本的にずっと独りで異文化と向き合わねばならないのだから、それは当然だろう。
しかも海外を長く旅していると、結構暇な時間が出来てくる。特に、アジアを旅しているとそうだ。
それに、旅人たちも、絶えず移動を続けているわけでは無い。時には一ヶ所に長く逗留して旅の疲れを落としたり、床に横たわって下痢を癒したり、情報収集をしたりしなければならない。そんな時には、自分と向き合う時間が膨大に出来てくる。移動にしたってそうである。現地の人と筆談する手を休めたり、必死の英語を駆使する必要が無い時などは、窓外の景色に見入りつつ、思いは内向して行く。
そんな時に。

あるいは、列車やバスの窓ガラスに映る自分の顔が、語りかけて来るのかもしれない。
あるいは、繰り返し読んだ文庫本の行間が語りかけて来るのかもしれない。
あるいは、沙漠の蜃気楼が、砂丘が、問い掛けて来るのかもしれない。
あるいは、異境の河や海の水面に映った自分の顔が問い掛けて来るのかもしれない。
あるいは、便所の尻洗い用水桶に張られた水に映る己の双眸が、問い掛けて来るのかもしれない。
あるいは、

・・・と、もうキリが無いのでここら辺にしておくが。そんな具合に、自分自身と向き合う機会が多いのだから、思いは深く沈潜し熟成されて行く。誰の中でも、それは同じ様に。スピードは、違うかもしれないけれども。
私も、数限りなく深く自分と語り合った。特に、下痢で死んでいてホームシックでのたうちまわっていた時に、向き合う相手は日本にいる懐かしき朋友たちの幻影と自分の影であった。

そういった内面の「想い」を出し切れないままに筆を進めて行くと、全体の構成が流れて行ってしまって、パンチの効かない文章となりかねない。

その点、悠君の場合は、
「俺がこんな事を考えた」
という事が一番はじめにポンと来て、その場所が「どこそこだった」とくる。従って、溢れ出す「想い」がストレートに読者の目に飛び込んでくる。だから、裸の「岩本悠」が、まさしくスッポンポンでフルチンの姿(ピラミッドの頂上ではホンとにフルチンになって立ち小便してますけど)を我々に真っ直ぐにぶつけて来ていて、思わず唸らされてしまう。それも、幾多の珍道中を共にしてきた私も見抜くことが出来なかった姿が殆どである。
その為、私が読んだ旅行記の中では、白眉のものに仕上がっている。

最後になったが、やはり彼は溢れ出す感性の人間なのだなあと思う。旅を
「流学」
と称し、旅の記録を
『流学日記』
なぞと銘打ってしまえる所など、脱帽するしかない。私の書いた文章なんて、
「シルクロードの道端にて」
だもんね(未出版、というか出版の予定無しだが)。平凡なもんです。

で、長々と書いてきたけど、結論。
「面白かった!」
以上です。皆さん、手にとって読んでみてください。

なんだか「流学」って言葉、流行りそうな予感がするなあ・・・もう一部では流行る兆しを見せているしね。

8月4日

指導教官である伸先生が帰国なすったので、演習報告。一言でいうと、ボロボロである。逸り立つ気持ちを抑えきれずに空回りさせていったら、収拾がつかなくなってしまった、という格好である。後で学説整理を読み直してみたら、
「なるほどコリャ駄目だ」
と自分で頭を抱えてしまう。未だ未だ、不肖の弟子を脱出出来そうに無いな。いや、一生不肖の弟子かも・・・

7月31日

思わず、やってしまった。
バイト後の夜食の際、買ってきたレトルトのキーマカレーが実に良い具合にビシャビシャで、匂いも良い感じだった為に、思わずスプーンを放り投げて手で食べてしまった。
日本でこんな事やるのは初めてである。

7月29日

今日はバイトの早朝勤務があったのだが、その最中(昔に撮った写真の整理をしていました)に大学から電話がかかってきた。
オープンキャンパスがあるから助っ人にきて欲しいとの事。
まあ、そういう下命がある事は想定していたから驚きもしなかったが、それにしても今日のオープンキャンパスは後手に回った印象が拭えないな・・・今年も昨年に引き続き、高校生たちの案内に汗を流していた。

その後、研究室で午睡していたら、偉大なる先輩である池田さんが訪問してきた。大喜び。実に1年半ぶりに会うから、懐かしくてたまらない。

7月25日

バイトの早朝勤務から帰った後、昼飯を食って午睡してたら5時半になってしまった。少々頭痛もするし、些か鬱。

さて、友人岩本悠君の『流学日記』と、旅行人傑作選『世界が私を呼んでいた!』を入手・読了したのは帰省する前日の事であった。どちらも流石の面白さであった。いくつか記述のミスもあったが、些細な事だ。嗚呼、たまらんなあ、こういう本を読んでいると。
私は、おそらく特異体質である。週刊誌のヌードグラビアを見るよりも、旅行記や旅行雑誌を眺めていたり、知己との旅行雑談をしている時の方が欲求不満が溜まるのであるから。それなのに、旅系の本を手放す事が出来ない。病はかくして募るばかり。
ただし、このように旅の情報をせっせと集め続けていると、海外旅行事情が激変している事が解ってくる。2月の中国旅行でも変化を肌で感じ取ってはいたが、何処に変化が見られるか。少々考察してみた。
@情報収集の方法の変化
 私が長期旅行をしていた2000年は、インターネットが台頭しつつも旧来の情報ノートも未だ重要性を失っていないという、いわば移行期であった。私自身も、旅先で泊まった宿に置いてあった情報ノートには、せっせと情報を書き込んでいったし、そこに書き込まれた先人たちの情報を大いに参考にしつつ旅を続けたものである。例えばイスタンブールでは、情報の整理に丸二日ほど費やしている。当HP内「宿泊先一覧」の備考の欄にある情報ノートの有無についての記載は、そうした過去の事情を踏まえている。
 それがいまや、情報収集にはインターネットが圧倒的に重視されている。例えば、先日再会したちー兄は4年近くを海外で過ごした熟練の旅行者だが、その旅の末期には情報ノートを重視しなかったという。時代が変わった、としか言いようが無い。
A旅行者自体の質の変容
 時代が変われば人も変わる。当然の事だが、最近の旅行者は私が旅をしていた頃とは全然違うらしい。これは昨年のサファリ同窓会で、往昔のサファリの番頭・落ち武者丸山さんが
「旅行者の質が落ちた」
と象徴的に言っていた事でもあるが、最近の旅行者は、旅をするに当たって基本的な情報を何も収集せずに旅に出て、そのくせ人に物を聞きまくる、危うい上に厚かましい人が多いという。
 そうした事態の象徴が、情報への接し方だろうか。かつて旅人が一ヶ所に集中したのは、情報を求めての事でもあった。情報を積極的に残していく旅行者も数多くいた。それが情報ノートが役割を果たさなくなりつつあり、その情報ノートを蓄積・精選したバックパッカーの為のガイドブック『旅行人ノート』の出版を精力的に行っていた旅行人は現在、経営が苦しいという。情報の電脳化によって素早い情報の伝達を図った旅行人が、自らの努力ゆえに状態が悪化しているとは、笑うに笑えない。

7月24日

実家から先ほど京都に戻ってきた。名古屋は鶴舞の古本屋散策を堪能してきて、それはそれでよかったんだけれどもね。
帰省中に、26歳の誕生日を無事に迎えた。
哀しいかな、祝ってもらっても嬉しくない。

7月17日

身体中が痛い。昨日のバスケの所為だろうが、何よりも夜に突発的な不眠症になってしまったのが一番痛い。
そんな状態ではあるが、今日は関西学院大学へ。関学の西洋史研究会に出席する傍ら、同大学の大学院生H氏に本をお借りしに行ったのである。ついでといっては何だが、同大学をすでに退職された田中穂積先生に紹介していただいた。そのまま懇親会に出たほうが顔を覚えてもらってよかったのかもしれないが、それだと(昨夜も酒を呑んでいたから)三日連続で酒を呑むという事になり、流石に自制した。・・・別に呑んでもかまわなかったかな?まあ良いか。

リンク集に、旧き旅仲間・岩本悠君の「流学日記」を加えました。彼の本は、現在注文中です。ですが読まなくても面白い本であるのは解っています。皆さん、読んでください。

7月16日

史学科院生室の面々と一緒にバスケをやった。当然ながら体育館でやったのだが、この体育館という所はなかなかに曲者で、まるで蒸し風呂の中で動き回っているようなものである。余りの暑さにシャツはビショ濡れで、インターバルの度に館外に走り出てはシャツを絞って汗を搾り出す。これの繰り返しだった。

もう一つ、今日あったイベントは、府大学長・井口先生の最終講義。取り合えずビビったのが、府大で一番広い合同講義棟・第三講義室が一杯になっていた事。余りにも人が多くて(他学部の人も大勢詰め掛けていましたから)、座る席も択べない程。この聴衆の多さを逆手にとって、
「こういう事は某先生の方がお詳しいですが」
「この点については某先生の意見を聞かないといけないんですが」
などなど、巧みに繰り出す話術には感服した。話の内容も、極めて面白かった。
先生、お疲れ様でした。一回生の頃から、何かとご迷惑をおかけしました。

7月15日(祇園祭の古都の夜に)

シルクロード横断中にイスタンブール・ガラタホステルとブダペスト・テレザハウスで同宿したちー兄ちゃんが、実に4年ぶりに日本に、それも大阪に帰って来ているというので、大慌てでコンタクトを取った。幸か不幸か京都は祇園祭の鉾が立って今日は宵々山、その光景を眺めながらそぞろ歩きしてついでに酒でも呑もうじゃないかというつもりだったのが、彼は私の当初の目論見を大幅に覆して1時に京都に着いてしまった。まあ、予定は何も無い、府大で四方山話をして四条に着いたのが、4時過ぎ。未だ交通規制がかかっていないらしくて、車が四条通を走っていた。
暫く歩いていたらバックパッカー特有のワガママと体力の無さを出したちー兄が疲れ始めていた。そんなわけで、四条川端某所に辿り着いて、再会を祝して杯を干す。ついでにワガママを言って、歌を唄ってくれとせがんだ。店に置いてあったギターを弾きながら、3年半ぶりに聴くサザンの「TSUNAMI」とイルカの「なごり雪」は、相変わらず絶品だった。別れて数年、私も彼も齢を重ねたが、時は彼の咽喉から、その特長である「哀愁」を奪っては居無かった。
時が、逆行した。
しばし涙を流した。

7月10日(恐怖体験2)

バイト終了後、バイト先の女性のお供をさせられ、アヴァンティの女性専門店街を歩き回った。怖かった。今まで足を踏み入れた事が無い(むしろ意図的に敬遠している)所に入り込む事がこんなに疲れるものだとは思わなかった。

7月9日(恐怖体験)

京大で物凄く怖い事を経験した。
どんな事か、言うだけでも恐ろしいので省略します。

プロ野球選手会は、どーやらスト不可避の方向らしい。
ここまでオーナー側が物分りの悪い奴らぞろいでは、もう妥協は出来ないのかもしれない。
フロントが阿呆では、野球は出来ないのである。プレーする側だけではない、観る側も落ち着いて観る事ができやしない。
弱者の側の内情を一切合財理解しようとしないというオーナー会議の姿勢は、最近の日本の傾向そのものを現しているようで、極めて不快だが空恐ろしいほどに解り易い。

7月7日(よく見りゃ七夕だな)

今日、夜に三条新京極のMOVIX京都で、大ヒット中の「トロイ」を観て来た。午後7時半からの回だったにもかかわらず、劇場内は相当数の客で賑わっていた。賛否両論あるようだが、個人的には極めて楽しめた。それにしても、アキレス役のブラッド・ピット、完全にヘクトル王子役のエリック・バナに、完全に主役を食われていたぞ・・・

7月6日

史学ゼミの一回生に白川・岡野両氏が拙亭に来て、「映像の世紀」上映会をやった。取り敢えず大変だったのが、8人もの人間を狭い下宿に詰め込んだ事。これも、コタツを囲んでの呑み会だったら未だ楽なのだが、全員がテレビのモニターを見ることになるものだから、かなりスシ詰めになってしまった。
今日見たのは「映像の世紀」でも比較的ほのぼのした戦間期を扱った、第三集「それはマンハッタンから始まった」を観たから、それほどショックは大きくなかったようである。それ以外の回だったら、えらく衝撃を受ける事に相成っていただろう。

7月4日(トロイを観る・・・筈だったのに・・・)

昨日・今日と、二日にわたって部屋の掃除をやった。今度の火曜日に、我が下宿に10名を超える客が来る事が見込まれるからである。掃除にプリント類の整理、人が座るためのスペース確保・・・とあれこれやっていたら、結局二日がかりとなった。
それでも今日は、『潤いが少しは欲しい』とおもい、三条新京極のMOVIX京都に「トロイ」を観るために赴いたのである。しかし、(半分予想してたが)満員で観る事が出来なかった。腹が立ったので、寺町界隈や錦小路をぶらぶらしてきた。思いの外、心が安らいだ。

7月1日(蛍も疎水から去り)

髭と髪を剃ったら、夕刻くらいになると頬髭の伸びが気になる。困った困った。
もう、鏡で見る自分の顔は見慣れたんだけど。
月に一度の恒例、四条川端某所で呑んできた。店のマスターが誕生日で、木曜日にもかかわらず客が多くてびっくり。私も流れでシャンパンとか貰っていたけれども。
呑んだ呑んだ。心地よく酔った。

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