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12月29日(混乱と喧騒の中で)

これから実家に帰ります。修論抱えているんで、パソコン持って帰ります。
実家で修論進むかな・・・不安含みです。とりあえず、規定量の十分の一ほど進みましたが、これからが大変なのだと思うのであります。
こんな内容で大丈夫かな・・・

まさしく、混乱と喧騒の一年だったな・・・

12月28日(忘年会報告・番外編)

先ほど、偉大なる珍友H氏が東京国際展示場に向けて発って行った。
昨日は、彼と合流して食事だけのはずが、なぜか四条川端某所で呑むハメになっちまったな。まあ、時間など知れたものであるが。
冬コミで買って欲しい同人誌をチェックしていたら、6冊ほどになってしまってびびる。内容は、モノを見てから語るか。面白い事を期待している。

断っておきますが、ネタにはなっても他人に見られて恥ずかしいような同人誌は一切注文しておりませんので。

12月26日(忘年会報告・其の三)

うげ・・・やみいち観に行くの忘れていた・・・って、この話一部にしか解らんわな。

今日は、下鴨劇場OB会谷底どっきゅん倶楽部の、年に一度の会合もしくは忘年会である。
個人的にも色々と多事多端な一年だったけど、この面子も流動的な事この上ない。仕事をやめた人、大学をやめた人、新たに就職が決まった人、資格試験に合格した人、結婚した人、京都を離れる人などなど、集まったのは総勢17人。ちなみに、一番修羅場である人間の一人は私かもしれない。
「此処に出席するのは自殺行為ですが無理矢理来ました」
と宣言しておいて、一次会で帰ればいいのに二次会のカラオケまで出てきたから。珍しい人間もかなり来ていた。一次会の飲み屋など、店員さんが明らかにひいていたからな。
「一体何の集まりですか?」
と店員さんに聞かれてしまった、一昨年5月の谷底会を思い出すな。
一次会・二次会と、ずーっと笑っていた。笑い疲れた。疲れたのは自分の責任だが、今回もまた、バイタリティに溢れた旧友たちから大きく元気を分けてもらった。これで、まだまだ踏ん張る気力が沸いてきた。

12月25日

クリスマスとやらいう蛮族の風習には縁が無かったなあ国民・・・

というのは、昨年2ちゃんねるで飛ばした自虐的諧謔である。

実を言えば、クリスマスといえば、思わず感慨に耽る事がある。ここ数年はクリスマスといえば締め切りに追われまくる日々である(今年もそうです・泣)し、去年などはバムの地震で呆然としてしまってそれどころではなかったが、そうなる前は、例えば98年・99年の両年については、下鴨劇場のあぶコン(あぶれ者コンパの略)があったからねえ。相当に楽しかったのを覚えている。
そして、2000年の事を思い出すと、思索はさらに深くなる。「絲綢之道の道端にて」の「怒涛のヨーロッパ編」ではサラリとしか書いていないが、クラクフのプラハにいた私は、クリスマスイヴ・クリスマス当日朝と、実に二日にわたってタップリとミサを見学したのである。
そのときの写真は今手許に一枚として無いが、「撮らなかった」というよりは、「撮れなかった」「撮ってはいけないと思った」という方が正しいだろう。
余談であるが、私が訪問したキリスト教国で熱心なクリスチャンが一番多かったのは、ポーランドである(私と宿で同室だったスコットランド人は、「こんなに寂しいクリスマスは初めてだよ」と私にこぼしておりました)。第二次大戦後、この国が東欧全体を揺るがす事件の震源地になったのも、現法王ヨハネ・パウロ2世がこの国の出身である事も、自然な事のように思う。

よく、
「欧米のクリスマスは、恋人よりむしろ家族と過ごす時間でしょ」
という、恋人がいなくて寂しいクリスマスを過ごす人の哀しい自虐的雑談を聞くが、厳密には違うと思う。
「独立した人格を持つ一人の人間が、神と一対一で向き合う日」
というのが、クリスマスという日が本来的に持つ意味だとおもう。家族との団欒も恋人と過ごす時間も、神と向き合った後に来る、言ってみれば副次的な代物ではないか、と思うのだ。日本人の大多数がクリスチャンではないから、この本来的な意味について、誰も深刻に追求しないような気がするが。
ただ、此処の所が、先日に読んだ、安部謹也の『日本人の歴史意識』との関連で、物凄く気になるのだ。ヨーロッパは、神という自己を対象化し得る存在によって「世間」から解放された、というのが安部さんの主張だが、果たして日本人は、自己を対象化し得る他者を持っているだろうか?おおいなる疑問であるが、おそらくは
「未だ無い」
のだろうね、インテリたちの間ですら。寒い事態だとは思わんかね、国民・・・

12月21日(忘年会報告・其の二)

今日は編集会議があるようなので早々に図書館に逃げ出したのだが、その前に院生室に乱雑に投げ出してあったポリュビオスの『歴史』第一分冊を岡本先生が手に取りながら、
「これ欲しいんだけど、買っても置いとくスペースがあらへんのや」
と仰る。でもこれは欲しいですよね。後は、シチリアのディオドロス筆『歴史叢書』(『歴史収録』とも言う。次の西洋古典叢書でつけられるタイトルが、この大部な著作の日本式呼称として定着するだろう)が出たら、全部買わなければならんのかな。その前に、そろそろヨセフスの『ユダヤ古代誌』買うべきだろうな。

夕刻、放送研究会の先輩と、大阪の鶴橋で会って来た。先輩とは、もう彼の卒業式(という事は、つまり私の学部の卒業式でもあるか)以来、2年近くも会っていない。理由は単純で、私が不精だからである。私の電話番号をお伝えせず、しかも先輩の電話番号を手元に控えていなかったのだ。2000年までは控えていたんだけどね・・・イスラエル入国拒否のドサクサに紛れて、他の人の電話番号と一緒に紛失しちゃったんだよね・・・焼肉屋で歓談する事2時間近く、非常に楽しいひと時であった。特に、彼の学部の卒業式こっそり聞こえてしまったという、U上先生とI口先生の密談のこぼれ話が。

12月21日(忘年会報告・其の一)

府大学務課の掲示板に、イスラエル国費留学生の募集要項が掲示されていた。これって、入国拒否経験者でも応募できるのかな。しないけど。多分、学位を出してもらえるような論文書けないから。絶対、喧嘩を売るようなものしか書けないから。第一、私は、地域名で「イスラエル」って絶対に使用しないもんね。パレスティーナっていうもんね。演習報告の時、いったい何人が気づいてくれてるのかな。

さて、今日は史学ゼミの忘年会があった。バイト明けで眠かったが、府大近くのくろ川では、14人もの人が集まってわいわい。3つから4つほどのブロックに分かれて、それぞれの話題で盛り上がり、しかも人が移動しまくるので、すべてをフォローするのは到底無理だった。3時間以上、そこで大雑談会をやっていた。

12月19日

昨日の夕方から夜勤明けなのだが、累積疲労の所為か体調不良の所為か、左肩が痛い。これで左利きだったら、悲惨だっただろう。今日も、やはり未だ痛い。

今日は、同志社での研究会の後で辞書を回収する為に府大に立ち寄ると、かつて下鴨劇場で同僚だったゆりさんに会った。あちらも驚いていた様子だが、外見大して変わっちゃいなかったな。
その後考古学研究室の方に行ってみたら、こちらでは考古の人々のOB会をやっていたらしく、昔馴染みの元院生さんたちに久し振りに会って良い感じ。珍しい人々との、奇妙な再会の日であった。

月曜日からの一週間は、年末コンパが3つ(下手すりゃ4つ)立て込む予定だ。体調に気を配らねばなるまい。

12月16日

今日で学部の演習はお仕舞である。来年はこの演習に出席する事が出来るか、未だ全然解らないが。

12月13日

昨日の酒は幸い残らず、・・・というよりも必死で酒を抜いて、今日は修論前の最後の演習報告。前回の中間報告とあまり変化は無いが、それでももう、そろそろ書き始めなければなるまい。多分、何とか書けるかな。本当は、もう学部の演習も聞いている暇無いんだろうなあ・・・なんでこの後、忘年会が三つもあるんだろう。    

12月12日

古代史研究会の大会が京大であったので、出席してきた。当初予定されていたアラン・ボーマン教授の講演会が急遽中止になったのは残念だが、まあ仕方あるまい。私に一番関係があるのは、二本目の『キュロスの教育』再検討と、三本目のプトレマイオス朝の行政区分検討だったかな。しかし、三本目の報告の時には、あまりにも精緻すぎて目移りはするし疲労はピークだし、とヘロヘロだった。
この後の懇親会では、なんと大戸先生の隣席に座すという、酔うに酔えない緊張感を維持し続ける必要のある状態。それに、南川先生に
「柴田君、君の新刊紹介への返答、もう少し待ってくれますか」
などと笑顔で言われては、酔いも吹っ飛ぼうというものだ。昨年の懇親会の時もまるで拷問みたいだったけれども、今年も全然成長しとらんなあ。

12月8日

おおっと、もうすぐ7000ヒットだ。

真珠湾攻撃の日、下鴨劇場に借りていた機材を返却して来た。
会場について、先生方にも深刻に考えて頂かないと、安心して海外逃亡もできやしないのである。何しろ音響機材に関するツールは私が一手に握っているので。

12月7日

史学ゼミで、東京土産の苺サブレなるものを皆で食す。その史ゼミ、本日のテキストは坂本多加雄『歴史教育を考える』を取り上げ、これを叩こうというものだったが、読んでみて首を傾げた。事前に予想していたよりも、納得し同意出来る部分が多かったのだ。これなら、全体に対する評価はさて措いて、歴史学をやる上で有効と思われる部分を取り上げて評価していった方が良いんじゃないか、と思っていたら、憮然としている人が居た。後で話を聞けば、
「この人について、なんでみんな最初に否定してから話を始めなければいけないんだ?そうしなければならないような雰囲気が、史ゼミに、いや府大を覆っているんじゃないか。意見なんて、個人個人で違って良いのに」
いやあ日本の歴史学会全体が、そういう雰囲気なんでしょ。そう言いたかったんでしょ。

夜はプロジェクトXの吉野ケ里遺跡の回。いい回だとは聞いていたが、最初からボロボロ泣いてしまって、感動しすぎである。あ、この「消息」打っていたらまた泣けてきた・・・

12月4日(嗚呼、嗚呼・・・)

今日は洛北史学会の第六回例会という事で、午前中から準備に追われた。朝起きたときには頭が痛くて、また風邪かと思ったら、どうやら違って、昨日友人そーちょーやさっちゃんらと呑んだ酒が未だ頭に残っていたらしい。つまり、二日酔いね。
今日の諸報告には西洋史のものが全然無かったが、それでも相当に面白い報告が多く、特に面白かったのは、井口先生をメイン報告者に据えた特別シンポジウム、「今何故近代東アジア像か」である。もうちょっとしっかり宣伝したら、学部生たち来たのかなあ・・・議論も、かなり面白かったのに。
悲哀を感じたのは、その後に行った下鴨劇場五期生の卒業公演「ざらはい」。一体どんな由来を持つ名前なのかがさっぱり解らんが、まあそれはそれとして。本日夜公演、OBで来ていたのは私ただ一人だったのだが、どうやら今日の昼の会に大挙して押し寄せて来ていたらしい。なんで私は、・・・私は、・・・こんなにタイミングが悪いんだ・・・また、間の悪さを全開にしてしまった。

12月1日(快挙を祝す)

待ちに待った、と言うべきだろうか。長い事、邦訳の出版が待たれていたポリュビオスの『歴史』が、西洋古典叢書から城江良和氏の訳でようやく出た。ローマ史・ヘレニズム史の第一級一次史料として欠かせぬ文献だが、歴史学に対する無教養と無関心の愚風が吹き荒れるこの嵐の時代に、世に送り出された事を心から祝したい。いや、本当に助かる。

11月30日(「韓流」の胡散臭さ)

日本では今、「韓流」なるモノがブームらしい。加熱するマスコミの報道を見ながら思うのは、韓流なるものに沸く人たちの中で、サッカー好きってどれだけいるのか、という疑問である。

結論から言えば、「韓流」とはウソである、と思う。何しろ、私の中では未だ、2002年日韓ワールドカップの後始末が未だ済んでいない。
あの時、日本の対韓感情は底抜けに悪化したはずだ。同時に、韓国の疑わしい快進撃に関して全く追求しない巨大マスコミに対する不信感もまた、募りに募った筈である。にもかかわらず、それから程なくして始まった韓国製ドラマの氾濫に、私は相当に胡散臭さと戸惑いを覚えた。何故こんなに無節操に騒ぐことが出来るのか、不思議で仕方が無かった。どう考えても、「韓流」の巨大な波によって、対韓感情の改善とマスコミへの不信感の払拭を同時に図った、としか私には思えてならない。
つまりは、「韓流」とは、ウソなのである。
そんな話を、東京に行った時に会った旅の道連れと話していた。ちなみに、私の感じていたモヤモヤに賛同して「韓流はウソ」と具体的な言葉で表現したのは、彼である。

11月29日

今日はバイトが終わった後、下鴨劇場の後輩の所に行って、音響機材を借りるついでにギリギリまで舞台仕込みを手伝っていた。おかげで、しんどいしんどい。しんどいついでに、史学科院生のHP作成を依頼され、作成に追われている。莫迦じゃ無いのか・・・

11月28日

今朝、東京から帰ってきた。それなのに今夜はバイト。そりゃ無茶だ・・・
まあ、ムーンライトながらの車内ではほぼ爆睡してましたけど。
帰って来て後、下鴨劇場の後輩たち(現在舞台仕込中)の所に差し入れを持っていって、2時間ばかり雑談していた。皆、若いな。
取り敢えず、関東遠征日記を下記に記す(全画面表示でご覧ください)。

11月27日

朝、東京国際ユースホステルを出てからはずっと、東京都内を彷徨う。神田神保町と秋葉原を堪能した後は東京土産を探していたのだが、何処にも良い店が無い。くたびれ果てて東京駅の地下に行ったら、恐ろしいほどに土産が充実していた。何なの一体、この街・・・

それにしても、今年4月に堪能できなかった分、神保町を今回はたっぷり堪能してきた。洋書の古書が充実している店もかなりあって、実に幸せ。まさか、ロエブ古典叢書のストラボン『地理書』が手に入るとは思わなかった。フラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ古代誌』も買ってきた方が良かったかな?まあ良いか。未だ未だ居たいと思ったが、まあ時間の制約もあるし、それに全ての旅装を担いで歩いていた所為か、左膝をはじめとする脚部が全て悲鳴をあげるのである。足が痛い。

11月26日

早朝、小田原駅に降り立ったら3時半。早すぎて、改札が開いていなかった。駅の外に出た後も、店が開いているわけも無い。小田原城の近くまで行ってみたのだが、あの城の天守閣は小高い山の上にたっているもんだから、未だ暗い早朝に見れる訳が無い。
さて、こんな時期にわざわざ小田原なんて所に来たのは、東海大学の春田助教授にお会いする為である。いずれはお会いすると思っていたが、何でこんな時期に会う事になっちゃったの?と我ながら首を傾げる。実際にお会いしてみたが、なんと行っても時期が悪い。あまり懐に立ち至るような話が出来なかった。まあ無理も無い、これが半年前にお会いしたんなら話は全然別だったんだろうけど・・・まあ、はるこ先生ともお知りあいの様だし(私とはるこ先生が知りあった経緯を語ると大笑いしていた。そりゃ笑うだろう)、いずれまたお会いする機会はあるだろう。というか、絶対そのうちに会うだろうな。

夕刻、東京飯田橋にて今度は旅の道連れ・S君に会う。毎年、何だかんだで会っているわけだが、今回も話は尽きる事を知らない。新鮮だったのは、彼が今年4月と10月に起きた日本人拉致事件に関して、
「4月の3人よりも10月の事件を起こした人の方に親近感を覚える」
と語った事。愕然としかけたが、よく考えてみれば、旅人の感性としては、そちらの方が自然かもしれない。前も書いたが、長期旅行者というものはNGOに対する不信感が強烈な人が多いしな。

11月25日

東京遠征前日・・・というよりも当日。当然集中して勉強できるわけが無い。
そんな中、院生仲間の一人に洛北史学会のHPを作って欲しい、との旨の依頼を受けた。確かに、いるなあ。史学科のHPも全く充実していない今、一応作っておいた方が良いだろう。取り敢えず、私が大枠を作れば、後は形式がついてくるであろうし。

11月21日

関学の西洋史研究会の年次大会に出席する為、関学に行って来た。そうしたら、発表者の付き添いで来た京大のODさん(PDさん?)に、
「こっちに来てないで昨日の若手研究会の方に来てよ」
といわれて苦笑。まあ愚僧も付き合いがありますからご容赦ください。
さて、研究会だが、専門と関係する部分の発表も含めて、非常に面白いモノが続いた。それより、研究会後の懇親会、学割があるって知っていたら出席したのに・・・会の休憩時間に雑談させていただいた方々、その殆どと、多分明後日にまた会うんだよな。

11月20日

うっかりしていたが、昨日から府大で学祭・流木祭なのだ。かくして本日は、後輩たちの学祭企画「四重奏(カルテット)〜それは修羅場なり」を観てきた。来月第一週に卒業公演なのに大丈夫なの?と思っていたら、卒業公演にはかまない人間がやるらしい。一番吃驚したのが、オペレーション。音響・照明・映像のオペを一人でこなしていたのだ。何処の誰がこんな支離滅裂な事を考えたんだ?しかもオペブースには暗幕が張っていないし、私はブースと舞台がどちらも見れる下手最後列に座を占めて、暗幕の度にオペブースを見るという物凄く嫌な客である。脚本は面白かったがね。脚本製作者の妄想100%全開という感じで。
この後、府大出身の元外交官が講演に来るというので、話を聴きに行った。まあ外交官というが、赴任していた場所が中東とか、やばそうなところばかりだったから聴きに行ったのであるが。もっとも、お目当ての話は全然聴けなかったように思うが。質疑応答で爆弾を落とした方がよかったな。
そしてその後は、下劇の芝居が終わるまでは卒業公演に参加する子たちの練習場所で雑談していて、芝居が終わると舞台バラシを手伝う。何でバラシまでやってしまったのかな・・・一年ぶりに会う角野君が一緒にバラシをやるって言ったからかな。バラシを手伝う事自体が、私も一年ぶり以上である。

11月19日

修論中間報告の打ち上げがあった。今日はバイトがあったから、それが終わってから駆けつけたのである。バイトが無ければ、府大で一時からあった博論の公開審査にも顔を出すつもりだったのだが、・・・残念だ。

11月16日(安部謹也の「世間論」に思う)

昨日、夕刻より風邪が急速に悪化、鼻水が止まらない状態になったが、今日はバイトが早朝からあるし、なかなかに体調の回復も見込める状態にならない。
それでも、今日は夕方の史学ゼミの会合には出席して来た。今日は、安部謹也『日本人の歴史意識−「世間」という視角から−』がテキストであった。この世間というモノへの検討、まるで気が付かない概念だから思いつかなかった。そして、この本には極めて勇気付けられた。西洋古典古代期の中東なんて、やる意味とか言われても結構困るのだが、その私の背中に強い支持が与えられたような心強さがしたのだ。あ、「世間」というものを対象化し得る視点を獲得する糸口だけは掴んでいるんだな、と、密かな自信になった。
議論が終わって夕食(の一人鍋)を食べてホッと一息ついていたら、また別の考えが湧いてきた。安部さんは、学校で教えられている歴史というものを、「世間」に属する人々にとっては参加の対象とはならない、無縁のものとしている。とすれば、次のように結論付けられるのではないか。
すなわち、「世間」に属する人々にとって、「日本の歴史」とは自分に無縁の所で展開されるものであり、それは「西洋の歴史」と同様に、自分と無縁の遠い別世界で展開される出来事の記録に過ぎないのだ、と。
いうなれば、「自国史」である故に変化の必要性に鈍感な日本の日本史学界や、世界最高のレヴェルにあるが故にその地位に安住する日本の東洋史学界に対する、痛烈な批判であり、彼らを、危機に晒されている日本の西洋史学会と同じ地平に引き摺り下ろしているのである。そして今一度、同じ歴史学徒として歴史をやる意味をそれぞれに追い求めていかなければならないのだ、と。そう考えたら、すっきりした。何しろ、E.H.カー『歴史とは何か』を、
「日本人の歴史の教科書とすることは出来ない」
と断じている時点で、歴史学徒ならば誰もが愕然としてしまいそうなものではないか。
井沢元彦『「言霊の国」解体新書』を読んだ後でなければ、こうもスッキリと私の腑に落ちる事は無かったかもしれない。その意味で、『日本人の歴史意識』と『「言霊の国」解体新書』は、私の中では相互補完的なものである。そして、これほどまでに蒙を啓かれる書には、歴史の領域では近年は出会わなかったのではないか、と思わせる絶品の二冊である。

さて、ネットサーフィンをしていたら、面白いサイトを見つけた。小泉政権に三行半を叩きつけて外務省を追い出された天木直人・前レバノン大使のウェブサイトである。東海大学などで非常勤講師をやっておられる、さかえだにはるこ先生(字が解らん・・・)に教えていただいたものである。

こんなサイトが欲しかったんだあ!

と思わず絶叫しながらガッツポーズをしてしまいそうなサイトである。嗚呼面白い。ご一読あれ。

11月14日(後輩の祝宴)

朝、起きて暫くしてから、注文していた本が3冊届く。まあストラボンの『地理書』や、『古代ローマの歴史家たち』はともかく、『9.11委員会最終報告書』は、今更という感も否めない。だが、値段が千円しないし、持っておいても良いかなあと思ったわけである。

さて、今日は下鴨劇場の後輩たる横さまの結婚式二次会が大阪・難波であった。難波に行くついでに大阪球場の跡を見に行く。もう球場の外壁も完全に撤去されて、ただの住宅展示場になっていた。胸に込み上げるものがあり、軽く一礼してその場を後にした。
この後、会場に行くのが大変だった・・・全然、場所が解らないんだもん。何とか着いたけれども、開宴も30分押しで始まった。まさか下鴨劇場一期生11人を差し置いて、二期生の彼が谷底どっきゅん倶楽部の先頭を切って結婚するとは、ねえ。まるで想像の埒外だった。新郎、デレデレだったな・・・私は何もやらなかったけど、私や今西氏以外の下鴨劇場関係の出席者は、フロアスタッフで走り回っていた。特に司会とか、3人とも谷底どっきゅん倶楽部の人間である。それにつられたのかどうか、私は誰かが喋る度にマイクケーブルの介錯が気になって腰が浮く始末(特に新婦が美しい歌声を披露したときなど)。もっとも、これは私だけでは無いようである。何しろ、劇団関係者がかなり多かったからね。私の横でも、某女史が
「あそこの照明、今から直して良いかな?」
「スカートはいてるじゃないですか。良いんですか?」
「別に構わない」
・・・要するに職業病である。
さて、二次会ですからビンゴゲーム・・・をやる時間が無くなってしまっていて、抽選で景品を当てるゲームになってしまった。当たったら面白い、でも当たるわけが無いよなあ、と思っていたら、当たってしまった。

・・・一人鍋セットが。・・・


宴が果てて後、私と今西師匠と並木氏は難波の地下の店でコーヒー一杯で一時間ほど話し込んでいた。私以外の二人とか、会うのが数年ぶりだもんね。非常にマッタリと楽しいひと時であった。

11月13日

昼間、友人中村健が出演するワンダリングパーティー「小村大使の素敵な一日」を見てくる。開演時間ぎりぎりに間に合ってみれば、受付に花木氏がいて、まずのけぞる。中に入ってみれば、K氏とかI氏とか、わだきちなどは奥さんと一緒に来ていた・・・基本か。芝居は今年4月にイラクで起きた人質事件をパロディー化したシチュエーションコメディーだが・・・普段に比べて、笑えなかった。理由は単純明快、私にとって生々しすぎるのである。これは、あの事件との距離が隔絶している人間にしか笑う事が出来ないのではないか?日本と彼の地との距離の遠さを、逆に考え込んでしまう次第。
夜は珍友H氏と北大路某呑み屋にて呑む。府大ギターマンドリンクラブの人たちが打ち合わせをやっていて、史学ゼミの後輩もいたが、そんな事はお構いなしに騒ぎすぎ。私の肝臓は大丈夫か?

11月12日

友人そーちょーが就職するというので、バイトが終わる夕刻に合流して祝杯をあげていた。この二人が一緒に呑んでいると真面目な話しか出てこないのは、基本的に二人とも真面目な学究肌の人間だからだろうか・・・ただ、書斎タイプの人間ではないな。何しろ私は。
「柴田さんから旅を取ったら何も残らないでしょ?」
といわれて首肯してしまった人間であるから。
我らがSIBAの今日のバイトの人は新人らしく、まだ不慣れな様子。それなのに客の入りが一番多いであろう金曜日に入るって、考えてみれば無茶な話だ・・・この女性が、明後日に私も出席する、下劇後輩の祝宴に出るというから吃驚な話。

11月11日

修論の中間報告が終わった。今年の修論提出予定者のうちで外国史4人は全て西洋史、東洋史の人が聞いていて面白かったのかどうかは知らないが、私だけ集中砲火を浴びた。うーん、未だ未だ甘いな・・・

パレスティーナのヤーセル・アラファトが死去したらしい。
死者に鞭打つのは不本意だが、彼は死ぬ時と場所を誤ったな。自治政府がイスラエルに包囲されている時に死んでいれば、イスラエルの暴虐をアピールし得たであろうに・・・
今はイラク情勢に耳目を奪われて目立たないかに見えるが、再び聖地はホット・スポットとして注目されるだろう。アンマンも、中東情勢音痴な日本閣僚が呑気らしく本部を構えているような場所ではなくなるであろうな。

11月5日

大学に行ったら、えらくガランとしていた。何事かと考えて、やっと思い出した。今日は府大の創立記念日で、休日だった。行った意味ねえ・・・しかもすぐにバイトに行ったから、何しに行ったのか良くわからん。

海の彼方から、不快極まるニュースがやって来た。あの無道の昏君、アメリカのジョージ・ブッシュ二世が大統領に再選されたとの事。おいおい、あんな歴史的素養の無い人間に二期目をやらせてどうするんだ。歴史的素養と外交センスが密接にリンクしているという事を、ここ数年の世界の潮流は如実に示している。日本も然り。中東情勢なんて、その典型じゃあないの。今の政府に、中村哲医師の意見を消化する識見を持つ人はいないのか!いたら天木大使は辞職を強いられていないだろうけど。
頼むから、イランには侵攻しないでくれ。もし開戦とか言い出したら、頼むから対米追従は止めて欲しい。ただでさえ悪化しつつある中東の対日感情が、取り返しのつかないほどに悪化するぞ。それに、珠玉の世界遺産の数々。破壊されたら私は憤死してしまいかねない。今のうちに、イランにアメリカに降るように(面子を傷つけない形で!)勧めるべきではないのか。面従腹背で構わない。どうせ、もう今のアメリカの首脳陣に、それを見抜けるだけのマトモな外交センスを持った奴はいないのだから。持っていたパウエルとアーミテージは、あの猿大統領に愛想を尽かし果てて辞表を出してしまったし。
ここ数日、私の気を晴らしてくれるのは、中日の名古屋での優勝パレードだけである。良くぞやってくれた。こんな年だからこそ、パレードを敢行して大騒ぎする価値があるのだ。でも、来年こそ、名古屋のファンは真価を問われる年ではないのか。野球を良く知るスタッフを配して中日の試合をレポートする必要性があるだろう。恐らくは無いと思うが、近鉄バファローズの二の舞は、本当に、本当に御免だ。

11月2日 (楽天イーグルスねえ・・・)

長く続いた茶番が終わった。茶番の幕引きに相応しく、オーナーは全て楽天支持だったそうな。この件に関して、個人的に一番鬱なのは、このHP、インフォシークって楽天なのよね。それなのに楽天の悪口書いているのって物凄く鬱だ。

とまあ、それはさておき。
今日は京大で海外留学セミナーというのがあったので行って来た。最初のセミナーから(留学体験談は抜けた。話をする人がオーストラリアとアメリカ留学の経験者だったから直接関係ないし)お目当てのイギリス留学説明までしばらく時間があったので、友人そーちょーと雑談しながら古本祭りを見てまわった。びっくりした物としては、『歴史とは何か』の初版。何処の誰が売ったのだろう・・・後、トイレの研究書というのもあった。間違いなく真面目な本であると見当がつくのに、目次を見ただけで二人して涙が出るほどに笑い転げてしまった。あれ、値段が半額の千円だったら買ったのになあ。

11月1日

修論中間報告前、最後の演習報告が終わった。相変わらずまとまりは無かったが、こういう方向でまとめてはどうかというものだけは見えてきた。何とか形にするべえ。

イラクで日本人旅行者が殺された。謹んでご冥福を祈る。
しかし、伝わってくる情報からは、被害者となった人物の、驚くほどの状況認識の甘さが浮かび上がってくる。半ズボンで入国した、という話を聞いたとき、私は耳を疑った。実話だとすれば、到底信じ難い。
彼はNZでワーホリで滞在していたとの事である。カイロ・臥竜庵のまる塾長によれば、オセアニアでのワーホリあがりの人々には、バックパッカーとしての常識が欠けている人間が多いという。その言葉を裏付けるようなのが、今回の亡くなられた方の行動。イスラエルからヨルダンを経由してイラク・・・等と、私には想像が到底不可能なルートである。もしビンボー旅行者としての経験を積んでいるならば、−というか私ならば、イスタンブールかカイロによって情報収集をするだろう。それすらしなかったという事は、

@イスラエルで、経験豊かな旅行者との交流が殆ど無かった
Aイスラエル国内で、イラク情勢について良質な情報に接する機会が少なかった

こんな事態が考えられる。・・・なんだか、今後の中東情勢を考える上で、少なからず示唆される所が多いなあ。

ところで、今回の報道であるが、毎日新聞を読んでいて驚愕した。紙面に書かれた記事には、当然ながら記者の所在地が書かれるのだが、それにバグダッド駐在を示す目印が何処にも無かった。おい、バグダッドにも行かない連中が事態を云々しているのか?ちなみに読売は間違いなく記者を撤退させているとの事。おいおい、イラクの現状を知らん連中がイラク情勢について語っているのか・・・
中東情勢音痴はマスコミもそうなのだが、政府も酷い。自衛隊の駐留を一年延長している場合じゃないでしょ。今、国内でこそ、経験豊富な自衛隊の活動が要請されるところじゃないの?イラクに自衛隊を派遣したその年に台風と地震で痛めつけられまくるとは、少しは自らの失政について省みるべきではないのか。
為政者が余りにも政道を誤りすぎると、天が罰を下す。昔、そんな概念があったそうな。今、日本の状況を見てみると、迷信だと笑い飛ばすことが出来ない。そう思っていたら、昔の旅仲間や盟友たちにも、同様の事を言う人がいたりする。

10月28日

今日は学部生の卒論中間発表の日、外国史の報告を全て聴いて来た。三分の二が理解できなかったけどね。

海の彼方から、極めて不快なニュースが入って来た。あの礼儀知らずの糞ったれ球団、ボストン・レッドソックスがワールドシリーズを制覇したというのだ。未来永劫呪われっちまえ、と思っていたらこの体たらくだ。今年のワールドシリーズの組み合わせでで盛り上がれるマスコミ各社のエア・ヘッドなエキサイト振りが、私には到底、信じ難い。これで、
「日本のプロ野球チームが取る筈だった選手を横取りした球団がメジャーを制覇した」
という、前例が出来たんだぞ?何故、誰もその事に思いを馳せない?

ところで日本シリーズだが、今年は盛り上がらなかったらしい。良いじゃない、名古屋では盛り上がっていたんだし、ファンチームが特に無い人たちには
「今年の日本シリーズは面白い」
って言ってた人が結構いたぞ。全国平均で視聴率を出して大騒ぎするなんて低能な事をマスコミがやっているだけだろうと思っていたら、
「いややっぱり中日が日本シリーズ出るようじゃ駄目なんですって」
言われて唖然とした。ああ、こんな関西なんて地域に本拠を構えていたからバファローズは滅んだんだなあ、と納得した。いくら
「地域密着」
を掲げても、ここ関西じゃあ受け入れてもらえまい。関西には、地域密着の地方球団という発想が無かったのだから。関西人にとっては、
『虚塵が表象する「東京」に対抗する、アンチ・テーゼとしての阪神』
が何よりも重要だったのだ。これは阪急や近鉄が・・・いや、西本幸雄や仰木彬がいくら頑張って最強の軍団を作り上げても、無駄だったわけだ・・・阪神が如何に虚塵に依存していたのか、それも良く納得できた。

相変わらず、この国は中央集権の発想しか出来んのだな・・・
中日は、西武じゃなくて「日本」に負けたのだな。それが良くわかった。

10月25日(紹介 岩明均『ヒストリエ』)

同じ日付が続きますが、これはちょっと節を改めないと書けない文章なんでご容赦を。

今日、大学院の同僚に紹介されて、面白そうなので買ってしまった一冊。漫画であるが、主人公の設定が、頭抜けて面白い。

「カルディアの人、エウメネス」
といって分かる人が、一体何人居るだろうか。アレクサンドロス大王の宮廷書記官として常に大王の側近に居た人物で、大王の死後に起こったディアドコイ(後継者)戦争期には一軍を率いる将軍としてアンティゴノス一世独眼王と死闘を展開し、最後までアレクサンドロスの王家に忠誠を尽くし続けて敗死した、非業の英傑である。
つまりはこの本もアレクサンドロス大王英雄伝の一つとなる・・・のだろうが、まさかこの人物に目を付ける人が居るとは思わなかった。まずその時点で、この本は大きく読者の意表を付いている。アレクサンドロス大王の伝記をリュシマコスに語らせた安彦良和氏も面白いが、その着眼点を遥かに上回るといって良いのではないだろうか。
もし仮に、このエウメネスの一代記で卒論を書きたいという人が出て来たら、私は絶句した挙句に全面的にバックアップするのではないかと思う。退けるには勿体無い、面白すぎる観点を設定しているからである。
第一巻は抑え目の筆致だが、それでもメムノン・バルシネ・アリストテレス・カッリステネス・アンティゴノスと豪華な登場人物が顔を並べており、初っ端からこれだけのキャストを繰り出して来た力量には脱帽する。特に後年の最大の強敵となるアンティゴノスをいきなり出して来るなど、実に楽しい構成である。この後が楽しみな一冊。

10月25日(2004プロ野球、終戦)

遂に日本シリーズが終わった。
嗚呼、西武を破っての日本一は成らなかったか・・・無念ではあるが、納得はできる。このチーム相手に負けたのならば、仕方があるまい。
「また日本シリーズに呪われたか」
という感はあるが。未だ未だ発展途上のチームだ。来年には、さらに一回り強くなってシーズンを戦ってくれるだろう。互いに死力を尽くした、良いシリーズだった。

感動をありがとう!

その西武、気になる事が一つ。何で西武ドームにあんなに西武ファンが少ないんですか。所沢での第3〜第5戦、三塁側スタンドは中日ファンで埋まっていた。おかしな話である。ナゴヤドームは殆ど中日ファンで埋まっていて、伊東監督のインタビューの時には怖いほどに静まり返っていたというのに・・・あれほど魅力のあるチームを応援に行く地元ファンが少ないってどういう事?経営努力しなさ過ぎではないか。所沢の人々も、勿体無い事をするもんだ。西武、試合運び絶対に面白いぞ。

10月22日

ヤンキースがレッドソックスに負けたらしい。何をやっとるんじゃ!どうでもいいけど、このレッドソックスが中日からケビン・ミラーを奪って行ったって事、日本の全国マスコミは(被害者が中日だからだろうね)、全て忘却したらしい。あれさ、忘れた振りして良いのかな。中日ファンは忘れていないんだけど。これまでは存在した、選手獲得に関する日米間の
「紳士協定」
が、容易に破られる素地と先例を作っちゃったと思うんだけどね。その事を、しっかり掘り下げた報道って見た事が無いんだよね。良いのかな、そんなんで。

それはさておいて、一日中バイトの後、今日はそーちょーが拙亭に来て日本シリーズをともに観戦した。恐ろしく白熱し引き締まった試合展開に、下宿の壁が薄い事を完璧に忘却して絶叫しまくる我々二人。守備でも興奮する事が出来るという事を教えてくれた、6回裏の中日の守備だった。

10月21日

昨日はまた、台風が来た。全くもう、幾つ来れば気が済むんだ?思わぬ副産物として、下鴨劇場の1回生の人たちと交流できたというのはあるけれども。それにしても、
「柴田さんってペンション系の人ですよね」
という私への評価は微妙だな。そこにいた上回生約二名は、
「それを言うなら中東系だろ」
と、突っ込んでいたように思う。個人的には、彼女は
「山小屋系の人間」
と言いたかったんだろう、と思っているけれども。

10月19日

5年前の1999年には全然マトモに観なかった日本シリーズだが、今年は全て観ている。
あまりにも壮絶な試合ばかりで、興奮のボルテージがリミットを常に越えている。大抵は晩飯の時間なのだが、箸が全然進まない。エキサイトしすぎて吐きそうになる事が一分に一回(もっとかもしれない)。ここまでの興奮は、アテネ五輪体操男子団体決勝を生で観て以来かもしれない。いや待て、甲子園の準々決勝はその後だったっけ。
敗けても、ここまですごい試合をやってくれるとあまり悔しくない。というか、最後は疲れきってしまっていた。相手が虚塵じゃないから、変に敵愾心燃やさなくても良い、純粋に勝負を楽しめば良いんだから、楽っちゃ楽・・・というと、一部ウソが混じる。第二戦では和田のホームランで
「中日はどれだけ日本シリーズに嫌われとるんじゃ!」
と頭に来て思わず電気ポットを蹴飛ばしてしまいましたから。
でも、やっぱり、ペナントレースよりも気が楽だ。これはマジで。本当に純粋にエキサイトして野球を楽しんでいられる。

思わず書きそびれたが、史学ゼミ後期第一回。今日は歴史教育の話で、まず最近は絶対に取り沙汰される
「歴史を学ぶ必要があるのか。特に世界史を学ぶ必要性は?」
という命題を真剣に考え、
「世界史を教えているおかげで、他国の事を過去に遡って考える事が出来るという、非常に大きなメリットがあるのだ」
という、有意義な結論が出た(議論のネタと結論はこれだけじゃないけどね)。

10月15日(茶番)

脚本が悪い芝居は、未だ演出が何とかすれば観れる芝居に修正することは出来る。そのどちらもが無能を晒していたら、どうなるか。今回の新規参入球団ヒアリングを見ていて、そんな感想を抱いた。

もとより茶番であるが、ここまで出来が悪いと反吐が出る。何で新規参入球団の審査に際して、アダルトサイトが取り沙汰されなければならないのか?
「他に叩く所が思いつかない(程に自分たちは無能だ)」
「とにかくライブドアには加入して欲しくない」
と、堂々と宣言しているようなものではないか。我慢して見守り続けてきたが、限界である。見るに耐えない。ついでに、この茶番を大々的に取り上げて
「ライブドアが参入に大ピンチ!」「楽天は大前進!」
などと書いて天下取ったような気分でいる連中に言いたい(そう、おまえだよおまえ!3Kスポーツ!)。既にファンたちは手前たちに愛想を尽かし果てている。手前らまとめて、今から海外に取材に出かけて行って、ジャーナリストの何たるかをじっくり勉強してきやがれ。

これで、虚塵の中央集権に全面依存してきたNPBの命運は尽きたな・・・
後は地方球団として確立している中日・福岡ダイエー・北海道日本ハム・広島といったところがどういう動きを見せるか、という所だろう。

10月14日

昨日からトラブルだらけで散々だったバイトが終了した後、学部生の演習と院生の演習終了後に、史学科の院生全員で院生室の本棚整理作業。プランの立て方は可也好い加減だった(言い出しっぺは僕です)が、皆さん良く動いてくれたから、予想よりもはるかに早く、1時間もしないうちに終わってくれた。
その後はなぜかしら延々と猥談してたな・・・

10月12日(祭りが終わって)

日曜日に実家に帰って、今日まで居た。今年もまた、毎年恒例の豊山町秋の祭礼で、太鼓を叩く為、帰省していたのである。
例年であれば週末の金曜日には実家に帰るのだが、今年は10日の日曜日に中村哲医師のノートルダム女子大での講演会が入ってしまったので、帰るに帰れなくなってしまったのである。
その中村医師の講演会は友人・そーちょー氏と一緒に聴きに行き、実行委員会の一人・K嬢と雑談したりもしていたが、講演が終わった後の質疑応答は、途中で抜け出さざるを得なかった。時間が無かったのである。で、新幹線に乗り込んだのだが、のぞみに自由席が出来ているとは知らなかった。恥ずかしながら、駅員さんに
「この自由席券でのぞみって乗れるんですか」
と思わず聞いてしまう次第。
実家に帰ってそのまま、祭囃子の練習に行った事は言うまでも無い。

翌、11日。
子供たちを仕切る事で頭は一杯なのだが、太鼓を叩く調子もイマイチで、午前中の練習時に(祭りの本番であるところの山車と神社での神楽奉納は午後だから)必死で調整していたら何とか間に合った。一応、仕切るのも穏当に済んだ。ああ疲れた・・・何だか、小学生たちの相手が年々、大変になって行っているような気がする。対照的に、6歳以下の幼児たちの相手をするのは、全く苦にならない。いずれにしても、大学の授業で
「子供の心理学」
を履修する必要は、私には全く必要ないかもしれん。実地で経験積んでますから。でも逆に、勉強してみたい気はするなあ・・・取り敢えずは、もっとちゃんと叱る事を覚えないといけないなあ。

10月4日

演習報告。まとまりが無かった報告に先生がまとまりをつけてくださった。これに依存しているようでは駄目なんだが、仕方があるまい・・・全てこんな慌しい時に、勉強そっちのけにしてくれた我が中日とイチロー選手が悪いのだ。昨日も思わず、落合監督が出演するというのでサンデースポーツを観てしまった。いやあ嬉しい嬉しい。めでたい限り。

夕刻に友人そーちょーと雑談。今年の中日は、玄人受けする実に渋い野球をするなあ、と話していた。つまり、あの野球の面白みは、伝える側であるアナウンサーとファンに対しても、それ相応の素養を要求するという事。なんだか最近の私には、バントとかで揺さぶりをかけたりする野球が、やけに面白くなってきたからなあ・・・そこで思い出すのは、今年の春の選抜で準優勝した愛工大名電である。長打力を隠してバントしまくり、かと思えば次の試合ではヒッティング攻勢に出て、と散々に面白い野球を展開して、挙句に決勝戦まで行った。この時からか、野球の見方がガラッと変わったような気がする。
落合監督の常に悠然たる笑顔を見ているとふと思い出してしまうのは、その名電を破り、その前に東邦を破り、さらには(私の目の前で!)中京を破った、
「笑顔の魔術師」
済美の上甲監督である。あの人も、笑顔で選手たちをノセて、今年は春夏両方とも決勝戦まで駒を進めたからなあ・・・

中日ファンがあまりナゴヤドームに行っていないというが、落合監督はファンにも意識改革を迫っているんだ、という事を意識して欲しいもんだ。その事に気が付いて野球をきっちり、・・・そうだな、まずは高校野球を観るのが良いかもしれない。いい試合と呼ばれているカードは、バントやエンドランをきちんと決めて、派手さに走らないもんだ。中日が阪急の二の舞になるのはゴメンだ。
そう、派手な本塁打よりも、二塁打の方が投手は嫌だってよく言うもんね・・・

それにしても、
「無死満塁で一点が入れば併殺でも良いんだ」
とか、
「野球では、攻撃できるのは投手だけ、打者は受身なんだ」
と言う監督は初めて見るような気がする。しかもこれが、現役時代には
「ミスター三冠王」
の名を欲しいままにした伝説の強打者のコメントだからね・・・まだまだ勉強させられそうだ。

10月2日(夜)

祝!イチロー選手快挙達成!

いやあ、全く以ってめでたい。
それにしても、瞬間的に思ったのは、
「さすがはイチロー選手、中日スポーツの一面トップを落合中日から奪わないでいてくれた」
という事。そんな事は夢にも思っていないだろうが、そう思わせて欲しい。

今年は、太平洋の東西で、大鑑虚砲主義に走る日本プロ野球へのアンチテーゼを掲げた男が、天下を取ってくれた。即ち、日本ではなんと
「飛ばないボール」
を使った中日がセリーグを制し、かたやアメリカではひたすらヒットを積み重ねて八十年の埃に隠れていた記録に、誇り高きプレーヤーが光を当ててくれた。これほど痛快な年があろうか。もっともイチロー選手は長打が少ない事を抽象する向きも多少あるようだが、これへの反論を読んでみるのも面白い。ベーブ・ルースが登場するまでは、本塁打の価値は低く見られていた、と玉木正之氏が言っているぞ。こちらをごらんあれ。

10月2日(朝)

今朝は二言だけ。

中日ドラゴンズ優勝万歳!万歳!万々歳!

もうひとつ。

ざまあみやがれ!これが野球の醍醐味ってもんだ!

昨日は、友人つかちー氏と合流して祝杯を揚げていた。なんと、酒が美味かったことか・・・
今年も我がドラゴンズは散々に叩かれまくった。こういう年に優勝するからこそ、大騒ぎする意味と価値があるんだ。

今朝勝った中日スポーツには、なんとイチロー選手からのコメントが届けられていた。驚くと同時に、
「さすがはイチロー選手である」
と、思わず破顔してしまった。

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