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3月31日、夜(祈りを、祝いを)

天よ、わが守護神道祖神よ、請い願わくは、我が祝杯を快く御許に納め賜え。
この身が祝いの杯を干す事を赦し賜え。

さあ、祝い酒だ!

3月31日(お昼の話)

愛工大名電と東邦のセンバツベスト8万歳!
今日は午前中、早めに大学に行こうと思っていたのだが、甲子園の中継を見だしたらクギ付けになってしまった。本日第一試合、東邦VS東海大相模、物凄く良い試合だった。
大学に行ったものの殆ど勉強をせず、好天につられて散歩していたら下鴨劇場の発声練習に付き合ったりパネルばらしをしたり打ち合わせをしたりと、良く解らない一日だった。

3月29日(解る人にしか解らない話)

本日、バイト後に某後輩Nの下宿にて鍋をご馳走になる。Nの親族もはなはだ愉しんだ様子、欣快の至りである。以上。

3月28日

愛工大名電と東邦高校のセンバツ一回戦突破万歳!
東邦とか、相手が育英高校だからどうしようかと思っていた(しかも試合の時は古代史研で京大にクギ付けだったから心配だった)が、延長十回サヨナラ勝ちか。まずまずの滑り出しでしょう。どちらも。

久し振りのバイトの時に、これまた久し振りに月刊アフタヌーンを立ち読みした。お目当ては『げんしけん』と『ヒストリエ』である。『げんしけん』はなんと卒業式で、しかも卒業回生が全員無事に卒業した上に進路まできちんと決まっていて、ついでに全員スーツを着ていた。卒業式の格好がコスプレと紙一重、もしくはそれを凌駕する私には信じ難い。『ヒストリエ』は、暫くチェックする事が出来なかった。久々に読んでみたら、主人公たるカルディアのエウメネスが奴隷として運ばれるはずだった船が黒海で沈没したものの、彼は助かるという設定。うーむそうか、どうやって逃げ出すかと思ったら船が沈没という手があったか。でもこの後、どう展開するんだろ?取り敢えず、エウメネスの仇敵ヘカタイオスは、どうやらエウメネスの手にかかって殺される事は無いようだが。

3月27日(膝痛なのに正座をしたら足が痛い)

京大で古代史研究会の例会があったが、その前に府大に寄って大戸先生からお借りした本を回収してくる。府大に行ったら山のような人だかりが大学会館のあたりに出来ていて、何事かと少し離れたところでビラ配りをしていた下劇の現役生たちに聞こうとしたら、まず一回生の子に言われたのが
「変な人にばかり会う」
って、6歳も7歳も年上の人間を捕まえて何を言うんだ君は一体・・・私をへこませて何が楽しいというのだ。
それはさておいて。
どうやら後期入学者の入学手続きの日だったらしい。大学院の入学手続きと、日を分けたという事か。

古代史研は、今日は立命館の篠原さんの報告と、京大の佐野さんの紹介。篠原さんの報告は先月にも聞いたモノにプラスアルファしたもの。非常に緻密である。
続く佐野さんの報告は、
「西洋古代は映画の中で如何に描かれてきたのか」
という事を論じた本を紹介し、それを基にしていろいろ言いたい放題に話す、というもの。これは結構面白かった。ローマについては数多く出ているのに対して古典期の、まさしく最盛期のギリシアを題材にした映画は無いな、という議論になったが、懇親会で大戸先生の仰った感想が面白かった。

「アレクサンドロス大王のような人物の悩みを観客が共有できるわけが無い。そんな人物を描いても、それは受けないよ」

うーむ成る程。その大戸先生には、修士論文の駄目出しをしていただいた。酒の酔いがいっぺんに吹っ飛んだ瞬間だった。ああ、胃が痛かった。

3月26日(何が主目的だったんだ一体)

昼頃、下宿を発って大阪へ。阪急で梅田に出て、そこから地下鉄で日本橋に至る。昨日後輩Oと一緒に回った所を、今日は一人で回る。一人だと当然気楽で、同人誌の店よりも電気屋とか模型のショーウインドーの方が多い。今日見て回りながら考えていたのが、東京・秋葉原と大阪・日本橋の、世界に冠たるオタクたちの聖地の

「世界最大のオタク街巡礼者への総合ガイドブック」

を作成して英語で出版したらドカ売れするだろうな、という事。そう考えてみて回っていたが、ふと思ったのは同人誌って殆ど日本語だけど日本語が読めない人が読んで理解できるのかな、という事。まあ、同人誌だけ売っている店というのは殆ど無いから、やっぱり売れるか。

で、夜。本当はこちらが今日のメインイベント、ワンダリングパーティー公演「ココアのひと匙」を観て来る。解りにくいところで、迷いそうになった。石川啄木のダメ人間ぶりを前面に押し出した芝居でかなり面白かったが、それよりもかなり安定しているな、というのが感想。おかげで安心してみる事が出来るが、今回様々にぶち込んだ(三味線奏者が所々で演奏していた)手配りのような工夫を、今後もまた展開していくのだろうか。楽しみだ。

3月25日(八犬伝の珍解釈)

今日は日中、ドクターの入学手続きがあった。それが終わった後は勉強・・・と行きたいが諸事雑事があったために、それほど集中できたわけではない。

夕刻、晩飯の支度を済ませて京都精華大学へ行く。下鴨劇場の後輩谷内さんが脚本・演出をする、劇団『すきっす』公演「八犬伝〜女たちの一念!信心ならば伝説?〜」を観てきた。言うまでもなく、滝沢馬琴原作『南総里見八犬伝』を下敷きにした芝居であるが、うーむ、まさか2時間40分もかかるとはなあ・・・もうちょっと間を詰めたり台詞を端折ったりすれば、もっと短くなったのだろうし、ダレなかっただろうが・・・変に原典に忠実でありすぎたな。役者たちも、台詞を噛みすぎ。出演者のうち二人が公演前日に府大の卒業式に出ていたから、無茶と言えば無謀なのだが。
観終わった後、同じ時間帯に見に来ていたナカノ実験室が、色々とダメだしを言った後、出演者の一人に述べた『八犬伝』の解釈が、極めつけに面白かった。

「要するに八犬伝って、八人の男たちが玉を持って棒を振り回して暴れまくるっていう、物凄くいやらしい話やな。しかも玉を交換したりしてるし、みんな玉袋まで持っているし、無茶苦茶やな」

死ぬほど笑った。笑いすぎで腹筋は引きつるし、自転車のサドルを叩きすぎて手は痛いし、ろくな事はない。斬新だ。斬新過ぎる解釈だ。

私も、芝居を見ながら『八犬伝』の解釈を考えていたという点では同様だ。
正直、
「しまった」
と心中に叫んでしまった。ここに日本近世という時代を、そしてひいては日本という国を分析する格好の題材があるではないか。ひたすらに
「因縁」
で物語を繋ぐ、この大長編小説は、異国の人に内容を説明するには、安部謹也の「世間論」と井沢元彦の「言霊」「怨霊」の概念を駆使する必要があるだろう。この物語は、「言霊」「怨霊」の支配する「世間」に生きている日本人には何ら違和感なく理解できる話だが、その概念を体得していない異国の人には、荒唐無稽としか映らないだろう。すなわち、この作品を材料として、「世間」のない国の人たちに「世間」を説明しようとすれば、それだけで日本文学・日本史・社会学どの領域でも−いや、それらを統合した観点で以って解釈する必要があるだろう。それが出来れば卒論、いやいや博論くらい書けそうな題材が目の前に転がっていたのである。不覚、痛恨の極みだが・・・

やれやれ、また自分の分野以外のところで面白いテーマを見つけてしまった・・・

3月23日(今度も、卒業式は雨だった)

やっぱり、また雨かよ。

卒業式がある3月23日の天気予報をチェックする度に、私の嘆息は長くなっていった。卒業式の前日と当日だけが雨で、それ以外の日は晴れという天気予報では、気分も暗くなろうというものである。

もともと、私が卒業する日は殆どが雨だ。小学校の卒業式も雨だったし、確か中学校の時も雨だった。高校や大学の学部の卒業式も、間違いなく雨だった。
要するに、雨男なのである。
かつて、下鴨劇場在籍時代も公演の度に雨に祟られた。
「俺雨男やから」
といって開き直る同僚がいたので何も言わなかったが、その横で私は自分が雨男である事を主張するべきかどうか、いつも思案していたものである。何しろ、沙漠で夜行列車に乗っていた時に雷鳴がとどろくくらいの大雨に遭遇している人間である。実績は充分である。

この雨男というのは、考えてみれば理屈には合わない。井沢元彦の「言霊」論を援用するまでも無く、特定の個人の都合に合わせて天気が変動するはずが無いからである。

しかし、いくら理屈に合わなくとも、私が卒業式の度に雨に祟られてきたという事実を目の前にしては、自分が雨男であるという事を信じざるを得ない。
そして、今日も雨だった。
せめて式の間だけはもって欲しい。そう願って外に出ると、ちょうどぽつぽつと雨が降り出した所だった。私は、天に向かって悪罵するしかなかった。

府立大の北のコンサートホールで行われた卒業式では、睡眠不足で居眠りしそうになった。スーツを着ていても、頭に巻いたエジプトの布の所為で頭がぬくぬくとしているから、まあ眠気を催すのは当然か。
取り敢えず、私の姿を見て、先生は苦笑、友人や後輩たちは爆笑していた。こんな中途半端な姿でも笑ってもらう事が出来て、まあ御の字か。
そのときに撮った写真は、八代目トップページ写真としてアップロードしました。見てください。

式や修了証の受領(遅刻しました)、写真撮影や先生方への挨拶などが済んで、百万遍のコピー屋で先生からお借りしていた本のコピーが済んで外に出ると、雨は完全に上がっていた。雲が夕焼けすら微かに照らす西の空に向かって、私は再び悪罵した。

2005年3月23日 京都府立大学博士前期過程修了 天気:雨

3月22日(ツアー嫌い、ツアーを語る)

昨日、後輩から相談を受けている時に、ふとした事から
「気晴らしには海外にふらりと行くのが一番良い」
という話になり、航空券の値段をチェックしていた時の事。当然ながら、私はこういう際にはツアーの料金などは一切チェックを入れないのだが、相談相手の後輩が、
「一人で海外行くって怖くありませんか」
と聞いてきた。この問答をする機会が何故か最近多いが、最初に海外に行った20歳の時から今に至るまでの殆どの海外旅行が一人旅だった私には、海外一人旅の何が怖いのかがまるで解らない。
私は、こう答えた。

「ツアーの何が楽しいのかが俺にはサッパリ理解できない」
「若いうちは、一人で行った方が絶対に経験値が上がるし、何より人に気を使わなくて済むから、慣れたら一人旅の方が楽だ」
「それに、ツアーで行ったり仲間同士で行ったりして、他の人と仲が悪くなる方がよっぽど怖い」

複数名でパーティーを組んで海外を旅していると、かなりの確立で仲違いしてしまう。一人で旅行する理由の一つには、この人に気を遣うのが嫌だ、という事が少なからずある。
ただし、私の場合はもっと根源的にツアーを嫌う理由があるようだ。

小学生とか中学生の頃から、私は遠足とか修学旅行とかになると必ず班長をやらされた。これは、とてつもなく苦痛だった。というのも、誰よりも団体行動が駄目で単独行動を好む人間が(思えば、下鴨劇場時代も役者じゃなくて音響だった)、グループのまとめ役をやらされるのである。こんな不条理な事は無いな、と私は行事の度に嘆息していたものである。
思うに、その当時から、
「旅は一人でするもんだ」
と信じていたように思う。
だから、未だにツアーとかは全然駄目である。だって団体行動じゃないか。団体行動の何が楽しいんだ。旅の予定とかが全部組まれているというのは確かに楽だろうが、私はせめて海外に居る時くらいは一人になりたい。
大体、一人旅の方がプランは自由に組めるし、ツアーと違って余計なモノを見ることが出来る。この余計なモノ、言い換えれば訪問先の国が観光客に見せたくないモノであるが、それこそが在外経験としては得難いものとなる。具体的な例を挙げれば、中国を旅行する際に、ツアー客用のバスや飛行機を駆使して観光地を回るよりも、硬座(二等座席)や硬臥(二等寝台)で超長距離の移動をこなし続けた方が、多くのものを見る事が出来る。その経験から
「中国はむこう百年、日本を越える事は無い」
「いずれ中国は大動乱の時を迎える可能性がでかい」
という持論を編み出した私としては、旅は一人でできる限りは独りで行きたい。

無論の事、ツアーにも利点はある。しかし、ヨーロッパはともかく、アジアではツアーで行ったらつまらない国の方が圧倒的に多いと思う。中国、インド、パキスタン、いずれも独りでふらりと行った方が絶対に面白い。ヨーロッパについては日本とほぼ同様の感覚で旅行が出来るから、ツアーで行こうが行くまいが同じ。アルファベットが読めれば良いんだから。
ツアーは楽だという話を良く聞くが、日程調整の楽さの陰に、見落としているものがあまりにも多い。その見落としているものを拾い集めて思考の肥しにしている私には、ツアーは無理ですな。

つまりは、一人になって、外からこの国と自分とを見る機会が欲しいから、海外に行くのだ。そういう事にしておこう。

3月21日(酒呑み、酒に飲まれる)

夕刻、たまたま百万遍のあたりまで足を伸ばしたついでに、高野のカナート洛北に足を伸ばした。そこの地下の酒屋が非常に良いという話が、昨日の酒呑み話の中で出たのだ。
酒屋「やまや」のコーナーに足を踏み入れる前、店の表の通路に面しているところに並んでいる酒を見ていた私の足が、手が、目が、完全にクギ付けになってしまった。
私がこの上なく愛する銘柄、ハンガリーのトカイがあったのだから無理も無い。

4年前、2001年の1月4日、日本へと帰る前日にブダペストの市場で買い求めたトカイ、あの美味い白ワインのうち一本は洛北の下宿で、一人だけで呑み尽くし、もう一本は卒業式のときに下鴨劇場の同僚たちと呑んだものである。
その思い出の一本が、目の前にあるのだ。

「明日買おう、明日で良いじゃないか」
よくわからない理屈で自分を丸め込もうとした。
丸め込める訳が無かった。

10分後、大事そうにトカイワインのビンを抱えてレジに並ぶ私は、幸福極まりない敗北感に浸りきっていた。

3月20日(春の総会)

ぽかぽかと非常に良い陽気の中、台所回りの掃除をする。完全な混沌と化していた台所回りだったが、多少はスッキリした。睡眠も、本当に久し振りにタップリ取ったし。これで、多少の気候の変動にも対応できるだろう。

夜、四条川端某所にてT2マフィア春の総会。何故総会かは、解る人だけ解って下さい。これ以上の書きようが無いんです。でも、色々心配事が増えた・・・

3月19日(奔れ!オタク魂)

後輩かづちやえ氏の主宰する、劇団「すきっす」の公演「八犬伝」の舞台仕込みが今日からあり、冷やかしついでに手伝いに行ってきた。
まず哀しかったのが、道に迷った事。会場である京都精華大学に最後に行ったのはもう4年程前になるから、ほぼ完全に位置を忘れていたのだ。記憶に残った道筋を必死でたどって、何とかたどり着く事が出来たのは奇跡である。
到着したのは11時過ぎだったが、資材搬入が今日からという事で、仕込もうにもモノが不足していて全然進まないという状態。そんな中でも、ブースを仕込みながら音響周辺の人たちと
「仕込み中にはどんな音楽を流すか」
という話が徐々にヒートアップして、アニソンを歌いながらアニメの話で異様なほどに盛り上がる。やはり、私がオタクでないというのは無理な主張かなあ。
そして、何人かの役者よりも私の方が小屋入りが早かった。何故。

それにしても、当然ながら世代が私とは違うのだよなあ皆・・・

3月18日

今朝の目覚ましテレビを観ていて、失笑で爆笑してしまったニュースが二つあった。

@フジのライブドア対抗策について
「日本民間放送連盟の日枝久会長が、敵対的買収に対する組織を民放連内に設置した」
そうな。
「日本民間放送連盟」と並んで「フジテレビ会長」を付けないといけないで良いんですか?フジ・サンケイグループは、日本のマスメディアの代表選手じゃないでしょうが。自身に対する攻撃を、あたかもマスコミ全体の危機のように報道しているあたり、冷笑と失笑を禁じえない。
まあ、ライブドア堀江社長が
「(新聞・テレビなどの既存メディアが)殺されるのは間違いない」
と公言している事に対する反発は大きいようだから、マスコミ全体の危機と取っても良いかもしれないが、次に挙げるような報道をしているようじゃあ終わっている。

A一週間後に迫った日本vsイラン戦について
日本チーム応援に駆けつける日本人サポーターに対して、
「女性サポーターも特例により入場できるが、現地の風習を守ってください」
と言う呼びかけは、支持できる(個人的には、批判を恐れず「女性は応援に行かない方が良いと思われる」と言い切ってしまった方が良いと思うのだが。基本的にはイランのスタジアムでは女性は観戦出来ないし、それでなくとも応援でエキサイトした女性に現地の風習を守り続けるだけの理性を期待するのは酷だし無理を強いる事であるから)。
しかし、それに続いて次のような報道をした事で、馬鹿決定である。

「イランでは国防上の理由から都市での写真撮影は禁止されていますので、自粛してください」

・・・確かに、理屈の上では正しい。ただし、あくまでも表面上は正しいという、それだけの事である。
実情はかなり違う。このHPを見て頂きたい。このHPの写真集「飛ばずにイスタンブール編」に治められているイランの写真そのものが、この報道に対する完全にして非常に有効な反証となる事は、見て頂いている人たちには良くお解りになるであろう。
ま、私の手許にあるイランの写真では、観光施設以外の市街地の写真は少ないけれど。フィルム三本くらいしか消費しなかったからなあ。
それはさておき。
イスラム革命当初は写真撮影に対して神経過敏になっていたのは間違いないが、1990年時点で既に、相当に規制が緩くなっていたのは、蔵前仁一『旅で眠りたい』を一読したらすぐに解る事である。即ち、現状を充分に認識しないままの報道が多すぎる。下の方の1月6日分記事でも書いたけど、意見を聞くべき人たちに聞かず、思い込みだけで報道しているケースがあまりにも多い。
そんな既存マスコミに、生き残る価値があるのか。「韓流」をめぐる報道を見ても、心底疑わしく思う。

3月13日

本日、バイトが終わった後は下宿の本棚の本を整理していたのだが、一休みして昼食の準備をしていた時の事。愛用の一人鍋(よこさまの結婚式の引き出物ではない、念の為。あれは使うの勿体無いので仕舞ってある)で味噌煮込みを煮ていた。
すると、突然鍋が割れた。
さすがに愕然とした。ヒビが入っているのには気付いていたけど、まさか割れるとは思わなかった。百円で買った安物だったのがいけなかったのかな・・・また買って来なければ。

夜、後輩多数が出演する蚤の市4th「花と握手」を観て来る。予想はしていたが、西部講堂のソワレは寒い。何しろ今日は日中に雪が吹雪いていたし、・・・それでもここまで寒くなるとは思わなかったな。非常に芸が細かく手の込んだ芝居で、こういうの好きだな。入りが多少グダグダだったのが玉に瑕か。芝居が終わった後は、11時まで舞台バラシを手伝う。手が真っ黒。この感覚も懐かしい。

3月12日(追いコンの季節が来ました・其の弐)

昨日は、下鴨劇場第五期生の追い出しコンパ。しかし残念ながら一人は欠席、一人はドタキャン、一人は音信不通で出席したのは三人・・・である。昨年谷底どっきゅん倶楽部入りした釈迦谷悟氏は、卒業回生だけれども追い出される面子にはカウントしない。念の為。
雨の中、昨年や一昨年と同様に京都府立大学桂会館にての宴。手作りの会だが、週末とはいっても平日の金曜日で、OBの参加率は非常に低かった。私とよっしー、ナカノ実験室やむっちーくらいのものだろうか。実験室は一升瓶ラッパ呑みとかやっていて早々に死んでいたけれども。私はといえば、最後の方は片付けを勝手に手伝っていたなあ。僕が入学した年に小学校六年生とか中学一年生だった子(そう、もう「人たち」というより「子たち」と言った方が本当にしっくりくる)たちの手伝いを。
追い出しコンパ恒例と化した、卒回生出演公演のダイジェストビデオ放映。面白かった。個人的には、最大の失敗にして音狂人生の汚点、「たとんぼ」が放映され無くて心から安堵した。映像が流されていたら悶え狂うところであった。映像が編集氏の手許に無かったという事である。

某金融機関に勤めている後輩のコメントでは、フジとライブドアの抗争は、一言で言えばアリと象の喧嘩だという。それくらい、経営規模に差があるという。成る程、その通りであろう。金融機関の人間のコメントには説得力がある。しかしこのアリ、未だ毒を隠し持っているような気がする。それに、巨象は目を潰して暴走させれば体力はたちどころに尽きて自滅するだろう。どのような策を持っているのか。それが楽しみだ。

3月8日(追いコンの時期が来ました・其の一)

史学ゼミ来年度に向けての第一回ミーティング及び追い出しコンパ。今年は、一年を通して、かなりうまい事行っていたというのが感想である。特に一回生の奮闘ぶりは賞賛に値するものであった。来年度もこの調子で行って欲しいものである。
追いコンですが、一次会はともかく、二次会のカラオケで最初の一時間で10曲ばかり連続で歌うハメに陥って死ぬかと思いました。

3月6日

京大のCOEプロジェクト「近代ヨーロッパにおける人文主義の継承と変容― 政治文化・古典研究・大学 ―」(長いな)に出席してくる。まあ、主催者の御一人から招待状を頂いたので、出席を拒絶する事など不可能であったのである。
面白い報告を聞く事が出来たのでよかった。
驚いたのは、参加者の人数。そこそこ大きな講義室が一杯になった。もっと少人数しか来ないものと思っていたのに。

ところで、今日は難波の某定食屋の店主が、ライブドアのほりえもんと密談しに行く日なのだが、首尾はどうなったのだろう。サンテレビをターゲットに含めているようだが、どうなる事やら。

3月4日(珍遊記)

後輩Oとともに、大阪・日本橋を散策してまわった。
といっても、主にオタクたちの徘徊するあたりである。普段は素通りしている私だが、今日は連れに従いノコノコと歩き回る。あまり来た機会が無いとはいえ、この場所を訪問する際には電器屋や模型関係の店ばかりをうろついているが、同人誌が置いてある店が多いので吃驚。ついでに、今まで全然気が付かなかった事にも吃驚。
そんな訳で、十年ぶりに同人誌を何冊か購入してきた。今、読んで爆笑しながら本稿を入力している。

3月2日

府大の博士後期過程、通りました。
もう暫く勉強を続けていきます。

3月1日(映画「アレキサンダー」を観て)

今日は映画の日で入場料が千円になるので、巷で襤褸カスに叩かれている話題の映画「アレキサンダー」を観て来た。注文していた本が着いたりして慌しい日だったけれども。
全体の感想の前に一言。
長い。
3時間である。
今日などはバイトの夜勤明けで睡眠不足が限界を突破しており、3時間スクリーンを観ているのはきつかった。
では、気がついた事を順に列挙していく。これから観るという方は、観終わってから下記の感想を読んでコメントしてください。

@「アレクサンドロス大王=東西融合」のイメージについて
「ギリシア文化と西アジアの文化の融合」
というヘレニズム時代へのイメージは、ヘレニズム史の研究者の間では主流では無くなって久しい。ギリシア文化は果たして支配者の文化としての優位性を確保していたのかどうか、ギリシアの「自由と民主主義」が何処まで重要性を持っていたのか、現在でも大激論の真っ最中であるが、ギリシア文化を過度に絶対視してきた近代歴史学に対する批判と見直しが、現在では主流になってきているだろう。
アレクサンドロス自身についても、東西の民族融和を志向したわけでは必ずしも無いという認識が最近では出て来ている。だから、この映画でアレクサンドロス大王が
「東西の融合」「ギリシアの自由」
を声高に主張した時、唖然とした。大王を東西融合論者、理想主義者とする見方が未だ西洋でも根強いという事が解った。それだけでも観た価値があった。

Aピリッポス二世暗殺について
 これは難しい。何しろ、専門家たちが何年議論を重ねても、暗殺の背景の定説を描ききれていないからである。
 ピリッポスとオリュンピアスが不仲であった事を理由に、アレクサンドロスの王位継承に危機感を抱いたオリュンピアスが手を打ったという描写であった。しかし、オリュンピアスは王妃の地位を剥奪されたわけではないし(ヘレニズム時代はともかく、アレクサンドロス大王時代までマケドニア王家は複数王妃制)、父王暗殺までに内政・軍事的に能力を発揮していたアレクサンドロスを積極的に廃嫡する理由が、ピリッポスには皆無である。結局、直接の犯人が逃走中に殺されてしまったので、背景事情は完全に闇で、想像ばかりが先走るという状態である。
 こんな状況だから、世界で一流の学者たちがホームズさんの真似事を延々とする羽目になってしまうのである。もっとも、そのおかげで面白い研究がいろいろ出ているけれども。

Bアレクサンドロス一代記に適した長さは如何ほどか
 観ながら思ったのは、アレクサンドロス大王という人物を一本の映画にまとめる事の無謀さである。たった33年に過ぎない人生だが、幼少期はともかく、16歳から後は山場の連続で、史料や研究書を読んでいると目を回しそうになる。劇中も集中力が途中から欠けてきたが、これはつまらないというよりも、見せ場だらけでお腹一杯になってしまったり、目を回してしまった為であろう。せめて「トロイ」みたいな一騎打ちのシーンでもあれば別だったかもしれないが。
最も適した長さは、大河ドラマのような一年間・50本程度のドラマならばピッタリくる主題だろう。映画ならば、前後編ないしは三部作くらいがちょうど良い。三部作なら、第一部はテーバイを焼き尽くした後でヘラス同盟軍を率いてボスポラス海峡を渡るところ、第二部は小アジア制圧からイッソス会戦を経てエジプトを征服してガウガメラ前夜まで、そして第三部をガウガメラから死に至るまで、という具合に分割できる。そうすれば、ちょうど良い具合な構成になると思われる。。
出来が悪いというより、一本にまとめようというのが無茶だった、と結論付けるべきであろう。

と、色々書いてきて最後に一言。

これもまた、星の数のごとくに出されてきたアレクサンドロス大王の英雄伝説の一つ、2005年時点におけるサーガなのである。このサーガの後ろにある西欧の一般的通念が確認出来ただけでも、観た価値があった。
会戦のシーンとか、よく出来ていた。でも、目がまわりそうになった。

2月27日

同志社で研究会があったので、出席してきた。本日の報告者・篠原氏の話はかなり面白かったが、何よりもアテナイについては全然知らん事ばかりなので、かなり勉強になった。次回の担当、私になっちまった。そろそろ来る頃だとは思っていたが・・・まあ、逃げに逃げた負債をまとめて払う時期が来たという事だろう。さっさと、後輩Oに借りたスクールランブル三昧の日々にけりをつけんとやばいな。

一番面白かったのは、研究会の最後に今後の段取りを決めている時に某先生の携帯電話が鳴り出して、その着信音を聞いた別の先生が
「あ、ガンダムだ」
とつぶやいた事。

2月26日(もう下劇も8期生か)

下鴨劇場の後輩たちの新人公演「コーヒー富田」を観て来る。脚本・演出を新人がやるとは、なかなか元気である。作演を担当した人の学業成績が物凄く心配である。
芝居の筋は無理が無い、というかやり易い構成で台本が出来ていたが、難は全体を通して台詞の語尾の歯切れが悪かった事か。何事によらず、言葉というのは歯切れが良い方が、構成が締まって間も取り易い。その為、全体として歯切れが悪かったように思う。
とはいえ、新人公演である。元気が出ていた。私も、元気を出さなければ。空元気でもいいから。

2月25日

ほりえもんにエールをおくる。
断固、彼を支持します。

2月23日

まずは、昨日分の追記から。
昨日、下鴨劇場への後輩たちへの陣中見舞いの際、

一週間遅れのバレンタインチョコをあげました。

色々間違えているとの事ですが、まあ良いでしょう。

今日は、またその後輩たちと昼食を一緒に食らう。女子ばかりの中に独り取り残されて、傍から見ると羨ましいのかもしれないが、私はこういうシチュエーションになると腰が引ける。
これくらい年齢差があると、なんだか引率をやらされていた昔を思い出す。
ああ、そうだ、シルクロード横断直前に、算盤塾に挨拶に行ったら、練習中のちびっこ達に
「おじさーん」
といわれてヘコんだのだ。そのとき私をオジサンと言った子供たちは今、彼女たちと同じくらいの年齢なのだ。なごむのかへこむのかよく解らない、事実である。

2月22日

バイトで襤褸襤褸だった。朝のニュースで、ファイターズのダルビッシュが喫煙がばれて停学&無期限謹慎というニュースを見たから、余計にへこんだ。
何処まで馬鹿なんだ、愚劣なんだ、と罵倒を禁じえない。ダルビッシュに対してでは無い。写真を撮って報道した輩と、掲載を採用した無能な編集者に対して、である。
それくらい大目に見てやろうよ。そんなせせこましい事して、将来の逸材を潰そうと躍起になるよりも、将来大物になった彼を取材した方が楽しいでしょ。そんなちっぽけな事を手柄顔で誇り、あまつさえ偉そうな顔をして説教たれる無能者しか育てられないから、いつまでたってもこの国にはジャーナリストを養成する土壌が育たないんだ。

暗い気分で文化博物館のエジプト展を観に行く。かなり良いものを持ってきて展示している。日本にも、良いものが渡って来ているんだな。まあ、今日観たようなものは、後ろ暗いものは殆どあるまい。危ないものに手を出さなくても、エジプトには良いものが多いから。
その後、ある先生に本をお貸ししたら、招待券をいただいてしまった。なんだか申し訳ない気分。でも、私はもう行ってしまったから、誰かにあげよう。府大に行けば、下劇の後輩たちが新人公演の仕込み現場を陣中見舞い。

ほっとした気分でインターネットを見たら、またイランのケルマン州で地震らしい。また、へこんで来た。

2月17日

博士後期の入試が終わった。同時に、修士論文の試問も終わった。
終わったな・・・いろんな意味で。
午前中の筆記試験はまだしも、午後の試問の方がヘコんだ。実のところ、修論は提出以降、一昨日あたりまで殆ど読んでいなかったのだ。というよりも、とても読む気になれなかった。あまりにも、生々しすぎて・・・読もうとすると、拒絶反応に近いものがあった。
試問では殆ど反論も出来やしなかったが、
「整理しきれていない」「踏み込みが甘い」「文章が口語的」
といった指摘はまだしも、
「構成を間違えているのではないか」
と指摘された時が、一番ヘコんだかなあ・・・

2月15日

今朝、リンク集をいじるついでに更新履歴をいじっていたら止まらなくなってしまった。おかげで、更新履歴から当HP内の各ページに飛ぶのが楽になったとは思うが。
ここ数日はドイツ語にかかりっきりだが、なかなか単語が頭に入って来ないなあ・・・相変わらず、自分の頭の悪さには哀しくなる。

2月12日

谷底どっきゅん倶楽部の後輩・藤田君が出演するクラッカージャック最終公演「ミサイルは降り注ぐ、されどヒーローは苦笑い」(長いタイトルだな・・・)を観て来た。道中で宣伝美術のY女史にばったり会ったが、二人とも遅刻寸前で慌てていた。
さすがは藤田君、面白さ抜群の演技である。しかし、これで彼の舞台は最後だろうなあ。残念だ・・・

2月10日

今日までしか上映していないという事で、「カンフーハッスル」を観てきた。どうせならスピルバーグの「ターミナル」も観たかったのだが、こちらはMOVIXではやっていなかった。午前の部を観に行ったら、2分ほど遅れてしまったが、まあ大した問題じゃあない。客も殆どいなかった。チャウ・シンチーにスティーヴン(ステファン)っていうイングリッシュ・ネームがあったというのが、最後の字幕で判明した。やっぱり香港人だけの事はある。
さすがはチャウ・シンチー、何回
「ありえねー!」
と呟いた事やら。面白い。大笑いである。笑え、と全力で叫んでいるような映画であった。

2月5日

修論提出翌日から昨日まで連日バイトをぶち込まれていて、今日ようやっとじっくり9時間寝る事が出来、今はかなりサッパリスッキリした状態。
いや、本当に大変だったね・・・とりあえず、眠かった。

今日はこの後、T2マフィアSIBAの会があるのである。呑むぞぉ!

2月1日

昨日はフラフラでした。
どのくらいフラフラだったかというと、晩飯食いながら居眠りしていました。
さすがにビビりましたが、サウナの中でも居眠りしてしまってもっとビビりました。
ホームページの更新、よくやる気になったな・・・

そんな状態ですが、今日は昼からバイトがありました。
2時ぐらいに吹雪いていて、焦ったけれども。
7時くらいにはそこから北山に戻って、史学ゼミの後輩と四方山話をしながら呑んでいました。
たまには、くろ川で長話をじっくりやるというのも良いもんです。

1月31日(修士論文提出)

当HPをごらんの皆様、ご心配くださいましてまことに有り難うございました。
本日、修論を無事に提出する事が出来ました。
一向に読むスピードが上がらないギリシア語スキルの無さの為に悩まされ続けましたが、何とか無理矢理、仕上げました。

今日までほぼ二日連続で徹夜、本日夕刻には睡眠不足でヘロヘロでした。
今もそうです。ああ、眠い・・・

1月27日

夜なべして、ようやく修論の結論らしきものが姿を見せた。本論を書きながら更正を重ねるという無茶な事をやったから、時間がかかったんだな・・・まだこれから、構成を見直さなければならないけれども。
出た結論を見ながら、あらためて長嘆息する。
夢の無い結論だなあ・・・

1月22日

修論の最終チェックがあった。註が全然出来ていなくて、先生に見ていただく前に鬱になったけれども。
その後、研究会に出席して戻って来ると、旅行人冬の号が届いていた。蔵前編集長・・・喜んで良いのか喚いて良いのか解らないです。

1月21日

最近、ようやくギリシア語を読むスピードが上がって来たように思う。少しは、慣れてきたのだろうか。
もっとも、スピードだけである。相変わらず、不正確な事この上ない。昨日も、
「何故こんな訳になるんだ!」
とぶつぶつ文句を言いたくなる一文に突き当たって、カリカリきた。
ああ、いつになったら馴染むのかな・・・

1月16日

やっぱりコメントしておいた方が良いのかな。
イギリスのヘンリー王子(正確に言えば「王孫」だろうけど)がナチスの仮装をした事について、である。→こちら

少しは驚いたかな。ヨーロッパでも、若者の中でのナチスへの認識は、この程度のものなんだ、と。
まあそれでも、続けて次のようにも考えた。
ナチスというのは宣伝工作に物凄いエネルギーを注いだ連中だし、歴史の知識が浅ければ、服を身につけたくもなるだろう(小室哲哉やYOSHIKIが、そのファッションセンスの先鋭性から、ナチスに心酔しているというのは有名な話)。
ただ、チャールズ王太子が
「アウシュヴィッツを見て来い」「シンドラーのリストを観よ」
と言っているのには、ちょっと待ってくれと言いたくなった。まあ良心的と評価される言葉だろうし、至極真っ当な台詞に聞こえるが、パレスティーナの実情を見た事も無い若造がアウシュヴイッツなど見てしまうと、
「ユダヤ人は可哀相な歴史を歩んだのだからイスラエルが多少横暴な事をやっても許してやるべきだ」
と無邪気に主張する人間が一人出来る危険がある。それも、主要国で国連五大国の一国の国家元首候補者の中に、だ。
そこまで考えると、チャールズ王太子の発言にも問題点が指摘できる。バランスという点を考慮するならば、些か問題のある発言だろう。
所詮、イスラエルはヨーロッパのオナニズムの象徴なのだ。

イスラエルが英国王室に謝罪を要求したという話については、論外である。奴らに謝罪を要求する資格は無い。当然ながら。

1月14日

今日、博士後期過程の願書を提出してきた。これまで5日ほど、修論の進行を殆どストップして「研究計画書」なるものを書いていた。これがまた、やけに時間を取られる。やりたい事を書けばいいのだが、規定枚数ってもんがあるらしく、それに達するように書いていたら死にそうな状態になった。
それも今日までだ。後は、修論を書き上げる事に専念するだけだ。

それにしても、顎が寒い。博士入試の(写真の)為に先週日曜日に髭を剃ったのだが、おかげで顎はおろか、首筋まで暴力的に寒い。私の髭が咽喉を寒風から防護している事を改めて認識した、1月の夜であった。
髭を剃った事について、友人たちの意見はほぼ一致して
「髭は(私の)不可欠の構成要素として定着しているから、剃る意味は殆ど無いでしょう」
との事である。剃らなきゃ良かったかな・・・何しろ寒いし。

1月9日

昨日にアバンティで買って来た、諫山実生「月のワルツ」をエンドレスでリピートかけて聴いている。シングルを原価で買うなんて何年振りになるのか、忘れてしまうくらい久し振りだな。NHK「みんなのうた」でかかっていた時に気に入ったのである。年末からずっと探していたけど何処の店でも品切れで買えなかったのだ。コピーコントロールCDは再生機器の寿命を縮めると聞いた事があるから、さっさとMDに落とさないといけないが。

かなり珍しく、ほぼ終日下宿にいた。修論はあまり進まないのだが・・・晩飯を食べながら「少林サッカー」を観ていた昨日は論外としても、一昨日には元旦放送の「新シルクロード」プロローグを観て、興奮のあまり悶絶しかけてジタバタしていた。完全な禁断症状である。ああ、たまらん。それにしても魚児溝駅、誰も降りる人が(私が通過した)4年前にはいなかったけど、完全なゴースト・タウンだね。コルラが恐ろしく大都会でびっくりしたけど。あの南彊鉄道に乗った時、乗客の殆どが降りたのがコルラだったのを、思い出していたらやっぱり禁断症状でジタバタ。駄目だこりゃ。

1月6日

昨日だったか一昨日だったか、テレビ朝日の報道ステーションで、バックパッカーについて色々と語っていた。こいつら長期個人旅行者について予備知識殆ど無しで作っているだろうな、と思いながら見ていた。少しはまっとうな事を言っているかな、と見ている時は時はチラッと思ったが、思い返してみると矢張り駄目である。予想通り、予備知識皆無、正確な現状認識皆無だった。録画して、駄目だししてやればよかったな・・・格好の批判の対象として興味深かったのだが。
タイのバンコクで長期滞在している沈没者について「最近の傾向」としている時点で、思い込みだけで番組を制作しているのがモロにバレバレだ。『深夜特急』や『旅で眠りたい』でも読みなさいっての。思い込みというのはつまり、
「海外を個人で長期旅行している人間なんて、どうせろくでなしだ」
という事。だからいい加減な編集や構成しか出来ない。
私であれば、真っ先に旅行人の蔵前編集長に話を聞きに行くだろう。それがベストだ。もう少し言えば、『旅行人』に噛んでいる人間を出さなかった時点で、終わっている。せめて、宇佐波雄策・元朝日新聞アジア総局長でも関わっていたら、違った編集になったんだろうが。

1月3日

すっかり忘れていたが、元旦にトルコが遂にデノミを実施したんだ。ここ数年、噂になっていたから、今回もただの噂だろうと思っていたら本当にやってしまった。まあ、1ドル=150万TLだからなあ。
と、年毎のインフレ率をウィキペディアで見て、首を傾げた。インフレ率が、ここ数年は思ったほどではない。1999年は1ドル=31万TL、2000年は68万TL、2001年は120万TLだから、その時期から比較するとかなり落ち着いている、様に見える。しかし、対ユーロでのインフレ率はどうなっているのかな。
それにしても、TLの下の単位・クルシュなんて、どんなトルコマニアも馴染みがないぞ。私もリラの下の単位なんて、接した事も無ければ知りもしなかったし。

あ、昨日はシルクロード見ていなかったなあ。星野仙一物語を見ていたから。どうせシルクロード再放送するし。

1月2日

予定よりも一日早く、実家から帰ってきた。まあ、新年会が元旦にあったからだけれども。
京都に戻ってくる前に「ハウルの動く城」を地元で観てきた。なるほど、これは賛否両論真っ二つになるわけだ。個人的には好きだが、劇場内では結構ガサゴソする音が聞こえた。ソフィーに色気があるか、年頃の女の子の色香があるかどうかっていると・・・ううむ、こいつは良く解らん。宮崎アニメのもつ、キャラの
「ひたむきさ」
は、充分に持っていたんだが。どうかな、と思った最大の理由は、登場人物全員が物語りの渦の中に叩き込まれて右往左往している、というわけではなかった事だな。後は、観てのお楽しみですが。
「千と千尋の神隠し」の時には、大人たちの啜り泣きが聞こえたんだけどね・・・
実家にいるときの記録は下記。全画面でご覧ください。でないと折角つけた段差もわかりゃしない。


1月1日

新年会です。
こんな日ですが、私は安閑としていられず、台所で母の手伝いに追われてました。その一方で、再兄弟たちの世話に追われておりました。小皇帝たちの世話は大変だ。それも台所仕事をこなしながらだからなあ・・・母は偉大である事を実感した正月一日でした。

12月31日

大雪の中大掃除って気違い沙汰だ。まあ気違い沙汰なのは天気であって掃除をしている我々じゃあないと信じたいが。

12月30日

腰が痛い。
今日は実家で餅つきなのだが、普段ならば手返しをやってくれるハズの人が軒並みつかまらず、結果として私は一臼として餅をつかず、代わりに全ての餅の手返しをするハメになった。途中から腰が猛烈に痛くなりだす。そりゃ、ずっと中腰なんだから当たり前だ。

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