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7月23日(出国当日は27回目の誕生日)

こんなに慌ただしい誕生日も珍しいな・・・例年、イベントとは全く無関係な日だから、のたくらしている事が多いのだが。
ようやく、準備が大体終わった。今9割終了という所だろうか。
ここから先は、旅を続けながら整えていけばいいだろう。
全く旅とは関係ない荷物がやたらに多くなってしまったけれども。
睡眠時間3時間だから眠くて大変だ・・・

そんなわけで、またちょっくら旅に帰ってきます。

7月21日

昼に西洋史の院生たちの昼食会の後、ようやく米ドルを作りに行った。この一ヶ月で円がかなり安くなってしまい、落胆していたら、夜に中国人民元が切り下げられたとの報が入って来た。やっとかと思ったが、レートはこれまでの1US$=8.26元の固定レートから8.11元になったとの事。またレートを覚え直さなければ・・・って、どーせ中国なんて向こう数年は行く事がないから良いんだけど。

7月17日

山鉾巡行当日に三条寺町に自転車で突っ込む奴は大莫迦者であろう。今日の私がそうです。
ワンダリング・パーティー第10回公演「コンフュージョンズ!」を観るためであるが、御池通の人混みには閉口した。危うく遅れる所・・・いや実は遅刻していた。ただ、開演が5分押しになったから助かっただけの事である。今回の芝居はオリジナルではないためか、「らしさ」があまり前面に出ていないように感じたな。何も中村健が出ていない所為ではあるまい。

7月16日

昼下がり、京大のCOE研究会に顔を出してきた。8時間寝たのに眠いのは、単にハードワークの所為か?報告は結構面白かったのだが。

夜は、友人とともに祇園祭の宵山に行ってきた。昨年は宵々山、それも6時前から10時まで四条川端某所の呑み屋で呑んでいたからそれほど手ひどい洗礼には遭わなかったのだが、今年はモロに突っ込んでしまってエラい目に遭った。愉しかったですけれども。出店に気を取られ過ぎて鉾をじっくり見る事が出来なかったのが、遺憾といえば遺憾かな。腹減っていたし。

7月14日

フランスの革命記念日、いわゆるパリ祭の日である。外電とかろくすっぽ見なかったけれども、セーヌ河周辺では大騒ぎしていたのだろうな。

今日は、バイトに行く前に三条河原町のIACEトラベルに行き、エジプト行きのチケットを購入してきた。ううむ、やはり三週間しかいる事が出来ないか・・・イスタンブールに行くかどうか、これは賭けだな。まあ、私の旅はいつも賭けの連続だが。

7月12日

史学ゼミ、本年度前期はラスト。今日は前期の反省と、今後の予定を検討。反省会の割には、えらく時間がかかったな・・・

7月9日(始動)

エジプト行きの際に手土産とする書籍を、本日より本格的に集め始めた。といっても今日は終日の雨、思うようにはかどらない。結局、収穫は『封神演技』三冊だけか。まあ、近場の古本屋の状況はおおよそ把握できたから、良しとするか。立ち読みに耽りすぎた・・・
しかし、おかげで下宿の片づけがお座なりなままだ。これも何とかしないと。

7月4日

友人が夕刻から拙宅を訪問したので、雨の中、下宿は片づけで修羅場と化した。取り敢えず、机の上とか本棚とか滅茶苦茶な事になっていたから、少しは整理しないとまずい状況でした。楽しんでいただけたのかどうか、いささか心許ない所だが。
何しろうちの下宿、本棚に近寄られたら容易に崩れそうだからなあ・・・

7月1日

昨日、大学院全体ゼミが、何とか終わった。
完全な胴体着陸だったが・・・やっぱり、学部の演習は行くの止めといた方が楽だったかな?まあ、終わってから言うのも難だが。

今日は映画の日である事を思い出し、雨を衝いて三条へ。封切りからかなり経ったが、オーランド・ブルーム主演の「キングダム・オヴ・ヘヴン」を観る。チケット千円にもかかわらず客席がガラガラだったのは、やはり時間が経ったのと、上映時間2時間20分に尻込みしたのだろうか?
・・・まあ、突っ込みどころは満載だったが、なかなか面白かった。特に会戦のシーンが。

6月27日(追憶の情景)

夕刻よりバイト。後輩Oが、『げんしけん』第六巻を貸して寄越した。今週末、30日に院ゼミで報告だというのに、私に死ねというのか・・・如何に先週末、24日に予備報告が済んでいるとはいえ、殺生な・・・

それはさておき、今巻の『げんしけん』には、思わず唸る所があった。
登場人物の中に大野という帰国子女がいるのだが、この大野は1年生の10月から編入してきた為に、他の同期生たちより卒業が一年遅れになる。この大野が、一年先輩のキャラたちが卒業する直前、
「みんな・・・先に卒業しちゃう・・・」
と同僚たちの前で大泣きしてしまうのである。静かなシーンだけに、嗚咽の声が耳に痛い。

「ああ、わかるなあ、この気持ち」

思わず感情移入してしまうのは、同じ言葉を1998年から2000年にかけて幾度となく心中に繰り返し呟いてきたからだろうか。あの頃は、本当に悩んだからなあ。旅もしたいし、でも同僚たちとは同じ年に卒業式やりたかったし。旅に出たら出たで、同僚たちの顔は見たいし。
結局、旅を優先させたのだが。
後悔はしていないが、今でも、
「もし、あの時、思い切っていなければ」「旅に出ていなければ」
と、時に思ったりもする。そんな昔の自分を思い出した、漫画の一コマだった。

6月23日

ギリギリのところで、自分が一万ヒットを踏むという莫迦な事をしでかさずに済みました。
今日は3時間睡眠で活動しているので、身体がフラフラです。今朝、朝食を食べていたら船を漕いでしまいました。それもこれも、明日報告だからです、ってこんな時に日記の更新なんて悠長な事をやっていて良いのかよ・・・
まあ、報告以外に抱えていた懸案が片づいたから、それで良いか。

6月21日

昨日、エジプト行きの航空券の予約を入れました。
7月23日、バースデーフライトの予定です。

6月18日

盛り上がっていたが、プロ野球交流戦が終わりつつある。やって良かったとは思う。あと6年、早くやっていればなあ・・・
それはさておいて、ちと長過ぎやしないか、いくら何でも。スポンサーが付いて交流戦の優勝賞金が出たのは良いが、やはり長いでしょ。日程も過密だし。ついでに、地方球団は不利だし。そこら辺を再考する必要があるな。
日本のプロ野球はすでに終わっている、とは今年も繰り返し思い続けているが。
「こいつら全然駄目だ、問題を理解しようと努力する気が無い」
と冷笑と憤激を、何度ウインドウに向かって投げつけたかわかりゃしない。

でも、人の事は言えた義理ではないか・・・
最近は発言がワンパターン化しているからなあ。
自分の正しさを信じるのは良いが、果たしてそれが他人から見ても正しいか、しばしば見失う事が多いですから、私も。

今日は属州研究会の後、四条川端某所にて酒を呑む。呑みすぎではないが、食い過ぎ。まあ今日は久々に大量に寝たから良いか。

6月17日(消息不明・・・でもまあ心配はされないか)

最近はどうも消息不明になっていてしまいまして申し訳ありません。
二週間近く、消息が無い事になっていますなあ・・・
まあ、たまには消息不明になりたい事もありますんで、ご容赦の程を。
しかし、エジプト行きのチケット、あの値段はマジかなあ。

下鴨劇場の後輩たちの芝居を見てきた。こんな早い時期に公演を打つとは自殺行為だな、と思った。今回の芝居は三本立てと、ますます自殺行為だとかなり前から心配だったが、本番の始まる週に
「昨日レパ(台本)があがりました」
とか言う話を出演者の一人から聞いたので、ますます心配になってしまう。
それはさておき。
今回の芝居は、新人たちの練習的な意味合いが強いな、と見ていて感じた。三本目は殆どエチュード(即興)をアレンジしたものだったし。駄目出しをするような時期ではないし、勢いはあったから、このままの勢いでこの公演は押し切った方が良いだろう。
未だ若いのだ、元気が一番・・・と書いて良い歳ではないな、私も。

6月9日

今年もまた、蛍が疎水の辺りを舞い始めた。
誰かとゆっくり見ていたいのだが、その時間的余裕がないのが痛い。

6月5日(下宿が修羅場)

昼少し前に起きたら、相変わらず下宿は修羅場だった。私の体調も修羅場だった。

全ては、洛北史学会の為に時間が取られた事、そして今まで下宿をほったらかしにしていた怠惰に起因する事である。
下宿を片づけようにも、本棚から溢れ出した本を整理しておく棚は無い、やっと買ったら今度は棚を組んで部屋を整理する為の時間を全て院の仕事の事務で取られてしまい、その合間を塗って棚を組み、下宿の様々なモノの配置を組み替え、・・・とやっていたら、一昨日辺りから下宿が本格的に修羅場と化していた。
こういう場合は一日全部使って片づけをやるしかないのだが、それをやろうにも昨日は洛北史学会の為、一日中大学に詰めている必要があった。「争い/戦争−歴史の視座と方法」と題された全体シンポジウム、西洋史の報告がないのは残念だった(でも、西洋史だと誰を呼ぶのが良いんかな?)が、それにもまして
「これ、まとまった議論になるのか?」
という不安。それと同じくらい不安、というより不安定なのが現在の私の下宿。様々な不安の連鎖の中、シンポジウムは、事前の不安よりは遙かに面白い報告と議論を聞く事が出来た。

争いというモノが人と人との不安によって引き起こされるモノだとすれば、現在の私の状況=不安の連鎖は、まさしく今回のシンポジウムのテーマに、ある意味では相応しい状態だったのかもしれないなあ、ってそれは冗談であるが。

しかし、手放しで喜ぶ事が出来なかった。マイクの音が割れまくっていて、PA総担当の私は最前列で頭を抱えながら号泣していた。ちなみに、音割れを気にした人は全然いなかったけど。

そして懇親会。呑み過ぎた。その結果が今朝の二日酔い。その二日酔いが醒めた頃に起き出して、下宿の整理。修羅場がどんどん悪化していったが、何とか睡眠をとれそうな状況には落ち着かせる事が出来た。もう、これ以上は悪化せんだろ。勉強出来ない・・・

6月2日(雑草一言)

今の日本の首相は、ある意味では中国と韓国、それに北朝鮮にとっては最も国益に適った首相だな。もちろん、皮肉であるが。

6月1日(我も老いたかな)

授業後、三条新京極MOVIX京都へ行く。話題の映画、機動戦士Zガンダム「星を継ぐ者」を、さる知人と共に観る為である。観ていて興奮するというより、冷静に分析してしまった。何しろ、本放送時(20年前)の使い回しが多すぎ。半分くらいは使い回しだったかな?使い回しと新たに描いた部分で、洗練度の差が哀しいくらいに激しかった。メカニックは、新しく描き起こしたモノが多かったように思う。旧作と新作との間の時代の差を感じたのは、レコア・ロンドがノートパソコンを使っているシーンかな。構成の巧さを思わせるシーンだった。
でも、最後のスタッフロールで本放送時のスタッフを見ていたら、改めて絶句する。このスタッフを集めるのは、絶対に無理だろうな。オールスターキャストじゃないか。

5月31日

先回の「亭主消息」では毒を吐きすぎたらしくて心配されたりもしたようですが、、何とか無事に生息しております。心配してくだすった方たち有り難うございます。
いや、凹みましたけど(爆)。
でも、四面楚歌ではない事を知り、心強かったです。元気づけてくれた皆さん、本当に有り難うございます。

今日の史ゼミは、質疑応答を録音して、後で原稿に起こそうという試み。質疑応答は活発ではなかったようだが、現在のテキスト『聖書vs世界史』は、基本的な知識を深めるという類のモノだから、当然といえば当然か。

帰宅したら、中日がやっと連勝していてほっと一安心。

5月27日(しまった毒を吐き過ぎた)

人間が怒る時、あるいは喧嘩をする時というのは、些細な考えの違いから発生するケースが多い。とりわけ、自分が当たり前だと思った事を伝えた時に相手から想定とはかけ離れた反応が返ってきた時、人間は動揺し、腹を立てる事が多いのである。
「何でこんな事でこんな反応を返されなければならないのだ」
そう思い、過剰に対応してしまうのであろう。

何を書いているんだか解らない文章だなあ。
今進めている仕事に関する感慨なのだが、・・・つくづく文系の連中は、自分をアピールする事に及び腰だ、あるいはウェッブサイトに対するアレルギーが過剰だ、という事に、いささか驚き呆れているのだ。あるいは、5年前からウェッブサイト上で個人的な情報が公開されている人間だから、そういうアレルギー反応に鈍感なんだろうか?
その及び腰の姿勢を続けていても、行き着く先はジリ貧なんだと思うのだが。

でも、あんまり過剰な拒絶反応を示されると、取り敢えずムッと来るなあ。
このまま今の仕事を放り投げても誰も困らないだろうけど、俺は知らんぞ、この先どうなっても、どういう時代が来ても。
歴史学徒は翻訳業者じゃないはずだからね、そうじゃないハズだからね、いくら角山栄さんが舶来の説を無節操に有り難がる同業者たちに対して
「てめえら翻訳業者にでもなってしまえ!」
と憤怒をあらわにしたといっても。
ああそうか、翻訳業者になりたくても日本史の人たちは語学力の強化を放棄しているか。

5月25日

さすがに中日やべえ・・・

5月22日

髭を剃ってきました。
髪を剃るついでですが。
おかげで顎が涼しいです。

5月15日(脚が遺体、もとい、痛い)

昨日・一昨日と、西洋史学会に出席する為に神戸大学に行ってきた。
まず吃驚したのが、神戸大学の遠さ。京都市内から阪急で一時間かかるのもさることながら、六甲駅から神戸大学まではバスが出ているのだが、これが物凄い接続が悪いらしい。ある知人は、
「40分待ったけど結局バス来なかったから、タクシーに乗ってきた」
という。私は最初から歩くつもりだったので歩いたが、これがまた恐ろしく遠い。地図で見るとたいした距離じゃないのだが、急な斜面を登るのだ。よく道路標識を見たら、
「六甲山登山口」
と出ている。俺たちは登山コースをスーツに革靴なんていう出で立ちで歩いているのか、といささか鬱・・・にもならないくらいにきつい登り道。しかし、その甲斐あって、というわけでもないが、初日の公開シンポジウムがあった百年記念会館という所から眼下に観る景色は、感嘆の息を吐きすぎて呼吸困難になるくらいに景色が良くて、物凄く贅沢な空間だった。
そんな難コースを踏破し、昨日は
「ヨーロッパの港町」
と題したシンポジウムに出席。報告者を見ると、桜井万里子・深沢克己・斉藤寛海、コメンテーターに村井章介・羽田正(敬称略)と、これは本当に神戸でやっとるんかいなと思うくらいに東大の先生方目白押し(ちなみに、今回の西洋史学会の準備委員会責任者・毛利晶先生は東大出身)。報告がどれも面白かったから全く不満はないんだが。
翌、今日は部会。午前中4本・午後に3本と報告があった。どれも面白かったが、個人的に一番興味を持てたのはアルシャク朝の報告だな。アッカド語を読んでいるのには思わず鼻血を出しそうになったが。英訳で誤魔化すわけには逝きませんかねえ三津間さん。
帰りは途中まで大戸先生などと同道するが、全く酷な所に大学作ったモンだ。毛利先生や高田先生、毎日こんな所に通っておられるんだとしたら、あのほっそりした体型を維持出来るのも不思議はないな。

5月10日

3限の授業を受ける為に先生の研究室に行ったら、なんと学科新入生の研修旅行の為に、今日は休講であった。昨日から必死で準備したのに・・・嗚呼。

さて、気分的には今日からプロ野球の交流戦である。前のカードの様な汚らわしさを覚える相手ではない(まあ、今季終了後にライオンズは球団売却するんだろうけど)為、非常に肩肘の力を抜いて試合経過を見る事が出来る。カブレラのサヨナラアーチで負けたのは些か残念だが、あの球をあそこまで運ばれたら脱帽するしかない。良いゲームであった。
いやあ、交流戦って良いモンですね。今日初めて解った。

5月8日

大学入学一年前から付け続けている日記が、ついに30冊目に突入した。B6サイズ・45頁というのが標準サイズだが、よく続くものだ。下宿の本棚にずらりと並べているが、一応門外不出・他者の閲覧は禁止である。読まれて困る様な内容は殆ど書いていないとは思うけれども。

5月7日(夜)

起床直後にプロ野球の話を書いたので、その続きをば。

昨年、交流戦をやる事が決まった時、初戦の組み合わせをざっと眺めていた。まず興味があったのは我が竜の初戦の対戦相手だが、同時に、交流戦で何処がババを引くか、興味があったのである。
実の所、ある程度想像はついていた。
そして、その通りの答えが出て来て、私は冷笑を禁じ得なかった。

交流戦でのババとは、つまり球団イメージが修復不可能な所まで傷つき、憎まれ役と化したオリックズと初戦で対戦する事である。この国のプロ野球の構造では、こういう場合にババを引くのは我が中日ドラゴンズ、と相場が決まっている。
案の定、交流戦で中日が初戦で対戦する相手はオリックズだった。
私には、その組み合わせと、「楽天vs虚塵」を声高に宣伝する一方で他のカードについて殆ど目につかない様な形で報ずるスポーツ紙の紙面が、

「俺たちは、自分たちの構造を変革する必要性を認めない」

という日本のプロ野球界とマスコミの大声の宣言である様に思えた。だから、冷笑を禁じ得なかった。

それにしても、交流戦直前でウッズに出場停止10試合(慣例では10日間だそうです。どう見ても嫌がらせだよな)を食らったのはともかく、まさかオリックズに連敗するとはなあ・・・ほかのパリーグのどのチームに負けても腹は立たないだろうが、よりにもよって一番腹の立つ相手に連敗するとはなあ。今、戦力の再調整中なんだろうが、それにしてもやはり腹が立つ。たとえ、指揮を執っているのが名将・仰木監督であっても。

5月7日(朝)

史学科・小林先生の院ゼミに参加してきた。睡眠不足の所為か、酒の回りが早い。先生の多趣味人ぶりに、舌を巻く。勝負する気などさらさら無いが、こういう粋人な生き方には、憧れを禁じ得ないなあ。なんといっても格好良いし・・・幹事である後輩O氏の病欠は、つくづく残念である。

さて、中日・ウッズの暴力行為に裁定が下った。出場停止10試合だそうである。5試合くらいで済むかと思ったが、ちと厳しいな・・・まあ、そんなもんかもしれん。マスコミどもの論調に関しては、語る気すら起きん。むろんの事スワローズには含む所は無いし、若松監督の
「ウッズには日本で野球をする資格はない」
発言は、彼の立場から言えば至極当然の事である。しかしそちらばかりを取り上げ、我が竜側に対して理解を示すようなコメント、ないしはデータを示しての説明が一切無いのはどういう事だ。
以下、やはり腹が立つので引用。

>ウッズの蛮行に対し(中略)胸元への投球に激高し
 頭部への投球でした

危険球でもない投球
 一歩間違えたら危険球でした

よくぞまあ、ここまで事実を歪曲して語る事が出来るものだな産経スポーツ。呆れ果てて物もいえないよ。ついでに言うと、この試合に関しては、負けた中日に関するコメントの方が長く、勝ったオリックズに対する記事は滅茶苦茶短かった。おい、編集部、全員死んでこい。
それからもう一つ、腹が立った事がある。

>これまで、出場停止を科す際には期間で示し、移動日なども加えるのが通例だった。

嫌がらせですかプロ野球機構。こりゃあもう今年は虚塵を最下位に叩き落として、大馬鹿者どもの心胆を寒からしめるしかないな。

5月4日

今ニュースをチェックしていたら、俳優・森山周一郎が中日ーヤクルト戦の中継に出て来て
「中日が優勝する年には不吉な事が起きる」
と発言して、苦情が殺到したらしい。ポルコ、言い過ぎだよ本音を・・・実のところ、ドラゴンズファンとしても、彼の発言を否定出来ないんだよな、哀しい事に。
でも、良いんじゃないの。どうせ、名古屋って日本に嫌われているんだから。優勝したら、また大騒ぎしようぜ。
でも森山さん、名古屋出身だな・・・中継観ていないから、どういう流れでこんな事を喋ったのか解らん。

5月3日(睡眠不足による頭痛消えず)

下の記事の後、谷底どっきゅん倶楽部の企画で鳥取砂丘、ならぬ米子に行ってきた。詳細については下記。


4月30日深夜
午後10時半集合というのは、徹夜明けの身には相当にきついものだった。結局集合したのは、名誉部員2名も含めた13人。
さて、行く目的であるが
「旨い魚を食いに行く」
このメンツの人間じゃなければ莫迦だろうと思う。いや、私も相当に莫迦だと思うのだが、その莫迦具合がたまらなく愛しい。
京都組は京都駅八条口で集合、残りは西宮北口で拾って、中国道より米子へ。GW中にもかかわらず、道はガラ空き。高速道路を照らす照明も殆ど無く、窓外の光景が中国を思い出させて、私は漆黒の中を緩やかに起伏する山並みを飽きる事無く見つめていた。

5月1日
早朝、米子到着。境港市役所の前のコンビニで今日の日程を協議、大山に行く事になる。行っている間に風が強くなり、ついでに雨が降り出す。そのまま、終日雨天。しかし、境港で朝に食べた鯛のあら炊きは美味かった。
境港の名物・鬼太郎ロードはすごい。たった300メートルの道路の両脇に、『ゲゲゲの鬼太郎』に出て来た妖怪たちのレプリカントが並ぶ。等身大は、なんと鬼太郎とネズミ男だけ(爆)。その鬼太郎ロードの果てる所にある水木しげる記念館は、記念館とお化け屋敷の融合体という、物凄く斬新な記念館である。子供よりも大人の方が楽しんでいる様な所だったね。
その日のうちに、豪雨の中を帰京。中国道は、相変わらずガラ空き。

その翌日も授業で、さらに今日は早朝からバイトがあったから頭痛が消えない。眠い。そんな状態で、GW恒例の古本祭りに行ったら、疲れた。夜に観た、後輩や知り合いの出る芝居「朝まで生ゴヅラ」で古本祭りの事を喋ったら、後輩チハル君がぼそっと愚痴る。
「何だ、予定って古本祭りですか」
「当たり前だ、この時期は芝居よりも古本祭りの方が重要に決まっている」
取り敢えず、睡眠が欲しい。

4月30日(修羅場がひとまず修了)

今日は同志社の研究会で報告の為、レジュメを打っていたら睡眠時間が2時間。それも、下宿ではなくて研究室の普段は午睡に使っているソファの上で寝る。しかもレジュメの完成が遅れに遅れ、最後まで打ち終わったのは昼ちょい前、
ついでに研究室のコピー機がクラッシュするという泣きっ面に蜂の状態。腹は減ったが極端に気持ち悪く、発表している時には腹がグーグーと鳴る始末。恥ずかしいったらありゃしない。そのくせ、吐きそうに気持ちが悪い。こんな最悪な状態でも何とか無事に済んだのは、まあ恐ろしい突っ込みを入れてくださる他大学の院生さんがあまり居られなかったからだろう。研究会の首座を占める中井先生は在外研究中だしね。

さて、これから鳥取砂丘に行ってきます。

4月28日

レジュメを打っていた為、3時間半睡眠で一限は学部の講義、二限は学部の演習。死にそうに眠い。何とか乗り切ったが。
午後は院の全体演習。突っ込もうにも、専門外の事はさっぱりわからん。まあ、今日は顔見世だし。手書きのレジュメで報告した人が二人いて、それが妙に懐かしい。その後は、大学院の新歓コンパ。

スポーツニュースを見て吹き出しかける。ドラゴンズ、何故あの展開で逆転勝ちしているの?解らねえ・・・

4月25日

一昨日の下鴨劇場の舞台晴らしの際、思いつく限りのアニソンを歌っていたら、後輩に
「柴田さんオタクだって認めましょうよ」
と指摘された。別にオタクである事を否定する気などさらさら無いが、ここ最近のオタクの基準に当てはめると、私は明らかにオタクではないのである。
では、近年のオタクの基準は何か。私の先輩O氏によれば、それは
「萌え」
であるという。成る程、「萌え」から離れた所にある私は、オタクにはならないわけだ。

4月23日(観劇二件)

本日は非常に芸術づいていた?一日。昼に一本、夜に一本芝居を観てきた。
では、下記。

@ユリイカ百貨店「(快晴版)先生、」
ユリイカの芝居を観に行くといつも感じるのは、
「ああ、綺麗な絵だな」
という事。役者の演技は巧いしスタッフワークも安定している。そして脚本・演出が印象的に、綺麗にまとめている。ただし、見せ場や盛り上がりには欠ける。
なんだか、こう盛り上がりに欠ける芝居は、どうなんだろう・・・とりあえず、私は眠くなってしまう。

A演劇実験場下鴨劇場新歓公演「他愛もない話」
芝居のタイトルを見た時に、まず
「おい、新入生を入れる気があるのか?」
と、物凄く不安になった。脚本の設定がえらくブラックで、新入生は引いてしまうんじゃないかと見ていてまた不安になったが、後半はドタバタ芝居になったので、少し安心した。ぶっちゃけた話、こういう役者がドタバタ暴れ回る芝居の方が、新人は入って行きやすいように思う。

下鴨劇場の芝居を観た後は、舞台バラシを手伝ってついでに呑み会にもオプション参加。疲れた。

4月22日(睡眠不足で情緒不安定な新歓の夜)

本日の午後の英書講読の授業直前、研究計画書をM1の院生が先生に提出した時、次の院生演習での計画報告の発表をM2はやらなくて良いのか、と先生に問うた所、
「いや、やらなければいけないだろう」
という事だったのでM2の諸氏にその旨を周知すると、えらく恨まれた。某T女史などは、今日の夜に院生の一部で呑みに行く時に、
「柴田さんは来たら嫌です」
ときたもんだ。私は際限なく凹んだ。恨まれる筋合いは私には無いでしょう。まあいずれにせよ、胃腸の調子がべらぼうに悪いから今日は呑みに行く事は到底不可能だったけれども。

ちなみに今日は、うちの大学では新歓夜祭である。しかし学部は休講になったが、院生は関係ない。そんなわけで午後からも英書講読の授業があった。しかし、午前中はまだしも、午後は絶不調で
「準備不足だなあ」
と指摘されたが、多分バイトの夜勤明け故の睡眠不足と、テキストを読み始めると同時に外から飛び込んで来た、歓声の所為だろう。2限から4限まで全て英書講読だと、さすがにくたびれる。
その新歓夜祭の屋台に足を向けると、私の弱みを握っている某後輩に、・・・以下略。つくづく私は他人に弱みを握られたり玩具にされたりするのが好きな人間である。本当に好きなわけではないと思います、念の為。

そんなボロボロの心と身体を引きずって帰宅すると、注文していたThe Seleukid Royal Economy が届いた。また金が飛んだ・・・

4月17日

昨夜、12時にパソコンをシャットダウンして寝ようとした直後、急遽思い立って、ウェブ上で公開されているディアドコイ・クロニクルをプリントアウトする事を試みた。ここから修羅場が待っていた。いくら設定をいじっても、うまい形にはまってくれないのである。
何とか必要な所をプリントアウトしたら、就寝が1時だった。

そして今日、バイトの為、起床は昨日と同じ5時15分。半ばというより完全に死んだ状態で何とかバイトは乗り切ったものの、その後は使い物にならなかった。この使い物にならない状態で下鴨劇場の舞台仕込みの手伝いに今日も顔を出したのだから、愚かといわざるを得ない。眠い。某後輩の視線が今日も怖いのだが、まあそんな事を承知しつつ細かい作業を手伝ったり差し入れを持って行ったりする私は、所詮はドMなのである。後輩たちの前で公言したように。

上海に滞在中の友人からメールが来た。やはり、新聞で喧伝されている程には反日デモは大したことがないようだ。しかし、中共の本当の狙いは何だ?結局、そこの所が消化不良で不明瞭なままだ。

4月16日(キリスト教徒ではないけれども、許されるであろう)

バイトから帰って来る時、ノートルダム女子大の正門に
「本日2時より故ヨハネ・パウロ二世聖下追悼ミサ」
という看板が出ていたので、出席し、聖下の冥福を祈ってきた。
「諸宗教間の対立の融和」
を掲げていたヨハネ・パウロ二世の追悼ミサらしく、愚僧のようなカソリックの信徒以外の人間にも配慮がなされていて、非常に有り難かった。

それにしても、こういう極めつけの硬派な用事が無い限り、本当にダム女の構内には入る機会が無いなあ・・・

その後は府大に行ったが、後輩たちの舞台仕込みの様子見に行ったら手伝いをしてしまっていた。しかし、調子に乗って半袖シャツになったら微妙に寒い。まだ、半袖は早いか。
まさか、この震えは、約一名の後輩の憐憫の感情を込めた冷笑を含んだ視線の所為ではあるまいな。そうでは無いと信じたい。

4月15日

昨日、大学院の全体演習の後、院生10名強で花見をやる。呑みながら語り出すわ人生相談は始めるわキャッチボールはやり出すわで、非常に面白かった。
問題はその後。研究計画書の締め切りが金曜日なので、泥酔した脳味噌を必死で奮い立たせつつ、計画書を書く。時折、後輩Oが先日貸してくれた『魔法先生ネギま!』を読んで何とか襲い来る眠気を誤魔化す。しかしこの漫画、主人公の詠唱する呪文がラテン語とか古典ギリシア語なので、詠唱される呪文がラテン語かギリシア語か、やたらに気になってしまう。すると、余計に疲れる。
そんな状況で、5時間睡眠で起きてみたら目覚めは最悪。朝食を食べながら計画書を見直すと、怪体な文章になってしまっていて自己嫌悪。授業が終わった後、勉強しようとしてもなかなか勉強できない。そりゃそうだ、眠くて眠くて仕方がない。

4月13日

舞い散る桜の下、非常に快く暖かい晴天の府大で、たまたま出会した下鴨劇場の後輩Aさんと長々と雑談。殆ど雑談だが、私も最近は後輩や友人たちの状況に疎く、非常に貴重な情報が色々聞けた。代償ですか?心の傷という事にしておこうか。

4月12日

史学ゼミ、本日第一回目の会合。新入生が二人ほど来てくれた。まあ初回の顔見世は、非常に良い雰囲気に終始したと思う。彼らを残しつつ、また新たな人間を加入させる事が出来れば御の字である。
新入生の片方が津高の出身でびびったけど。

中国の反日デモが、えらい騒ぎになっている。
上海に留学中の友人F女史が少々心配である。実は、深刻な心配はしていない。女性だし、そこまで暴力的な事はされないだろうと思っている。
なんだか、裏が見え透いていて嫌なのだ。かつて当欄(亭主消息(当時は「日記帳」)2004年3月25日分)でも類似の事件について述べたが、あの国はデモとかは基本的に禁止の筈。何故、あれほど激しいデモが容認されるのか。何故、「歴史教科書」と「日本の安保理常任理事国反対」がタイアップされるのか。
「何故、こんな時期に?」
思えば思うほど、違和感を禁じ得ない。

しかし、今こそ、戦後の歴史学を再考する好機であろう。
危機こそ、好機であろうから。

4月9日

シンポジウムの後、拙亭に珍友H氏来襲。来ていきなり寝ようとするから呆れる。その後、くろ川で呑み、さらに後輩Oの下宿へ。予想通りに見たくもないモノが山と積まれていた。

4月8日

今日はガイダンスの後花見をする予定だったのだが、土壇場でキャンセル、お流れとなった。まあ、そうはいっても6時までいろいろ雑務で潰れてしまったから、中止になって良かったのかもしれない。
その代わりに、古顔(爆)の院生たちの呑み会に連れて行ってもらった。いやあ楽しかった。

少しだけ残念なのは、ヨハネ・パウロ二世の追悼ミサに参加できなかったことだけだな。

4月6日(府大で三回目の入学式)

本日、京都府立大学の入学式があった。私も博士後期過程に進むから、出席してきた。
しかしなあ・・・入学式が三回目・・・さすがに初々しさとは完全に無縁になっちまったな・・・
式に続いてサークルの勧誘が列を為している所を突っ切らねばならないのだが、どこぞのサークルがビラを渡そうとしてくれた以外は、何処のサークルもビラをくれなかった。当たり前か。下鴨劇場の後輩たちには大笑いされるし。私のスーツは、何故そんなにも笑われる・・・

すっかり暖かく、というより暑くなってしまったので、帰宅後は下宿を冬仕様から春夏秋仕様に模様替え。というより、8日に拙亭に4人ほど大挙して押し寄せるので、片付けを昨日からずっとしているのだが、全然片付かない。それよりも気がかりなのは、遂に3つ目の本棚がパンクしそうなこと。これは相当に危機的な状況である。

本日の自爆的(あるいは自虐的)発言その壱。
「海外経験や年齢ほど、人生経験は豊富ではない」
理由を白状したら、下鴨劇場の後輩Oさんは誘爆して撃沈していた。君が凹まなくてもいいんだよ、自業自得だから。ええ、自業自得ですとも。哀れ。

4月4日(紫紺の大優勝旗は16年ぶりに愛知に)

下宿を出る時、私はクラクフで買った琥珀の十字架を首にかけて外に出た。キリスト教徒でもない身が柄にもないことであるが、ヨハネ・パウロ二世追慕の意味を込めての行動である。

しかし、行った所は図書館ではなくて甲子園。今日は春のセンバツ高校野球の決勝戦、愛工大名電vs神村学園の試合観戦である。
「今年は済美が出ていないから優勝は愛知がいただいたも同然」
根拠も全く無く無茶苦茶な事を言っていたが、本当に優勝するとは思わなかった。ゲームセットの瞬間は、思わず涙が出そうになった。去年は、悔しい思いをしたからな・・・
感動はさておいて。
試合自体を冷静に分析してみれば、名電の圧勝である。三回、四点差になったところで殆ど勝負は見えた。盗塁、バント、バスターetcなんでもありの名電がやりたい放題にやって勝ったという感じである。一試合で盗塁8個なんて試合は初めて観た。
敢えて勝敗のポイントを挙げるとすれば、一回裏の名電の攻撃だろう。一点先制の後、4番堂上がレフトスタンドに本塁打をぶち込んだ時。この一発で神村バッテリーがこの四番打者に対して意識過剰になってしまい、投球が崩れてしまった。だから、この回以降は堂上よりむしろ彼の前後を打つバッターが点を叩き出すケースが多かった。他方、神村の打線は、大きな投球フォームから投げ込んでくる名電のエース斎賀の前に完全に封じ込まれてしまっていた。8回表の二点は、気が抜けた名電の守備がミスを連発して献上したもの、といった観がある。
同じく東海地方の代表である東邦に比べて組み合わせに恵まれていたといわれる今春の名電だったが、それでも天理や神戸国際大付属といった強豪を撃破しての決勝進出、そして優勝である。堂々たる王者といっていいだろう。今日は、むしろ一番楽な試合だったのではないだろうか、と思うような今日の完勝だった。未だ二年生の堂上が今後どのような選手に成長するか、楽しみである。

その他面白かったのは、名電の主将・柴田の応援歌が氣志團のOne Night Carnivalであるところ。まんま、ドラゴンズの井端である。そりゃ同じ二番遊撃だけどね。なんだか名電の野球がドラゴンズとかなり似て来ているような気がして、それも面白い。後、閉会式。初めて観たけど、説教くさくて面白かった。

4月3日(偉大なる教皇の魂よ、ローマの良心よ、やすらかに眠りたまえ)

今日まで3日ほど、実家にいた。名古屋空港から国際線が無くなった所為か、恐ろしいほどに静かになってしまった実家周辺に驚く。予想を遥かに超えて静かになっている。地元だけに、我がドラゴンズ戦の中継があったのが非常にありがたい。しかも、開幕戦・第二戦と、最高の勝ち方であった。まあ、今日は負けたけど。実家に帰った1日などは名古屋の古本屋めぐりをしながら、本屋のTVで愛工大名電vs天理の試合を食い入るように見ていた。凄まじい試合だった。名電は、今日の準決勝でも勝利し、2年連続の決勝進出である。

そして今日、実家から京都に戻る準備をしていた(具体的には、古本屋で買い込んだ本をカバンに詰め込んでいた)ら、教皇ヨハネ・パウロ二世の訃報が伝わってきた。もう御歳が御歳だし、亡くなっても不思議ではない。ある程度の心の準備もしていたが、やはり衝撃は隠し切れない。私がローマに行った時には姿を見る事も出来たし、母国ポーランド−ちなみにヨハネ・パウ二世が教皇に即位する前の名前はカルロ・ヴォイティワという−の人々が彼に寄せている厚く深い敬慕の情をこの目で見る事が出来た私としては、あまり他人事と思えない。もう一ついえば、私の生まれた年に教皇に即位されたのだし。
かつての公会議ではカソリック教会の革新に力を振るった。その一方で、即位後には、カソリックが犯してきた過去の数多くの過ちを率直に認め謝罪した。豪腕と率直さを兼ね備えるという、稀有な人であった。その姿勢から
「ローマの良心」
と称えられ、信者以外にも多くの支持を得て来た。東欧革命を引き起こした精神的支柱のひとつであったというのは、有名な話である。
かつては頑健を誇ったという教皇も、私がそのお姿を見た時には既に老病の身であり、11月の秋風の下での聖ピエトロ広場での一般聴衆との謁見の様子を少し離れた所から見た時、痛々しさを禁じ得なかった。そして、遂に天に召されたか。

パパ様、本当にお疲れ様でした。神の御許で、ゆっくり休んでください。
そのうちまた、私もローマにご挨拶に参りますゆえ、その時はあたたかくお迎えください。

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