HPトップへ

過去の『亭主消息』倉庫へ


8月29日

財布をまさぐってみたら、青春18切符が3回分も余っている。
九州に行くつもりで温存していた所為なのだが、・・・とても、全部使い切るのは不可能だろうなあ。
それでも、多少は使ってみようと思い、バイトの夜勤明けに彦根に行ってみる。勿論、お目当ては彦根城。関西に来て9年になるのに、まだ見ていない事を思い出したのだ(「海外の名城を幾つ見たのか?」という問いかけは無視いたします、悪しからず)。
急峻な山の上にある天守閣はしかし、品が良く美しいが非常に小規模である。近江への、そして西国への徳川幕府の押さえとはいっても、所詮は一大名の独力で建設された城である所為だろうか。下手すりゃ犬山城の方が立派だ。

その後、再び東海道本線で梅田へ行き、続いて環状線で難波へ。あちこち歩いていたら足が痛い。
夕刻、京都への帰途、長岡京に寄る。今春に結婚した後輩の、息女の顔を拝見に行ったのである。顔を見て泣かれなくて、ホッとした。珍しいモノでも見たように、私の顔を見つめていた。
・・・我がサークルは、一期生は皆、結婚も出産も、全て後輩たちに先を越されたな・・・私も華燭の典は百年後になりそうだし(結婚式の引き出物として一人鍋セットを引き当てている時点で、もう諦めている)、同期は誰が一番最初にするんだろうねえ。
そんな事を思いながら、今日買ってきた、金成陽三郎/藪口黒子の『ギミック!』第一巻を読みふける。こういう漫画に惹かれる自分は、やはりとことん、裏方なのだなあと思う。今日会った後輩も、照明・舞台美術が専門だった。

8月27日

やっとマラサイが完成しそうだ。後は、頭と手を付ければ良いんだが、モノアイが・・・
これを完成させるには、別売りのクリアパーツを買って来ないと駄目っぽい。今日買ってしまった『げんしけん』第八巻よりは安いんだが。学部時代にはガンガン買って、改造とかしまくっていたんだが、あの頃が懐かしい。

さて、昨日分・本日分と、HPビルダーではなく、HeTeMuLuクリエーターというツールを使って作成している。こちらの方が、タグとかが一目瞭然ではあるが、やはりHPビルダーの方が初心者向けという気はする。
今後は、こいつももう少し使い慣らしていこう。

8月26日(修羅場と芝居と)

PCがウイルスに感染していて、とてもではないがインターネットをする環境にはない、というのがここ数日だった。
結局のところ、OSの再インストールをする羽目になったのだが、その後、困った事にPeruseus Digital Libraryのギリシア語が表示できない。あれが使えないと、レジュメが作れないのだ。困ったな・・・
その間休止していたマラサイの製作は、やっと目途がついた。後は塗装を完了させるだけだ。五年ぶりのプラモ製作という事でいろいろと勘が鈍っているところがあったが、何とかなりそうだ。

さて、今日は夕方まで下宿に居たのだが、夕刻に京大西部講堂へ行く。第四次笑いの内閣
「白いマットのジャングルに今日も嵐が吹き荒れる(仮)」
を観るためである。実のところ、3日ほど前まで全然気がつかず、ふとビラを観てみたら下鴨劇場の後輩が二人も出るので、慌てて見に行った次第。
さて、広い西部講堂のスペースをほぼ余すところなく駆使して、特設リングを作ってその周囲に客席を配するという、面白い小屋の作り方をしていた。
で、そこで本当にプロレスをやってしまう。プロレス技の巧さに、吃驚した。話もひたすらお馬鹿で、選曲もお馬鹿で、私はほとんどSEが流れる度に爆笑していた。いやあ、面白かった。

8月20日

バイト明けでフラフラなのだが、甲子園の決勝戦を観ながらプラモに色を塗っていたら、ちぃとも午睡が出来ない。延長15回やるとは思わなかったな。
そして夕刻、下鴨劇場の後輩・ナカノ実験室が主催する劇団ヤルキメデス「マンガの夜」を観てきた。
後で(出演者に)聞いた所によると、
「めっちゃ笑っていた」
との事だが、確かに面白かった。演出・ナカノ実験室の、「鬱陶しい奴」の演技は見事だった。

8月18日

下鴨劇場の同僚・中村健が出演する芝居、劇団京芸D.D.Tでの公演「もとの黙阿弥」を観てきた。
まず、場所が分かり難くて・・・淀って、意外と京都市内中心から遠い。しかも、電車を一本乗り間違え、開演時間にギリギリ間に合うという状態。小屋そのものは、良い雰囲気の所である。
役者も力があって、安心して観る事ができる芝居だった。

8月16日(靖国?そんなモノは飾りだ)

「大坂城を建てたのは誰?」
「豊臣秀吉でしょ」
「ブーッ。不正解です。正解は、大工さん」
『・・・まあ、そうはいっても、青史に大坂城の建設者として名を残すのは豊臣秀吉なんだよなあ・・・』

ふと、そんな問答を思い出すような、首相の靖国参拝だった。

個人的に申し上げれば、靖国への参拝には、
「現時点では反対」
である。その理由は、『A級』戦犯が合祀されているから、である。

近年良く聞こえる議論に、
「国を護る為に死んだ人たちに哀悼の意を捧げて、何が悪い」
という主張がある。一言で言う。そう言う人たちは、頭が悪い。戦死者が祀られている神社に参拝するのが拙いのではなく、未曾有の敗戦という結果をもたらした戦争を指導した国政指導者たちが祀られている神社に参るのが拙い、という事を無視しているんだから。

まず、「『A級』戦犯」と呼ばれる人たちがどういう人たちであったのか、そこから考えてみようではないか。彼らは太平洋戦争の指導者であるのは、言うまでもない事である。
実のところ、私は彼らに、侵略戦争という「悪い事をした」責任を問うべきである、とは考えていない。しかし、
「国家が滅亡の危機に瀕するほどの敗戦という結果を見通す事が出来ず、総力戦を開始・指導した責任」
は取ってもらわないと困る、とは考えている。

無論、次のような主張も存在するだろう。
「しかし、彼らも国を思ってやったのだ」
「あれは、アメリカに騙されたのだ」
しかし、これらの主張はいずれも空しい。
ここで、兵法の聖典たる孫子を引いてみよう。
「兵は詭道なり」
と、あるではないか。要するに、
「彼らは騙されて、はめられて戦争を開始させられたのだ」
と国政の指導者を擁護するのは、むしろ
「先の大戦時の、うちの国の政治指導者は、馬鹿ばかりでした」
と声高に主張するのに等しい。兵争の場では、敵を巧妙に騙した者こそが称賛を受けるのだから。

従って、国家の指導者たちは、戦争に負けたら責任を取らないと駄目であろう。それが、国の存亡をかけるほどの大戦であればなおさらの事である。まして、彼らは戦場や空襲で死んでだわけではないのだから、靖国に祀られたら駄目でしょう。
そこで、冒頭の問答に戻る。
国政の指導者たちは、青史に名を残した。ならば、名を残した責任を取ってもらおうではないか。言うまでもなく、それは、未曾有の敗戦の指導者としての責任であり、それはすなわち
「全国的な規模の慰霊施設に合祀され、哀悼を捧げられる資格の剥奪」
である。

その様なわけで、今のところ、
「戦争で死んだ人たちに哀悼を捧げるのは自然な事。しかし、未曾有の敗戦の責を負うべき人たちも一緒に祀られた神社に国政のトップが参拝するのは反対」
というのが私の立場である。

8月14日

東京遠征から無事に帰還してきた。
足と腰が遺体、もとい、痛い。猛烈に。東京での三日間は、歩きっぱなしだったからなあ・・・
こんな状態で、今日は下鴨神社でやっている納涼古本祭りを一巡りしてきた。意外にタフだな、私は。

そんなわけで、東京遠征レポート。
ちなみに今回は、

「世界最大のオタクの祭典・夏の陣」

参戦記です。
段差を付けますので、全画面表示でご覧ください。

8月13日(コミケ参戦記・三日目)

本日は最終日である。昨日合流した珍友たちは、
「三日目は始発でビッグサイトに行って会場まで並ぶモノ」
とか恐ろしい事を言う。今日は、大学の後輩K嬢と一緒に見て回る事になっていたので彼らの計画には乗らなかった。
取り敢えず10時少し前に会場に行ってみると、これまでの二日間を遥かに超える人の列。後輩が1時間ほど遅れるというので、その間、暇潰しに並んでみる。
・・・暇潰しに並んでみるようなモノではない・・・
今までの人生で一番ハードな行列であった。並んでも並んでも先が見えない。そのうち40分ほどが経過したので、遅刻してきた後輩を、駅まで迎えに行く。さらに並ぶ事20分ほどで、何とか会場内に入場できた。

さて、本日のビッグサイトは
「男祭り」
である。18禁同人誌てんこ盛り。こんな所、女性と一緒に来るもんじゃない・・・事は、最初から解っていた。解っていたから、
「え、コミケ来たい?・・・お勧めはしないよ」
と、後輩には断っておいたのだが。そんな後輩と一緒に行ったから、当然ながら18禁本は見向きも出来るわけがない。もともと、手を出さないように自主規制はかけているが(そうでもしないと、金が幾らあっても足らない、というだけの話)、昨日などは疲労困憊して意識が飛んでしまったりすると、気が付いたら18禁本を手に取りそうになる事が何度もあった。困った話である。・・・まあ、基本的に開いてみないと中身って解らないから・・・
ビッグサイトの戦闘空域を2時半頃に離脱した後、秋葉原に立ち寄る。K嬢は東京に来て暫く経つのにアキバに来た事がないらしく、
「おもしろーい」
を連発していた。私も、中央通りが歩行者天国になっているアキバは初めてだな。それより、ここに来ると時の経過が異常に早くなって、時計とにらめっこをしていないと大ケガをする。

5時45分、池袋に至る。旅仲間の4404号氏が招集をかけた
「旅人とその関係者の呑み会」
・・・この題目で、何と19人が参加する一大集会。此処でドンチャン騒ぎをやる。それにしても旅人だけあって、国際情勢分析は基本的に甘くない連中ばかりである。
「イランに行くなら今のうち」
という認識で、海外経験者の認識は一致を見た。
それにしても、ムーンライトながらに乗る直前の酒宴である。車上の人となって暫く後、ハッと目を覚ますと頭が痛い、気持ちが悪い、うたた寝をしている時には飛行機に乗っている夢を見る・・・なんて事態に耐えながら、京都までの旅程を消化したのである。取り敢えず、尻と腰と脚が痛い。満身創痍だな。

8月12日(コミケ参戦記・二日目)

朝起きて朝食を摂ってネットをいじっていると、隣のベッドに荷を置いているカナダ人のベンが、ガイドブック片手に、インターネットコーナーを兼ねている宿のカフェに入ってくる。昨日の夜、
「明日で東京離れるんだけど、最終日に東京近郊で何処か良い所知らないか?」
と訊かれたので、
『じゃあ僕と一緒にビッグサイト行こうぜ』
という言葉をぐっと呑み込み、
「鎌倉なんて良いんじゃないかな?」
と(けっこうマジメに)勧めてはおいたが、未だ迷っているみたいである。
ちなみに、昨日は
「何で東京に来てるんだい?」
と訊かれて返答に困り、結局ありのままに答えたのだが、この
「ありのままに答える」
というのが難しかった。
「今東京で日本のオタクの祭りがやっていて、それに参加する為に来たんだ」
という事を伝えたのだが、オタクって、「Japanese Otaku」で良いよね、多分。「マニアな人々」だと、間違ってはいないけれどもニュアンスがちょっと微妙に違う気がするので。

昨日とは打ってかわって、今日は開場時刻を過ぎて10時半にビッグサイトに至る。この時間になっても未だ入場待ちの列が残っていて、辟易しかける。
実は、私の一番メインの目的は、この『祭典』の二日目なのである。というのは、旅行系のサークルは、二日目に集中するから。
コミックマーケットというと
「人がゴミのようだぁぁ!」
というくらい人が押し寄せているものだが、旅行系サークルや鉄道・バス系のサークルが多く出店している西館第一ホールは、人混みはさほどきつくない。入場するなりそこに直行して、幾つかある旅行系サークルの同人誌を手に取りながら、サークルの人たちと歓談していたら、あっという間に一時間経ってしまって自分で愕然とする。昨日のペースの、十分の一以下の移動速度だ・・・しかし、こういう一角でのんびり雑談などしていると、コミケというイヴェントが、
「よろず『同人』と名の付くサークルの為のイヴェント」
である事がよくわかる。

取り敢えず、この西館でのたくらしている間に、違大なる珍友・山口霞夢氏と合流し、昼食をのんびり食べてから、今度は東館をまわる。こちらは猛ダッシュ。ダッシュしている間に大雨が降り出し、止んだ頃にアナウンスが流れる。

「本日、大雨で資材水没の為、クロネコヤマトの(書籍梱包用の)段ボール販売はいたしません」

一瞬ポカンとした来場者たちは、ひとつ間をおいて、呆れたような失笑を漏らし始めた。それほど雨が烈しかったという事である。

3時過ぎに会場離脱後、宿に一度寄ってから秋葉原へ。珍友山口氏を含めた4人ほどで、酒を呑みながら飯を食う。明日の作戦会議とかしていたけど、私は知らんもんね。

8月11日(コミケ参戦記、一日目)

昨日、たまたま名古屋駅で数年ぶりに再会した、中学の英語部の後輩Sから、余分に持っていた「ムーンライトながら」の座席指定券を譲ってもらうという、とてつもない僥倖に驚喜する。おかげで、東京に着いた時には疲労もさほどではない。

疲労がさほどでもないので、朝食を摂った後、荷物を東京駅のロッカーに放り込んで、東京ビッグサイトへ。知る人ぞ知る、

「世界最大のオタクの祭典」

こと「コミックマーケット」が、本日より開催されるのである。今年は第70回記念だそうであるが、・・・それよりも、午前6時半過ぎに着いたにもかかわらず既に列が出来ていて、正直唖然とする。唖然とはするが、モノは試しで取り敢えず並んでみる。
ちなみに、開場は10時。それまで並んで待つわけだが、9時半に列が動き始めた時には、とてつもない長蛇の列が出来上がっていた。それでも、10時に会場内に入る事が出来て、まあ御の字というべきか。
来てみたは良いモノの、今日は女性のサークルが多く出店する日なのである。という事で、殆どがBLネタ。私はノーマルなので、BLには興味がない。とはいえ、サークルを一通り見て回る事にする。BL本の並ぶ中を突っ切るのは、物凄く場違いなのだが、まあ、仕方がない。ガンダムをネタにしているサークルが多いから来たわけだが、やっぱり日をずらした方が良かったかな?

3時前に切り上げ、神保町へ。

『神保町と秋葉原の無い東京に存在価値は皆無』

という名言を前に吐いた事があるが、間違ってはいないだろう、と確信している。此処を一通りまわるのもまた、東京に来た時の習慣になっている。前に来た時に目を付けていた本は残念ながら売れてしまっていた(・・・まあ、それも予想通りだったのだが)が、他にも佳い買い物をした。品川ではなく、有明から遠い神保町なんて所に宿を定めている理由は、つまるところこれひとつである。古本屋に囲まれた所に宿があるなんて、幸福の一言である。

8月8日

梅雨が明けた途端に、恐ろしく暑くなった。
まるで下宿はサウナのようである。意外に本とか読めるけど。扇風機の偉大さを知る。
それでも、大学の演習室に収蔵されている書籍とか、長雨の影響でカビが覆っていたりするから恐ろしい。やはり、換気をしないと駄目だな。

そんなわけで、本日から帰省&東京遠征である。

8月4日

昨夜、谷底どっきゅん倶楽部の集まりがあり、四条木屋町で呑んできた。
久方ぶり、心の底から笑った。ここの所、薄ら笑いや冷笑が多かったからな・・・

『「自己責任論」再考』をアップして、それに対する意見への返答を考えていたら、それを掲示板に出したらえらく長くなってしまった。後日に転載するか・・・と考えていたら、そもそもの原点を思い出した。
私が「自己責任論」に血相を変えて反論したのは、それが「旅人・洛北孫子亭」の否定につながるとの危機感からだった。
「いま、この国では、旅が殺されようとしている」
という悲痛な下川さんの言葉をさらに突き詰めていくと、

「見知らぬ物に興味を持つ事を禁じる国に日本が退化しようとしている」

という回答が出てくる。だって、旅を根本で支えている原則は、
「自分の知らない事を知ろうとする、貪欲な好奇心」
なのだから。

「好奇心」
を持つ事を、
「危ないから」
という理由付けで禁じた国がどうなるか。そんなのはご免こうむる、というのが、私が血相を変えた理由だった。
これからも、胸を張って「自己責任論」を否定しよう、というのが私のひとまずの結論である。

7月30日

お昼過ぎ、近くに住む後輩のM氏の下宿にお邪魔する。遊び・・・ではございません。テスト勉強のお手伝い。まあ巧くいけば良いんだが、それにしても私は、良いように後輩に使われているなあ・・・

『「自己責任論」再考』コーナーを追加しました。この問題について考えてきた事、今一度、このホームページを見る人にお伝え出来れば、と考えています。

7月29日(オープンキャンパス)

土曜日にもかかわらず、午前10時に大学に出頭。オープンキャンパスのお手伝いに、一昨日、急遽招集を受けたからである。

もっとも、招集される事を最初から想定して、その日の予定を空けていたから、「急遽」じゃないか・・・日本にいなかった昨年はともかく、大学院に入ってから毎年関与しているからな。

さて、埃だらけで汚い演習室を掃除し、机を並べかえ、そして展示のお手伝いをして、展示されているモノの解説を、殆どアドリブでやる。例年はいざ知らず、今年は院生のお手伝いが私しかいないという状態。考古学の3回生の人たちが考古の土器などを持ってくるが、それまでは東洋史や西洋史の資料、あるいは考古学の図版や卒業論文の説明を、殆どアドリブ、口からでまかせで喋る。おかげで12時から客が退く2時過ぎまで、ずっと立ちっぱなし。4時に撤収する頃には、咽と膝が痛くなっていた。
うーん、睡眠不足の蓄積の所為か。一昨日、『ダ・ヴィンチ・コード』の中巻と下巻とを一気に読み切ってしまったのだよな。気が付いたら、全部読み切ってしまった自分の阿呆さ加減に笑えてくる。

7月26日

昨日の夜は、友人F女史と半年以上ぶりに会って酒を呑んできた。大丈夫か、私の肝臓と懐は・・・変わらん人である。

さて、その私の手元に、『旅行人』最新号が届いた。本号の特集は、
「ラサの21世紀」
である。レポーターが長田幸康氏、とくれば解る人には解る、『旅行人』最高のカードである。建設途上のラサ駅など、写真にも記事にも見るべき物が多い。今、熟読玩味している。

中東情勢が再び混迷の度を深めてきている。
一言だけ。
国際法に反しているのは何者であるのか、それを助長しているのは何者であるのか、それを何よりもまず考えるべきであろう。

7月23日(誕生日のシンポジウム)

ここ2,3年、誕生日の日にはなにがしかのイヴェントが絡む。
28回目の誕生日のカレンダーは、四条川端の行きつけの呑み屋でめくる事となった。別に狙ったわけではないのだが・・・0時になった時、店のマスターから振る舞われたスパークリングワインの栓を開ける。炭酸の効いた、旨い酒だった。呑みすぎの所為か、下宿で柱に思い切り頭を打ち付けて、コブになった。
夜が明けて、昼に京都文化博物館で行われたシンポジウム「京都から古代を考える」に出席。同志社の中井先生がパネリストの一人として出席されていたのと、
「京大調査隊のシルクロードにおける古代遺跡調査」
と銘打たれた、樋口隆康さんの基調講演が聞きたくて、顔を出してきたのである。空席があって良かった。もっとも、殆ど満席だったが。
この樋口さんの話がかなり長かった。まあ、四方山話が長かったものだから。パキスタンやアフガニスタンでの発掘話はかなり面白かったが、少し意地悪な事を考えると、一体何月くらいに発掘作業を行っていたんだろう?と疑問が湧いてきた。なにしろ、5月以降は暑くて日中の作業はそれこそ死につながりかねないハズだ。まさか夏の盛りに、日本人がタキシラやタフティバーイで発掘の陣頭指揮なんて、取れるわけがないのだ。
で、時間が押したパネルディスカッション、中井先生はご自身の研究を喋られるというよりむしろ、古代学協会が地中海沿岸域でやってきた業績の報告をしておられた。確かに宣伝しなければならない業績だが、・・・何故このような内容になったのだろう?何処となく中井先生は孤軍奮闘、という印象を受けた。

7月20日

眠い。やはり、2日連続4時間睡眠は効いた。
それに追い打ちをかけるように、今日は研究室の同僚数名と、3on3でバスケをやった。そりゃ、疲労も眠気も倍増というものである。
取り敢えず、腰が痛い。流石に歳かな?と思いもするが、今日一緒にやった6人の中で一番(無駄な)動きが多かったのは私だったりもする。私はディフェンスしかできないのに、何故・・・

7月16日

11時まで惰眠を貪った後、大学院の後輩H君の下宿にお邪魔する。拙宅に比べると、かなり広い。論文なども綺麗に整理されていて、非常に驚かされる。
その部屋の中にギターとギターアンプが鎮座していて、実に格好良い。ギターを目の前で弾かれたりすると、欲しくなるからいけない。ギターなんぞ買ったところで、うちの壁の薄さでは、弾く事が出来るハズもないのだから。それにギターとか持っていると、海外まで持って行って弦を弾きたくなるのが目に見えている。ギターを担いで旅している人を散々見てきたけど、ありゃ荷物になるからなあ・・・
彼の弾いてくれたのはジャズ系が多くて、曲から連想するのは南方のビーチ・リゾートなのだが、フンザとかカトマンドゥとかで弾きたくなるのはどんな曲なんだろうか?やっぱり、宮崎アニメの曲なんて良いんだろうなあ・・・

7月15日(祇園祭見物)

バイト後、作務衣に着替えて、烏丸御池まで地下鉄で出る。そこで大学院の同僚と合流し、祇園祭の宵々山見物。別名「人混み祭り」などと揶揄されているが、本当に毎年毎年、よくぞまあ・・・と言いたくなるくらいに人だらけ。今日も、最初は小雨がパラついていたにもかかわらず、どえらい人出。その中、30リットルのペイロードを誇るバックパックを担いで歩き回るのはしんどかった。一番きつかったのは、重さよりも背中を全て塞がれていた事。おかげで、背中の放熱版(私はMSか)が機能しなかったのである。
しかしまあ、毎年感じるのは、四条通の車道から、道の両側を埋め尽くす建物を見上げるのは、一種の違和感を伴う爽快感である。実に気持ちがよい。気持ちがよいのは、単に道すがらに買って呑んだ麦酒による酔いがまわっただけかもしれないが。

7月10日

昨夜(つまり本日未明)、夜更かしをしてワールドカップの決勝戦を観ていた。90分で終了すると思ってビデオも120分のに標準で録画していたら、何と延長戦に突入するわ、ジダンは一発レッドで退場するわ、とまあ予想をかけ離れた試合になってしまった。しかし、ジダンはやはり格好良い。彼がピッチにいる間はフランスは勝ち、ピッチから去るとフランスは負けた。ナポレオン同様に、フランスのナショナル・チームを強力に束ねる「軍神」はフランス本土の外から来るもんだなあ、と、そんな事を思った。
対するイタリア。代表主将のカンナバーロのフルネームを見てニヤリとした人間は、果たして何人いるだろうか。ファビオ・カンナバーロの「ファビオ」はラテン語の「ファビウス」であり、あのカルタゴの名将ハンニバルに持久戦法をもって対抗し、未曾有の危機にあったローマを牽引し続け、
「イタリアの盾」
と尊称されたファビウス・マクシムス・「クンクタトル」(「ぐず男」転じて「持久戦主義者」)を即座に連想してしまうのは、西洋古典古代に親しむ日が長いからであろう。そのファビウスと同じ名を持つカンナバーロは、まさしくイタリアの伝統「カテナチオ」の要を背負うのに相応しく、まさしく「イタリアの盾」と称えられるべき、素晴らしいDFにしてチームの主将だった。

さて、私の手元には、バイトの後輩から返却されたばかりの、下川祐治著『香田証生さんはなぜ殺されたか』がある。早速に読みふけってしまう。
2週間ほど前、友人から
「自己責任論」
に関する包括的な説明を求められて、即座に返答できなかった。酒席の事でもあり、話し出したらとてつもなく時間がかかりそうだとも考えたからだが、一度、自己責任に関する雑感をまとめてみる必要がありそうだ。
そう思って当サイトの「消息」をまとめ直してみたら、意外にも記事が少なかった。それに、下川さんの著作を読み返してみて、改めて考え直した事も少なからずある。夏期休暇中に一度、この問題については特設コーナーでも設置して、より深く掘り下げてみる必要がありそうだ。

7月6日(劇伴から発症する職業病)

最近、下宿では買ってきて間もないFate/stay nightのサウンドトラックがエンドレスで流れている。
最近はバイト代も書籍に流れる一方で、CDを定価で買うなんて事は、まず無い。通常のアーティストのCDですらそうなのに、劇伴(ドラマ・アニメのBGMです)を買うなど、かなり久し振りである。しかし、劇伴を侮るなかれ。
「何でこの大物がこんなアニメの音響監督やっているの?」
と思わず叫んでしまいそうなケースは多々あります。ガンダムとか特に。
このFateのサントラの音楽担当はパトレイバーの川井憲次さんで、だからこのCDも購入してきた。やはり、非常に良い。
さて、こういった優れた劇伴を聴いていると、思わず
「ああ、この音楽(芝居に)使える」
と思わず思ってしまう時が結構ある。もう、現役を退いてから日が経つというのに・・・こういうのを職業病というのだな。

7月5日

だああ、ドイツ代表負けてしまったぁ!いや、観てません、というより観れません。だから、翌日のニュース速報で観て落胆してるんですけど。しかし、延長後半で二失点とは・・・レーマンの神通力が尽きたか・・・いや、それより、イタリアGKブッフォン、喜び方が激しすぎて、誰だか解らなかった。
そのイタリア代表のデルピエロ、決勝の準備の傍ら、中田英寿に電話をかけて引退を撤回するように言ったらしい。ハートの熱さと暖かさを感じさせるエピソードで、思わず和んでしまった。電話で意思疎通が出来るほど、ヒデのイタリア語は流暢なんだなあ、という事に同時に気が付かされるエピソードだが。

ところで、忘れていたが、遂に中国の青蔵鉄道が今月1日に開通したらしい。つまり、青海省ゴルムドからチベットのラサまでの鉄道が、遂に開通したという事である。
いつ崖崩れで不通になるかなあ、という人の悪い発言はさておき。遂に、やっちまったか、と感慨を禁じ得ない。人民政府の執念には見上げたものがある。
これで、秘境・チベットの有り難みが希薄になってしまった。同時に、中共最大の暗部・チベットの中華化が進むのか・・・嗚呼、嫌だ。もし中華人民共和国が崩壊したら、真っ先に灰燼に帰すだろうな。

もうひとつ憂鬱なニュースは北朝鮮のミサイルではない。それに隠れがちだが、中東からのものである。
いうまでもない、イスラエルの事である。再びガザに侵攻したらしい。パレスティナ自治政府の首相府は、瓦礫の山と化したとの事である。
さて、イスラエルの立場を再び整理しておくのも悪くない。
すなわち、彼らは、彼らが存在を認めた国の、テロやクーデターで成立したのではない、正規な選挙によって成立した政府の承認を拒否し、あまつさえその国に対する戦争行為を行った上で、
「自分たちの同胞を解放せよ」
と宣っているのである。何処の誰が、このやり方を
「国家として妥当な行動だ」
と評価する事が出来ますか?中東和平をどんどん困難なものにしているのは、イスラエルの存在そのものである事を改めて立証した事件である、といわれても否定のしようがないではないか。
また、中東から平和が遠のいたな・・・

7月3日

起きたら10時半だった。いくら講義が無いからといって、これは気合いが抜けすぎである。昨日までの蓄積疲労の所為にしておこう。実際、猛烈に眠かったし。
大学に出たら、猛烈な雨に見舞われる。その雨の所為でもないだろうが、同僚の一人が研究室に持って来ていた『ダ・ヴィンチ・コード』の文庫本版を読み始めたら、止まらなくなってしまった。物凄い面白い。おかげで全然勉強できず。

7月1日(W杯観戦@ゲーテ・インスティトゥート)

ワールドカップが始まってから観戦記録など一切付けておりませんでしたが、今日は・・・というか、昨夜に当たりますが、特別に。

友人そーちょーに誘われ、ゲーテ・インスティトゥートに入ったのは6月30日の23時過ぎ。1階ホールの壇にはスクリーンが設けられ、大画面でサッカーの中継を見る事が出来る。ホールには椅子が並べられ、百八十度ドイツ・サポーター。そりゃ、此処はドイツ文化会館なんだから当然であるが。
ドイツ産白ワインを呑みながら、7月1日深夜零時(だから現地時間では未だ6月30日)キックオフのドイツvsアルゼンチンの準々決勝を観戦する。試合開始直後は荒れまくっていて何枚イエローカードが出るか心配になったが、暫くすると落ち着いた。エキサイトする観衆だが、前半はほぼ完全にアルゼンチンのペース。ドイツは辛うじてアルゼンチンの攻勢をしのいでいるという感じで、何とか膠着状態に持ち込んでいるといった具合。ボール支配率も圧倒的にアルゼンチンの方が上で、
「こりゃアルゼンチンの勝ちだな」
と、思った。従って、後半開始早々にアルゼンチンが先制点をとっても、全然驚きはなかった。
しかし、ここからが番狂わせ。得点後、アルゼンチンは早めに選手を替えてくるが、おそらくキーパーの負傷退場が計算違いのもと。このキーパーのから展開が変わり、後半30分過ぎ、クローゼが同点ゴール。観衆の大歓声で一気に沸点を突破するゲーテのドイツ・サポーター。
この後は両チームともに決め手を欠き、延長戦の後、PK戦へ。普段ならばドイツ・サポーターは目を瞑る所だろうが、今日のドイツGKレーマンには神が下りていた。立て続けにキッカーがゴールを決めるドイツに対し、アルゼンチンの二人目がキックを外したあたりから、ゲーテのサポーターはエキサイトし始める。アルゼンチンのキックの時には、最初はブーイングだったのが、3人目あたりから
「レーマン、レーマン」
の大合唱。そしてアルゼンチン4人目のキッカーが外すと、ゲーテは興奮と歓喜のるつぼ。レーマンを讃える声と歓喜の絶叫、あちこちで見られるハイタッチと抱擁。私も見知らぬドイツ人と抱き合って喜びを分かち合う。
いやあ、楽しかった。

前号へ

inserted by FC2 system