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11月26日(殆ど伏せっていたので、実際に書いているのは翌日です)

昨日は、バイトの早朝勤務の後、再び府大に出向いて学祭を見物していたら、体調が急激に降下してきた。途中から、立っているのもやっとという状態になってしまう。 おかげで、一年ぶりくらいに会った下劇の同僚などの旧い知己との歓談が、かなりお座なりになってしまった。残念至極。
後は下宿でひたすらに寝るのみ、である。一年か二年に一度くらい出る症状だが、これが出ると人事不省に陥ってしまうのが困りものだ。一晩か二晩、莫迦ほど爆睡すれば快復するから、長期的には問題がないのだが。

そんなわけで今日も昼くらいまで寝ていたのだが、無理矢理起き出して、雨の中を関学へ。今日は、関学の西洋史研究会大会の日である。
関係する発表は何もなかったんだけどな・・・田中穂積先生の、関学西洋史研究室思い出話は、部外者にも面白かった。
「変わる事なく(研究室や研究スタイルを)持続し、維持し続ける、という事もまた重要な事」
というコメントは、含蓄があるなあ。NPBの奴らが同じ事を言ったら、全く価値がない台詞になってしまうが。
それはさておき、体調不良が依然として続いているので、出るつもりでいた懇親会への出席は取りやめさせて頂く。下宿に帰ってからは、ひたすら寝るのみ。

11月24日

本日から、我が京都府立大学は学祭である。
それにもかかわらず、私は立命館で授業、それも報告である。おかげで、
「イヴェントやるんで見に来て下さい」
とビラを持ってきた学部生の誘いを数件断らねばならず。残念至極。
まあ、そう言っても、立命から戻ってきてからも未だ学祭はやっていたので、幾つか模擬店を回る。
その中に、
「ネパール会」
なる団体がネパール風カレーを出しているので、ひとつ頼んでみる。感じはよいのだが、具として入っていた大根が、味全体を支配しすぎていて、それが少し残念な感じ。
出されたスプーンを、当然のような面で断ったら(という事は手で食すという事)、周りの人たちに好奇の目で見られましたけどね。

その後、夜には合流した友人数名と、府大近くの某所にてドンチャン騒ぎ。酒呑みすぎ。

11月20日

京都に遊びに来た叔父に同行して、京都市内の名所を観光して回る一日。
専門以外の仕事が平積みになっていたが、取り敢えず無視して付き添いであちこちを回る。京都市内も漸く紅葉が鮮やかになり始めたという感じ。特に、もみじ!恐ろしいほどに鮮やかな紅に染まったものが多くて、見とれてしまった。
個人的には、十年ぶりに行った仁和寺が感動ものである。

11月19日

夏休み前以来、久方ぶりの属州研究会。今日の報告は、ローマ帝政末期のガリア(フランス)における知識人を主戦場にしている人。
かつて、私が学部生時代にはローマの共和政期に関する研究が多いという印象だった。まあ、それは私の専門分野との兼ね合い(ヘレニズム時代史)という要素も大きいのだろうが、必ずしもそうではないなあ、というのが最近の動向に関する見方である。
今日は、参加者の少なさが些か目についた。実は、私も休もうかなと半分思ったのである。疲労の溜め過ぎか、些か眠り足りなくて怠さがあるので。今日は、風呂に入るのはやめるか・・・

11月18日

バイト後、京都コンサートホールに、ギターマンドリンクラブの定期演奏会を聴きに行ってきた。
私の悪癖なのだが、こういう場合には、演奏の感想ではなく、アナウンスに関するコメントをアンケートに書いてしまう。
もちろん、演奏に関しては一言もコメントできないからなのだが。
それにしても、三年前を最後に、アナウンスには専門の人を起用する事が出来なくなっているようで、それはそれで心配だ。放送研究会を潰した弊害は、結構デカそうだな。責任は取れないが・・・

11月14日(福留孝介のMVP万歳)

数年ぶりに、史学ゼミで報告を行った。お題は、
「帝国をめぐる諸問題」
である。

学部生主体のゼミで、敢えて「帝国」というテーマを取り上げようと思ったのは、この問題に関する研究に、日本の歴史学のウィークポイントが全て凝縮されているように思ったからである。
とても一言で言えるわけはないが、敢えて無茶して言うならば、
「時間軸と空間軸に対する想像力と、克服する手段の欠如」
という所になるのだろうか。
3年前に同じテーマをやった時には、自分の考えているのと違う所についてボロカスにけなされたので、もう一度整理して、本当に思う所を伝える必要があるだろう、と考えていた。やっと、宿題を片づけた気分である。
まあ、年上の人たちがいなかったからね。好き放題言えたと言えばそれまでか。

しかし福留のMVP、扱い小さかったな・・・明日、中日スポーツを買って読むとしよう。
個人的には、パリーグのMVPは、新庄をこそ選出して欲しかった。小笠原に最優秀選手の資格が十二分にある事は言うまでもないのだが、やっぱり新庄に持って行って欲しかったな・・・

11月12日

学科旅行の報告が、やっと書き終わりました。
詳細は→こちらをご覧下さい。

ちなみに、学科旅行のお土産である鎌倉名物・鳩サブレーは、開封より24時間で全て(21枚)無くなりました。

11月11日

一昨日、修士論文の中間報告会が行われた。今年、外国史で出る修論は一本だけなのだが。報告者はグレゴリウス7世の教会改革思想を取り扱っていて、専門外の人間にも非常に分かり易いトピックである。
その後の中間報告会慰労会が、滅茶苦茶荒れて・・・一言で言えば呑み過ぎた。

今日は、今年の夏にリビアに旅行に行ってきた立命の院生さんの、旅行報告会。旅行した人の話なんて聞いた事もないが、手続きを聞いてみると、もの凄い行きにくい国だという事がよく解る。旧ソ連並みである。
遺跡の写真を見ながら思ったのは、地中海沿岸の都市は、重要な拠点はことごとくローマによる徹底した改造が行われている、という事。これでは、ギリシア人の活動していた都市がどのような姿をしていたのか、想像するのは相当に困難だろうなあ。

11月6日

三連休・・・殆ど下宿にいなかった。バイトが4日連続で入っていたりしたから。3日など、午前中はバイトもないのに京大で学会があったから、そちらに出席せねばならず、おかげで睡眠不足は解消されないまま。
おかげで、まるで疲労が抜けていない!何時、風邪になるやら・・・

11月1日(ルーブル美術館展

午後は授業がないので、京都・岡崎の京都市美術館で開かれているルーブル美術館展を見てきた。昨年は近代絵画がメインだったと言うが、今年は古典期(古代ギリシア・ローマ)の彫刻・陶器が多い。うーむ、誰か一緒に連れて行けば良かったなあ。ギリシア語が多少なりとも読める私は、結構重宝なのに。
冗談はさておき、館内は平日にもかかわらず、人で一杯。そろそろ期間の終わりだから、というわけでもなさそう。というのも、結構見応えのある、良い作品が来ているからである。唸りながら見て回っていたら、全て回るのに1時間ほどかかった。
これでミロのヴィーナスとか来ていたら、来客数は今日の倍だろうな。

期間は、今月5日までである。

10月31日

3日ほど前に、大阪・日本橋で購入したノートPCを初めて、本格駆動させた。元々が大学で使用する事を前提に導入したものなので、大学で初お目見えという事である。
値段もほどほどだったのだが、吃驚したのは音。駆動に際してどえらい音がする。うーむ、そういや、前にどこかのメーカーのノートは音が煩い、という話を聞いたなあ、と思いだしたのは駆動させた後である。ウインドウズ2000だし、文句は言えないなあ。なにしろXPは嫌いだし。

史学ゼミでは、ほぼ二年ぶりになるだろうか、報告を引き受けてしまった。やる事は3年前のリバイバルで、お題は「帝国」という事になるのだろう。少しは、私の知的レヴェルが上がっていれば良いのだが・・・

10月26日

机や壁の殴り過ぎで手が滅茶苦茶痛いが、試合終了の瞬間は意外に冷静だった。
というか、新庄の涙を見ていたら、どうでもよくなってきた。
またドラゴンズは、「日本」に負けた。それだけの事だ。
悔しくはあるが、不満は無い。殆どがファイターズファンで埋め尽くされた札幌ドームは、文句なくファイターズのフランチャイズとして相応しい。素直に、そう思う。

冷静な事を言えば、やはり新庄には来年もいて欲しいところだと思う。来年から暫く日本シリーズが消滅する。球界再編の第二ラウンドが待っている。その時、彼という頭抜けたカリスマがいないというのは、痛いところだろう。
もっとも、古田と並んで一昨年の危機を乗り越えた功労者の「双璧」である新庄には、今年、大手を振って引退する資格があるのだろう。彼は充分すぎるほど、その役割を果たしたと思う。

10月24日(怒濤のうちに、学科旅行は過ぎ)

つい先ほど、鎌倉・横浜への学科旅行から帰って参りました。
非常に楽しかったのですが、感想を取り敢えず一言で言いますと、

The word "Travel" had become from the word "TRABLE"!

というところでしょうか。まあ、無事に帰ってくる事が出来て良かった良かった。
 宴席では10回くらい平伏したような記憶もありますが、まあそれはそれとしまして。
旅行報告を、以下に記していきます。一気に全部は無理なので、少しずつ分割してアップしていきます。一段落としますので(出来るかな)、全画面表示でご覧下さい。

10月22日(学科旅行・初日)

未明二時半、府大桂会館集合という、恐ろしくやんちゃな日程であるが、時間通りに集合場所に到着すると、学科旅行委員の三回生たちが、神妙な顔をしている。その場で代理店のエージェントから、我々が乗るはずのバスが事故を起こしたと説明を受け、言葉を失う。
で、その日は夜明けギリギリまで待機して、それから京都駅に移動、それから新幹線の「のぞみ」始発で横浜に至る。
ちなみに、のぞみの指定席に座ったのは、人生初である。

新幹線車内では殆ど意識を失っていたが、新横浜駅には9時前到着、そこから関内駅まで移動する。そこは横浜スタジアム前で、
「さあ、横浜戦見ようぜ」
というのは冗談で、ここから四人ほどで中華街と赤レンガ倉庫を見に行く。中華街はともかくとして赤レンガ倉庫はただの倉庫だな。

続いて、関内駅から地下鉄で(車内では殆ど意識不明)、横浜市歴史博物館に至る。ここで学科旅行に参加される先生方と合流し、館内を見て回る。 今回の学科旅行の参加者は先生方を入れた総勢で40名を超すという恐ろしい規模。正直、この時期でこんな大人数が集まるとは驚異である。
さて、まず館内では、二組に分かれて、学芸員さんに博物館の裏側を案内してもらう。つまり、展示品や収蔵品を搬入・保管する場所の見学をさせて頂くのである。私は学芸員の授業の時に見て回ったが、他の人たち(先生方を除く)には初めての経験だろう。 かつて私が見せて頂いた京都文化博物館と、大きな違いはない。だが、それにしても貴重な体験ではある。

次は、バスで金沢文庫へ行く。これが大変だった。近くの海浜公園という所にバスを停めたら、これが全然近くない。しかも、折悪しく雨がポツポツ降り出す。
『嗚呼、また雨か、またやっちゃった・・・』
心中に呟くが、これはもう仕方がない。
金沢文庫へ繋がる道は恐ろしい隘路で、しかも到着したら閉館2分前。学芸員さんの好意で開館時間を15分延長して頂き、解説を受けた後に見学、そしてバスで横浜市内の宿所へ移動という、実によく歩く一日である。

そして夜、夕食後は懇親の宴。 「誰か雨男がおるんや」「申し訳ございません、実は私でございます」
先生からの糾弾の声に、平伏する私。そんなこんなでわいわいやっていたら、体調ヘロヘロなのに、12時まで雑談していた。皆様パワフルですな。

10月23日(旅行二日目)

朝、7時半起床。朝食が8時半からだから、もう少し寝ていればよかったと若干後悔。しかも、小雨気味という天候に、やや気分は憂鬱。

本日は、円覚寺→建長寺→鎌倉自由行動という日程。円覚寺まではバス、そこから先は歩くという、日頃が運動不足気味な我々には、ややハードな日程である。何しろ最近、歩き疲れると腰に来るから・・・
円覚寺も建長寺も似た構造の寺だなあという感じだが、山だらけできつい。そして、小雨が降る天気だから、石段が続くコースは危ないの一言。

建長寺からは自由行動となるが、私は此処で合流した二回生の女子三名と、何故か鎌倉の大仏まで同道する事に。
まずは亀ヶ谷の切り通しから、鎌倉市内中心地の若宮大路方面へと抜ける。この切り通しが、車がやっと一台通れるくらいの、ただの道路。それでも、その峻険さには感嘆する。

鎌倉駅から、江ノ電に乗って鎌倉大仏前に行く。

・・・此処で、恥を承知で告白させて頂く。
今まで、江ノ電の電車内にはサザンオールスターズの楽曲がエンドレスで流れているもんだと、信じて疑っておりませんでした。そんなわけで、
「あれ、サザン流れていないんだね」
と、同行した人たちに思わず言ってしまったような気がします。己が無知を知り、改めて恥じ入っております。

閑話休題。
長谷駅で下車し、大仏様を素直に拝観、出来なかった。理由は単純明快で、大仏のすぐ近くにあった土産物屋が、土産物を申し訳程度にしか置いていない、むしろ模造武具や、エジプトの棺やオペリスクのレプリカが恐ろしく充実していた店だったからである(何故)。
天井を見上げれば、そこには日本国内一流のアニメーターたちのサイン色紙が。覚えている限り、列挙してみます(莫迦)。

桐山光持・和月伸宏・尾田栄一カ・荒川弘・武内崇、エトセトラエトセトラ・・・他にもありましたが、忘れちまいました。

そんなモノを観ていたら、大仏様と関係ないところでテンションMAX。オベリスクのミニチュアを買ってしまいました(批判なさりたい方はどうぞ。そのご批判は、極めて正当なものであります)。
で、大仏がどうでも良くなりかけて、必死で本来の目的を思い直して大仏様を拝みに行く。晴天ならともかく、小雨気味のこの日の天気だと、大仏様が痛々しい。この大仏様は、中に入ることが出来る。層状になった継ぎ目が良く見て取れる。
この後、鶴岡八幡宮へ。やけに新しい建物である。で、ここに入ったくらいで薄暮の時間、ふと見つけた帽子屋で新しい帽子を買ったりしていた。

そして夜、本日も懇親の宴。畳に額を何回か擦り付けたような記憶もあるが、まあ気の所為だろう。実に楽しい宴であった。

10月24日(旅行三日目・最終日)

本日をもって学科旅行は終了である。寝覚めは最悪。眠いしふらふらするし・・・
本日は、須賀に移動して戦艦三笠を見て、昼食を食べ、そして京都へと帰る。バスで7時間以上、高速道路を奔る。3回ばかり、インターで休憩も取った。そして、京都に帰ったら7時半くらいであった。

10月21日

バイトの早朝勤務の後、下宿で午睡をしていた。
夜は、晩飯を食いながら日本シリーズを観戦。ハラハラさせてくれる・・・まあ、それも序盤だけ。その後は、華麗なる守備に魅入られる。これは、良いシリーズになりそうだ。

では、今夜から鎌倉に行ってきます。

10月20日

二限の授業は、先生がアフガニスタンへの調査行がおジャンになったという事で、休講の予定が覆って授業をやる事に。
「現地は、やっぱり危ないんですか?」
何気なく先生に問いかけてみると、その後、詳細な現地に関する情報が出て来る出て来る。よっぽど行きたかったんだなあと感心してしまう。私も、もう少し情報を仕入れておかないと駄目だな。

立命での演習が急遽流れた後は、東山青少年センターで、ワンダリング・パーティー第12回講演「レオナール・F」を見てきた。

「認めたくないものだな・・・オールドタイプとはいえ、自分がオタク的人間であるという事を・・・」

思わずそんな阿呆な台詞が口をついて出るほどに、役者の台詞は、70年代生まれの私の心の笑いのツボをことごとく刺激しまくる。ネタのモトが殆ど解ってしまう自分に、呆れ果ててしまう。
面白くて、笑いすぎた。ただ、少しネタがコア過ぎるな・・・という事は、私はコア過ぎる人間か・・・
認めたくないものだな・・・

10月18日

後輩H嬢に貸していた、岩明均の『ヒストリエ』が返って来た。
しかし、返って来たのは良いが、今は本棚に入れるスペースが無い。さて、どうしたものかと思案投げ首する私の目の前で、ある院生がH嬢に訊く。

「どんな話なんですか?」
「えー、忘れちゃった。柴田さん、どんな話でしたっけ?」

唖然とする私。他の院生たちは笑い出す。そりゃそうだろう。しかし、次の言葉には愕然とした。

「横文字出て来ると解らなくなっちゃうんです」

・・・横文字って、全部カタカナになっているでしょ。いやそれよりも、舞台を考えれば、人名や地名が全て欧語なのは当たり前でしょうが。

「次の巻が出たら、また貸してください。で、その時までに人物相関図を作ってきて下さいよ」

学部生の時に、日本最高のヘレニズム史研究者の授業を受講したとは到底思えない後輩の、屈託のない言葉を聞きながら、長嘆息をする秋の一日であった。
こりゃ私の研究を院の全体演習でやっても、
「何処の事をやっているの?」
と、訊かれるわけだ。

10月15日

体調が回復しない。理由は単純明快で、睡眠時間が足りていないのだ。
本当は昨日、バイトの夜勤明け後に爆睡するはずが、果たせなかった。その理由は、携帯のクラッシュ。一昨日、便所で水没させてしまった。まあ自分のミスなのだが、さすがにへこんだ。
かくして昨日は、ドコモショップに行って携帯を新しくする。大損である。まあ、仕方ないか。
昨日は、よく解らんが暇潰しに上洛してきた違大なる珍友H氏やOと呑みながら、やや疲れ気味。府大の近くの呑み屋だから、ある程度本性を隠しつつ呑まなければならないのは、しんどい(隠す努力なんてしてたかな・・・)。

そんなわけで、ここ半年の間に私にメルアドを教えてくれた人は、また教えてください。お願いします。

10月11日

昨日の話の続きを、取り敢えず。
延長に入ってからは、原稿を打ちながらラジオの実況に聞き入る。
原稿が進むワケがない。ずーっと手が震えっ放しだった。

一夜明けて今日は、そーちょーとドラゴンズの優勝を祝う。一昨日のゲンマ様の二次会の報告を兼ね、四条川端にて呑む。気が付いたら一時を過ぎていた。呑み過ぎだな・・・

10月10日(ドラゴンズの優勝に万歳三唱)

ドラゴンズ、優勝万歳!万々歳!

さっきまで泣いてました。今、一人で麦酒を傾けながら、本日分の「消息」を入力しています。

帰宅してから、ずーっとラジオを付けっ放し。エース川上が同点ソロを打たれた時には、本当にどうしようかと思った。
しかしそこから、中継ぎ陣が完璧に押さえきり、延長最終12回、一気に六点を入れて突き放す。そして後続を守護神・岩Pが切って捨て、優勝決定。優勝監督インタヴューを聞いていたら、涙が出てきた。
長かった・・・いや本当に。阪神の悪夢のような追い上げのおかげで、どれだけ冷や汗をかいたか。山本昌の無安打無得点で、完全に引導を渡したと思ったら、未だ勝ち続ける。正直、恐怖すら感じた。

いま、報道ステーションで優勝監督インタヴューを見て、また涙が出てきました。すいませんが、取りあえず今晩は泣いてます。

10月9日(後輩の華燭の典は何回目だ?)

毎年恒例、秋祭りで太鼓をたたいてきた。
・・・と、書くはずだった。

ハズだった、と書くのは、今年はそうならなかったからである。
後輩・ゲンマ様の結婚式二次会に出席するため、祭り囃子の太鼓の練習で帰省していた実家から、奈良に急行しなければならなかったからである。
勝川から名古屋→亀山→柘植→加茂と乗り継ぎ、到着は会の開始1時間以上前。役目を終えた旧JR奈良駅の特徴ある容姿に見惚れながら、歩行者天国の三条通を、重い荷物を担ぎながら会場へ。
会場を確認すると、最寄りの喫茶店で時間を潰し、そして会場へ。入って驚いたのは、我が下鴨劇場の馴染み深い面子が大勢、詰めかけていた事。他にも、ロシア語を一緒に勉強していた後輩の女性なども来ていて、歓談していたら、新郎新婦が登場する遙か前に、テンションはマックス近かった。

そして、新郎新婦の登場。さすがにウェディングドレスではないが、それでも充分に艶やか。ここ2年ほどは会っていないが、余り老けていないな。新郎も、なかなかハンサムな男性である。並ぶと結構、絵になるカップル。
何人かの知人たちから預かっているメッセージを伝えると、喜色満面というより、さすがにテンパっているのか、やや顔は硬かった。もっとも私はこれで肩の荷が下りて、後は式を楽しむ事に専念する事が出来た。
本当に、おめでとう。ただ、それだけ。両所の幸福を願う愚僧の祈り、請うらくは天がききとどけ賜わん事を。

10月6日

毎度、この時期の帰省は何故こうも慌ただしいのか・・・
そんなわけで、帰省します。今回もイヴェントだらけだな。

10月3日

新内閣の伊吹文相が、小学生での英語教育に難色を示したらしい。
賛否両論吹き荒れているが、個人的には賛成である。彼の言っている事は、基本的には正しいと思う。
というのも。
よく思うのだが、外国語をモノにするか否かは「慣れ」が大きいだろうが、そこに至る素地として、日本語の組み立てが出来ない人は、外国語もやっぱり駄目である。
やっぱり自分の生まれ育った国の言葉がキッチリ出来ていないと、他の言語の構造とかも理解できないのだよね。

そこで問題なのだが、伊吹文相の言う
「美しい日本語」
の中に、果たして漢文は入っているのか。
明治以降、戦前に至るまで、大学人は複数言語をマスターしている人が多かったが、彼らは大抵、漢文の素養を高く持つ人が多い。 日本語の形成にあたって漢文が果たした役割は極めて大きいし、漢文は日本語の中でも古典としての役割を長く与えられてきた事は周知の事実であろう。
個人的には、漢文の素養を身につける事は、ヨーロッパのインテリがラテン語を習得するのと同等の意味を持っていると考えている。

従って、もし伊吹文相が、
「日本語形成のためには、古文と同時に漢文に親しむ事が極めて重要」
と言うのならば、私は彼の発言を全面的に支持する。
冒頭で
「『基本的に』賛成」
と限定したのは、そういう意味である。

9月30日

昨日は立命館大学でゼミだったが、今日は一日中バイト。
バイト中に、下鴨劇場OBの二人が外遊するのを送り出すという、非常に阿呆な事になる。何が阿呆って、二人の席の予約は
「柴田広志様」
で取っていた。
「もし、この人たち来なかったら呼び出しましょう」
と本日の相方は言っていたが、そんな内輪受けしかしない事をやっても・・・面白いか。まあ良い。

9月26日

うわああ、葵湯が閉めた話から一週間、何も書いていねぇぇ!・・・まあそれだけ、最寄りの銭湯の閉鎖がショックだったという事である。半分くらい死活問題だからね。

取りあえず、22日からバイトが立て込んでいたのと、「絲綢の道の道端にて」の全面改定をやっていたら、面白くなってしまったのだ。 実のところ、改訂しているのはHTMLのタグなので、表面上は何も変わらないのだが、へてむるクリエーターを使用するようになってからというもの、このタグ打ちというのは結構面白い。
面白いついでに、ホームページの作成マニュアル的な本を、三条京阪のブックオフで買って来てしまった。10年ほど前の品ですが、未だヨチヨチ歩きの私にはこの程度で充分です。

さて、一昨日に友人そーちょーと四条川端某所で呑んだ以外は、バイトとホームページと勉強三昧・・・というと嘘が混じるな。研究室では半分以上は役に立たない世間話をしまくっているから。
ただしこの世間話、莫迦にしたものではない。なにせ、専門が私と同じ人が一人もいないから、恒常的に専門外の分野を専攻している人の話を聞けるという事でもある。真面目で一風変わった人が多いうちの研究室、結構良い環境かと。
殆ど毎日、洛北孫子亭が午睡をしている事を除けば。
それ以外というと、そろそろ今まで使用していたゴミ袋(実はスーパーのビニール袋ですが)が使用できなくなるというので、ゴミでも詰め込もうとがんばって掃除をしていたら、埃と疲労と気候変化の所為で風邪を引きかけた。

9月19日

行きつけの銭湯である葵湯が、今日で店を閉めるとの事で、今日は入浴料が無料だった。
手許の記録に拠れば、最初に利用したのが1999年3月5日、最初の中国旅行から帰って来た日の事である。むろん、毎日お世話になるようになったのは、下鴨に居を置いてからの事だが。
寂しいものである。それよりも、結構困った事態だな。

9月18日

祝日という事で、遅めに起きて、下宿で本を読んで、2時頃にアトリエ劇研へ。後輩。津田君が出る芝居、
「悪い芝居vol.4 『岩乙女!』」
  を観るためである。着いてみたら超満員で驚く。芝居だが、笑うタイミングを逃したという感じで、いまいちという印象。単に、睡眠不足が残っていた所為かもしれないが。
その後は、3日ぶりに大学に行ってみる。研究室に残っている楔形文字史料の類を漁ってみて、今更ながら絶句。宝の山だ。私も、ついにアッカド語に手を出す時が来たか・・・これだけは勘弁、と思って逃げていたのだが・・・

9月16日

一日中下宿にいて、呆っとしていた。TVでドラゴンズvs阪神戦の中継が3時からあったので、それを観戦するためである。
下宿で堕落していた価値があった。山本昌の無安打無得点試合という快挙を観る事が出来て、大満足である。すばらしい投球であった。

今更ですが、エジプト・トルコ旅行記を一部、更新しました。京大での集中講義の影響ですかね。未完成のまま、放ったらかしには出来ないから。

9月15日(至福の時は過ぎ)

今日で、京大西南アジア史専攻で行われていた、春田先生の集中講義は終了。
一言で言って、
「至福の時」
であった。もう楽しい楽しい。たまに船を漕ぎかけていたけど、それはご愛敬という事で勘弁を。ここまで自分の専門にベッタリ沿った授業って、幾つかの例外を除いては、あまり聴いた記憶がないものだから、思わず学部生に戻った気分である。
同時に、自分が専門といってよい分野で如何に知識が欠如しているかを認識して、改めて気が遠くなりかけた。まだまだ修行が足りないという事である。
こんな楽しい時間を私に与えてくれた、人文研のI先生と、見ず知らずの怪しい人間を(爆)暖かく許容してくださった西南アジア史学専攻の皆様に、そして何より春田先生に、厚くお礼申し上げるものです。ありがとうございます、本当に。
東海大学の皆さん、僕は本気で皆さんが羨ましいっす。東海大の院試受験を100%本気で検討していた、4、5年前を思い出してしまった。

さて、帰宅してネットを開いたら、
「ローマ教皇の『イスラムは邪悪』発言に、イスラム世界から反発広がる」
という記事が出ていたので、慌ててアルジャジーラのサイトにアクセスすると、アクセス殺到で開かない。もう一度トライしてみたら、開いた。 →こちら
東京で先月に旅人の集会があった時に、参加者の一人が
「ヨハネ・パウロ二世がいなかったら、ローマ・カトリック教会は崩壊していた」
と発言していたのを思い出す。なるほど、そうかもしれない、と私も思った。
現教皇が、この旅人と同じ認識を有していたら、こんな発言は出て来るはずもないのに・・・

ところで、14世紀の
「キリスト教徒の皇帝」
って誰かな?ビザンツの皇帝らしいけど。

9月12日

昨日より、京大で東海大学の春田先生の集中講義があるので顔を出させて頂く。
いきなり英語の論文を手渡されて、思わず気が遠くなりかけたが、バイト中に必死で読んで、レジュメを何とか起こす。おかげでヘロヘロである。簡単で良かった。
それにしても、中東古代を専門にする方の講義は初めて聴く。なんだか楽しい。しかし今日は、居眠りをかみ殺すのに必死だった。昨夜は突発性不眠症だったし、睡眠不足だからな。
最近、客が多いから、バイト先でもそれほどのんびりは出来ない。それでも、うちのバイト先は知名度がそれほど高くないらしい。宣伝下手か・・・

9月9日(漫画喫茶デヴューか)

二日連続、バイトの早朝勤務。
誰よりも惰眠を愛する私には、拷問に等しい。
帰宅後は自分が使い物にならないと判断し、仮眠後に田中大久保町交差点付近の漫画喫茶へ行く。

さて。
意外に思われるかもしれないが、私は今まで、漫画喫茶に行った事がないのである、一応は。
・・・いや、漫画「定食屋」には行った事があるのだが、漫画「喫茶」には、一度も行った事がないのだ。漫画定食屋は、飯を食い終わったらすぐに出て行ってしまうしね。
その様なわけで、一応、漫画喫茶はデビューである。一時間ほどしかいなかったけれども、ひたすらに漫画しかない空間で漫画ばかりを読むというのは、良いものですな。
余談になるが、漫画喫茶ってインターネットコーナーあるけど、異人さんに

「インターネットカフェ何処にある?」

と訊かれたら、バイト先からすぐ近くの漫画喫茶を紹介する事にしている。日本では、漫画とかとセットにしないと、ネットカフェって採算会わないんだろうな。さんざんお世話になった、海外放浪時代が懐かしい。

で、帰宅したら、

「阿部謹也氏死去」

というニュースが先輩・虎哲氏のブログに出ていて愕然とする。慌ててニュースを検索すると、他界記事が出ていた。
以前も紹介したように、彼の『日本人の歴史意識』は、私をここ数年でもっとも勇気づける一冊だった。その著者が他界するとは・・・しかも、未だ71歳ではないか・・・
網野善彦氏の最大の「盟友」、巨星がついに墜ちたか。謹んで冥福を祈るものである。あまりにも早い他界である、との印象は拭えず、ショックが消えない。
それにしても、「世間」論、誰が跡を継ぐんだろうか・・・あの人にしかできない仕事だったように思うのだ。

9月3日

昼過ぎ、大学院の後輩H君と、中書島の伏見港公園のプールに泳ぎに行く。
泳ぐのは数年ぶりだが、自分の泳力の衰えは目を覆わんばかり。クロールをやれば50mが精一杯、平泳ぎをやれば右膝を痙りかけるといった体たらく。
よくぞまあ、2時間も飽きることなくプール内に居続けたものだ。次は100m泳ぐぞお!

夜、拙宅に偉大なる珍友・山口霞夢氏が、出張で京都に出てくるので、どんちゃん騒ぎ。会話のほとんど全てがオタク話というのが泣ける。
取りあえず、体のあちこちがダルい。とくに、肩。やはり、鍛えていないからなあ。

9月1日

昨日、史学科のO本先生の研究室掃除に駆り出され、その夜は酒を振る舞われる。
いささか呑み過ぎてしまったが、実に面白い話が多数聞けた。それにしても、とにかく呑み過ぎ・・・

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