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12月29日

何、この雪・・・
取り敢えず、帰省します。今年は(去年とは違って)京都から実家です。

12月27日(某年会最終)

夕刻6時過ぎ、北大路ビブレに、違大なる珍友H氏こと山口霞夢氏・バイト先の後輩O氏と合流。そのままOの下宿に雪崩れ込み、ドンチャンと騒ぎはじめる。
酒を呑みながら、雑談に興じながら、何故かしら本棚にギッシリ詰まった漫画を読みふける客二人。活字だけの本が全然無いとか、そんな事はどうでも良いか。

12月25日

本日より冬休み。まあ、そうはいっても大学に行って勉強するというのは変わらないけどね。ついでに、研究室に来た人と雑談にうち興じすぎるというのも変わらず。
そんなこんなで、夜は友人そーちょーと二人、四条川端にてドンチャン騒ぎ。肝臓の負担は増えるばかり哉。

12月24日(神々の恩寵に溢れる一日)

今年、2006年は、2000年と全く曜日進行が同じである。
今更何を言うか、と思われるだろうが、私にとって2000年は特別な年であるから、こういう感慨をお許し頂きたい。まあ、そんな事を思い出したのは昨日だけどね。やはり、毎年クリスマスは思索にふける日だから、こんな事を感慨深く思い出してしまうんだろうな。

・・・「寒いんでしょ」とか言うな、そこ。
確かに寒いけど、多分寒いからというだけじゃない。今でも、私にとって最高のクリスマスは、2000年のまさにこの日にクラクフで2日間タップリ見た、全市街挙げての「祈りの光景」だから。 あの祈りの景色を忘れない限り、私はクリスマスに思索を続けるだろう。

さて、今日は午前中はバイトだったが、午後は予定もなく、プラッツ近鉄・寺町界隈と歩き倒す。その間、遭遇した友人・知人四組、うちカップルは3組。そりゃ、ね。凹みまくりですよ。
久しぶりにふらふら歩く四条界隈は、平素にもまして凄い人出で、なんだかくたびれてしまう。予約していた本などを購入したために、重いのである。

そして、夜は人間座スタジオへ。劇団HOMURA旗揚げ公演「ASASSIN」は、本日が楽日。下鴨劇場の後輩二人をはじめとして、知り合いが結構参加しているので、観劇に行った次第。 結構豪華なキャストをそろえていたが、果たして演出が束ね切れていたのかな?という所に少し疑問が残った。2時間弱の芝居だったが、少し間延び勘があったのである。芝居の導入部の問題かな・・・

ちなみに今日買ってきた書籍のうち、『げんしけん』は、初版の付録が凄まじい。『同人誌』と銘打って漫画家がアンソロジーを描いているのだが、有名どころだらけ。特に顎を外したのが、安彦良和氏による一品。シャアのコスプレをした永野護氏を登場させている。
「神が・・・神が、神を描いている!』
まるで2ちゃねらーの如き感慨を抱きつつ、興奮しすぎて、数え切れないほどに読み返してしまいました。すいません、なんだか最後に思索の欠片も無い文章書いちまって・・・

12月22日

本日をもって、年内の授業は終了。2限から4限まであって、全て英書講読。ついでに授業後は立命館に奔って、先生からお借りしていた本をお返しして、とって返して府大で事務的打ち合わせという慌ただしさ。こりゃ太るハズがない(爆) 今年を象徴するような慌ただしさだな・・・慌ただしいのは、はっきりいってもうご免だが。今年は、印象に残る訃報も多かったしなぁ・・・もうないだろうと思っていたら、トルクメンバシュの訃報が届いて、またぞろ中央アジア情勢が心配。
さて、6時半に、高野の「やる気」という焼き肉屋で、先々週の「モーツァルトを聴く会」の打ち上げ。私の都合が合わなかったため、ここまで先延ばしして頂いたのである。久々に食う焼き肉、美味しゅうございました。

来年は、もう少し自分の勉強がしたいなあ。半年ほど無理か・・・

追伸。「オリエント珍道中〜エジプト・トルコ再訪」が、やっと完結しました。通してごらん頂くと、面白いかもしれません。

12月21日(研究室大掃除)

昨日、京大の文学部閲覧室にJ.G.DroysenのGeshichte des Hellenismusを閲覧に行ったら、出てきたのはえらく古い6巻本。
『もしや・・・いやまさか・・・』
思いながら開いてみると、あーら吃驚「京都帝国大学所蔵」の所蔵印が。確かに1877年刊行の第二版とは出ていたが、まさかこんなに古いものが出て来るとは、さすがに想定していなかった。 しかも、活字が違う(いわゆる「ヒゲ文字」。どんな文字かは、古いドイツ語の本をご覧下さい)ので、未だ初学者レヴェルの私では、字面を眺めるだけで四苦八苦。というより、まるで読めない。結局、すごすご引き返してきてしまった。

今日は、会議と勉強会の後、研究室の大掃除。汚さに絶句。それより、下宿の大掃除もしていない私が研究室の大掃除など、自虐的な笑いが浮かんできて仕方がない。
おかげで、何も勉強していない。あは。
それにしても、・・・どーにも司会というのは似合わんな。中学時代の師匠の忠告を、一体何度、裏切り続けてきた事か。裏切る都度、その忠告を省みるのだが。
・・・成長がない・・・

12月17日(研究会参加記です。旅行報告会参加記ではないです)

古代史研究会の第5回大会のため、昼から京都大学に行ってきた。
合計4本の報告(ヘレニズム・前一世紀ローマ・ローマ後期帝政期・古代末期)はいずれも面白かったが、本報告の後に行われた旅行報告が、私には一番心揺さぶられるものだった。
「シリア・ヨルダンの古代遺跡を訪ねて
というタイトルを見た時点で、
「私を釣る気か!」
と唸る(自意識過剰である)反面、欠席したらタコ殴り哉、と思った。
報告者お二人の話はいずれも面白く、珍道中だった事を思わせたが、それに比べれば私のシリア・ヨルダン訪問は平穏そのものだったな。多分。嘘じゃありませんよ。こちらを見て下さい。
報告の最後に、司会の先生が
「十年前の写真でも使い物になる事が解りました」
と、聴衆を笑わせたが、実はこれは(身の程知らずを承知の上で申せば)私のコメントでもある。十年前と大して変わっていないのだ、6年前ならば、なにをかいわんや、である。

それにしても、スライドを見ながら、
『ああ、嗚呼、懐かしいな・・・』
と呻いてしまった。私はどうにも、旅人の属性から自由ではいられないらしい。どーせ懐かしくなってしまうのは分かり切っていたから、欠席も検討したんだよね・・・

付言すると、やっぱり中東では高級ホテルに泊まってはいかんな、多分。安宿の方が、実は諸事円滑に進んで珍道中にならずに済むと思う。それが確認できた事も、収穫だった。
いかん、一体私は今日は何をしてきたんだ・・・

12月12日

昨日、アヴァンティで見つけてしまった『アルスラーン戦記』最新巻・12巻を思わず買ってしまったおかげで、寝不足な上に予習不足。
いやあ、見つけた時には目の錯覚かと思った。アルスラーン戦記が二年連続で出るなんて、10年ぶりくらいの怪挙(爆)だ。
授業の進みが遅くて(というか、殆ど雑談で)助かった・・・

さて、今日の放課後は史学ゼミ。本日のお題は、

「第二次大戦前の、日本での近代歴史学の発展」

である。うーむ、そんなモンはヨーロッパの二番煎じの連綿たる系譜ではないのか?と思うと、そうではない。やはり、近代ヨーロッパの衝撃による歴史学の発展と同時に、それに対抗して、
「『日本』とは何か」「日本人らしさとは何か」
という二つの傾向が、激烈に衝突を繰り返している。無論、両者は互いの存在無くしてはあり得ない。例えば、日本でアジール研究をいち早く導入した平泉澄が、同時に「皇国史観」の象徴的存在であったのは、そのよい証左である。
同時に面倒くさいのは、このあたりを最もよく整理してくれている『20世紀日本の歴史学』の著者である故・永原慶二氏は、戦中の従軍経験のため、皇国主義史観とその旗手たる平泉に、殆ど憎悪といってよいほどの悪感情を抱いているという事。 そこのところを落としていると、とんでもない間違いを犯しかねない。

今ひとつ気になったのは、
「エンペラー的天皇から日本的天皇への移行」
という一節。うーん、こりゃまたどういう意図があったのだろうか?その場では言いそびれた(また議論が紛糾しそうだった)が、誰の用法を踏まえたものだろうか。これは結構、いやかなり、軽率な言葉の用法というものだな。
要するに、「日本の天皇は万世一系の皇統を持つ、他国には例を見ない現人神であるとの思想」の存在を指摘したいのだろうが、そりゃ近代的な西洋での用法を無思慮かつ無遠慮に使いすぎだ。ヨーロッパのエンペラーって、近代以前は世俗的な存在とはとても言えないからね。
まあ、今日の報告者は極めて分かり易く報告をまとめてくれていたので、不満はほとんど無かったのだが。

12月8日(愚僧の真珠湾)

うーむ、ちっとも悲壮感が無いタイトルだな・・・
もっとも、昨日は悲壮感タップリだった。何しろ、今日は2限がH.R.ギブのテキスト講読、午後はゼミ報告と入っていた。しかも、方向性で悩んでドツボに入っているのがこの頃である。
『新しい事が何も出来ていないのに報告レジュメなんて無茶だあ・・・』
心中に呟きながら、睡眠不足ヘロヘロの状態で、昼からのゼミでの報告に望む。当初は
「10分で終わるよ(もうお仕舞いだ・・・」
と思っていたのだが、真面目にレジュメを作って喋ってみると、意外と40分くらいかかる。で、
「ここのところがイマイチ解りません」
と、これまでの報告で繰り返してきた所をけっこう訊かれて、驚く。そうか、前の報告から半年、何も報告していないんだ。そりゃ、みんな忘れているわな。今回取り上げたテーマも、意外と意味がありそうだったのが収穫。

この後、西洋文学の加藤先生が主催する、饗庭孝男氏の講演会
「モーツァルトを聴く喜び」
の手伝いとして奔走する。一応、昨日3時間ばかり眠ったのは、実は体が保たないからというより、むしろこちらのための体力を残しておくため・・・で、あったりする。
私の役どころは、CDの音出し。要するに音響である。一応、演奏曲リストと音楽はもらったが、どの曲をどのタイミングでかけるか事前にわからなかった。
「台本とキューシート下さい」
言いかけて、そいつは無理だと諦めた。結局、饗庭氏からその都度合図をもらうという事になったが、それにしても久方ぶりの、準本式の音響役である。
『ここで私が居眠りしたら一巻のお仕舞いだ、一巻のお仕舞いだ』
と言い聞かせつつ、その眠気にふと下鴨劇場の現役時代を思い出して苦笑するという、奇妙な懐かしさと戯れながらの講演会。 事前にハウリングしまくったマイクに神経を尖らせ、何時キャパを越えるかと焦るくらいに満員御礼の客席に冷や冷やしながら、反応が悪い上に表示窓に曲に関する電光表示が出てくれない機材にやきもきしつつ、視線は講演者の合図から目を離せないという、やっぱりなんだか懐かしさを覚えた一時間半だった。
大きなオペミスをしなくて良かった。・・・ううう、こりゃ、完全に職業病の再発だな・・・

12月4日

一昨日以来の疲れは一向に取れた気配がない本日。何故かといえば、今日は考古の洋書講読の担当なのだ。それも、
「著者とかテキストの扱っているないようについての簡単な紹介をやって欲しい」
といわれたので、止せばいいのにやりすぎる。おかげで体調が一層ガタガタ・・・
今日のスーザン・アルコック著Archaeology of the Greek Past解題ではヘレニズム時代史研究の説明や遺跡の紹介などをやったが、ショックだったのはペトラのエル・ハズネの写真を見せた時。
皆、インディ・ジョーンズ知らないんだもん。むちゃくちゃ驚いた。

12月3日(そして連夜の呑み会)

本日、山口から違大なる山口霞夢こと珍友H氏が来たので、北山の拙宅でしばし歓談の後、北大路某所で呑み会。
二日連チャンで呑むのは、さすがに疲れる・・・

12月2日(呑み会ダブルヘッダー)

本日は洛北史学会第八回定例大会という事で、朝から奔走していた。
会場の音響設備が大幅に改善されたので、もう今回は何もしなくても良いだろう、とタカをくくっていたら、一時からの会では、三人の報告者一人ごとに必ず一度、マイクの電気が落ちる。その都度、マイクを取り替えるという具合で、腰がずっと浮きっぱなしだった。
そして懇親会では、報告者のお一人と、先生と向かい合った席で呑む。呑みはしても、酔う事が出来ない。ずっと向かい合いっぱなしというわけには行かず、席のあちらこちらで挨拶回りなどやっていたから、余計に酔っ払う事など出来ない。

懇親会終了後、今度は下鴨劇場の後輩たちの呑み会に顔を出す。こちらでは既に場が出来上がっていた。まあ、呑むというよりむしろダベリがメインだったね。

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