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1月20日(ブログの開設)

流行に負けまして・・・
この度、この亭主消息を、ブログに移行する事に致しました。
タイトルは、

洛北孫子亭通信−亭主消息

といいます。今後は、そちらをご覧下さい。
もちろん、本亭もまだまだ残しておくつもりではありますが。

1月15日(不摂生の決算)

殆ど一ヶ月ぶりに、考古学の洋書講読、Susan Alcockの Archaeology of the Greek Past を読む。エジプト土産のカルカデ茶が振る舞われたり、先生が「不在」だったり(笑)、いろいろ面白かった。

その後、夕刻5時過ぎ、歯医者さんに行く。行くのが7年ぶりって、さすがに行かなさすぎだ。行かなさすぎたせいか、しっかり歯に虫歯が出来てしまっていた。
かくして、しっかり歯石を取られるわ虫歯を削られるわ・・・虫歯がないのが自慢のひとつだったのに、かなりショックである。重傷ではないのが救いだが。
2007年は、2006年の不始末の決算から始まった。そんな感じがする。

1月14日(懐かしの大阪港と美術品鑑賞)

大阪港・天保山のサントリーミュージアムで行われている
「ポンペイの輝き」
展を見てくる。京都からだと遠くて1時間以上かかってしまうが、まあ仕方がない。
今回来ている展示品は、壁画が多くて吃驚。こんな貴重で大きくて持って来にくいモノを、よくぞまあ・・・しかも、それを実際の部屋に配置してあったように展示しているのが凄い。
「本来、この壁画の飾られていた部屋にはさらに寝椅子があって、それに横たわって食事をしたり談笑していた空間に、この絵は飾られていたのだ」
という、浅香先生のレクチャーを思い出しながら、壁画に見入っていた。
もう一つ、驚かされたのは、被災者の遺骸から型を取った石膏像が展示されていた事。もちろん現地では見た事があるけれども、日本で見たのは初めてではないかな。
全体としては、非常に質の良いモノが来ていたと思う。

この後、行った道とは少し道順をかえて、コスモスクエア駅から南港ポートタウン線に乗って、住之江公園まで行く。市内に出るのには少し遠回りのこの路線を利用したのは、もちろん7年前の旅立ちの思い出の地・大阪南港をじっくり眺めたかったから。 7年ぶりなだけに感慨深いモノがあった。ただし、途中のトレードセンター前駅から乗ってきた腐女子の波で車内はあっという間に埋まってしまい、感慨も半減。何かのイヴェントでもあったみたいである。
その後は、梅田で友人F女史に会って、晩飯を食べてから帰った。

1月12日

授業が本格的に始まる。昨日は、修士1回生の論文構想報告。
自分が報告をした時の事を思い出すと、はっきりいって首を吊りたくなる。構想報告の前日に予備報告をやって、その後レジュメを作り直していたら完徹して、尻から血が出たのは一生忘れないと思うのだが。  

今日は、久方ぶりの3時間ぶっ通しの演習の後、雑務を一段落させて図書館に行こうとしたら教室のひとつで下鴨劇場の後輩二人が雑談しているのを目撃、窓から侵入して雑談に加わる(真似しないで下さい)。
で、二人に
「何かおやつおごって下さい」
せがまれる。何故私にせがむの?と思っていたら、
「Nちゃん(別の後輩)には以前、おごってあげた事があるって聞きましたよ」
言われて天を仰ぐ。確かにそんな事もあったなあ。とは言っても、かなり前なんですけど。まあ、おごってあげても良いけど、時間があれば、の話だな。

1月6日

どうも、年末年始に実家でひいた風邪が長引いている。それにかまけて、昼頃起床に終日下宿でぼんやり・・・というのは、やはりあまり褒められたものではない。 使用頻度が高すぎる所為か、ティッシュが底をついた。鼻水の出すぎだ。やはり、風邪薬を買ってこないと拙いかな。このままだと勉強が出来ない。
取り敢えず、カレンダーはかえた。月刊ニュータイプの付録だが、他にもオマケでガンダムSEEDのスケジュール帳がついていた。これ、日常で使用したら絶対に晒し者になるよな・・・

1月4日(三日遅れの記事・・・月例映画鑑賞vol.1「硫黄島からの手紙」)

昨年の後半は全く映画館に行っていなかった(観たい!と強烈に思う映画が無かった)ので、今年はコンスタントに観に行きたいものである。なぞと思っていたら、「The有頂天ホテル」が、また京都市内の映画館でやっている!観に行こうかな・・・年末にテレヴィで観たけど。
さて、実はこの映画を観たのは元日、すなわち3日前の事であるが、まあ良いか。

体調不良を押して(暇だったので)実家から自転車で5分の春日井コロナに行くと、ちょうど上映開始の5分前。やった、良いタイミング・・・と思ったら、
「満席」
の表示が出ていて唖然とする。正月からよくもまあ、こんな濃い映画を観る気になるものだ・・・と、己の事は遠い棚に放り上げて感心する。 何とか確保した、前列から2列目の席に座って観た映画は二時間半の長丁場であった。

感想であるが、まず、
「これがアメリカ人の作った映画なのか」
と驚かされる。米兵による捕虜虐殺を描く一方で、日本軍人による米兵の治療を描くなど、到底ハリウッド発の映画とは思えない。 ただし、米兵の治療を指示した人物がアメリカ滞在経験があったり、何よりも硫黄島司令官の栗林中将がアメリカ留学経験者であるから、若干留保が必要かもしれない。
もっとも、そういった留保点を差しおいても、メガホンを取ったクリント・イーストウッド監督が、努めて公平さを保とうとした姿勢はスクリーン越しに充分に伝わってきており、違和感を感じる事が少ない、極めて良質な映画という事が出来ると思う。
最初は、日本の右派を自称する勢力が製作した映画かと思ったもんね。もっとも、右派だったら日本軍内の内紛なんて描写しないだろうけど。

1月2日

本日、諸般の所用を済ませて京都に帰って参りました。
無事に・・・と言えないのは、実家で風邪をひいてしまいましたので。いまも、正直体調はしんどいです。
12月30日が餅つき、1月1日未明が初詣、というのは例年通りですので、今年はそこら辺の事は省略いたしたく思います。

本年もよろしくお願い申し上げます。

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