HPトップへ

過去の『ご報告』倉庫へ


7月31日

来週末の広島行きが急遽中止になった為、同日に行われる高校の同窓会に急遽参加することになった。既に締切りは過ぎていたが、参加に問題は無いという事で、ひと安心という次第。しかし中止ならもっと早くに連絡して頂戴な・・・

新トップページ写真に関する意見は、今のところ、直接に聞いた一件以外に無い。誰か掲示板に書き込みをしてくれると有り難い。当然、非難轟々だと思うのだが。

7月26日

先々週に引き続き、史学科はサッカーをやる。それも1時半から日没まで。元気というかなんと言うか・・・私は足が痛くなったので途中で離脱したが。
吃驚したのは、ロシア人の少年が飛び入り参加したこと。この少年、ロシア語しか喋れず、メンバーの中で唯一ロシア語の知識がある私も語彙不足でしばし呆然とした。まだまだ勉強が足りないという事である。

7月25日

つい先刻まで、私はかなり困惑していた。
次のHPトップ写真には、まさしく『近影』を掲載しようと思ったのに、肝心なスキンヘッド丸出しと言う写真が一枚も無かった。これは困った。で、仕方なく、一年程前に撮った写真を掲載する事にしたのである。まあ、現状はこの写真に極めて近いから良いか。
髭のある方の写真についても、髭の左右バランスが悪いとか、不満は色々あるが、
・・・それにしても、このトップ写真を比べてみると、到底、同一人物を撮影した物とは思えんなあ・・・

7月24日

昨日までは実家に帰っていた。残念ながら、約束していた人とは会えず仕舞いだったが、ギリシア語四週間など、得た収穫は巨大なものだった。遂に25歳になってしまったが。

ええ、本日。
オープンキャンパスの準備を手伝わされる傍ら、K先生の本を運び出したりする作業があった。そしてその整理をしながらも、訪れた高校生たちの案内をする仕事。しかも夜には、院生が野郎ばかり4人ほど来てワイワイ騒いでいった為、余計な疲労が溜まった。

7月19日

昨日は月例SIBAの会であった。あと数ヶ月すると、此処にくる時には必ず独りという事になるのだなあ、今日は2人だが、と思っていると感慨もひとしお。私もさっさと我が愛するヴォトカの国、若しくはビールの国、そして更にはワインの国、あるいはラクの国でもいいが、兎に角行きたいものよ。

本日は、関学の西洋史研究会に、先月に引き続いて行って来た。発表者がヘレニズム期プトレマイオス朝ネタの人じゃなかったら、絶対に行っていなかっただろうなあ。そんな事を事後に発表者にお話したら、
「ヘレニズム史の人が聴きに来るとは思わなかった」
と言われた。大変だもんねえヘレニズム時代は。パルティアに比べりゃマシというだけで。

そして明日は帰省。残念ながら、スーツを着た写真は間に合わなかった・・・

7月15日(旱魃の国のレポートと雨期の国のレポート)

TBSの世界遺産は、先週・先々週と、アフガニスタンのバーミヤンとジャムを放映した。で、それを録画した物を見た感想。
まず、このように危険を伴う地域の危機に瀕している世界遺産を扱った、その識見と行動力、そして撮影を担当したスタッフの勇気には、素直に敬服する。素晴らしい企画であったと思う。
しかし、残念ながら、ナレーションが台無しであった。寺尾聡の語り口が、ではなく、その喋っている内容が、である。到底現地の状況を反映しているとは思えなかった。
「平和を取り戻したアフガニスタン」
「アフガニスタンの内戦は、終わりました」
などと、完了形で語るのは、どう考えても無茶が有るだろう。

と、そんな事とは全く関係がなく。
今日は祇園祭の宵々山に行って来た。M1の女性たちの浴衣姿に釣られて・・・というのは半分冗談で半分事実である。まあ一人で行って来たのだが、途中でなんだか寂しくなって、やはり祇園祭に来ていた後輩を呼んで、一緒に見て回っていた。やっぱり、複数でお喋りしながら見て回ると愉しいね、というのが感想である。こんな簡単な真理に辿り着くのに、7年も費やしたのか・・・

7月14日

下記について補足すると、サッカーをやるのは2001年8月にウラジヴォストークで韓国人留学生と日本人留学生とで親善交流試合をやって以来か。あの時は韓国軍団の反則的な体力の前に、まるでお話にならない程に襤褸負けだったが。

7月13日(愚僧も、もう年かと観念する次第)

昨日は各学科対抗のサッカー親善試合(他に適当な語が見つからない・・・)に参加して来た。史学科は(他の学科もそうだと思うが)、基本的には院生が主体で、それに4回生が数名参加するという具合。で、学科の他の連中が、吃驚するほど上手いのである。しかも、そろいも揃って、ヨーロッパのクラブチームのユニフォームを着てプレーしている。私は史学科以外のチームに(人数が足りないからという事で)レンタル移籍して2試合ほどプレーしたが、史学科チームはカラフルでプレーが上手くて、バックで防ぐのが大変だった。
個人的なことをいうと、はしゃぎすぎて、やっている最中には既に筋肉痛になっていた。一昨日には史学科院生の有志でバスケをやっていて、それも多少は影響しているだろう。
そして今日はどーしようも無い程に筋肉痛なのに、朝は5時起きでバイト、それが昼までで、その後は歴史学入門講座に2年ぶりに行って来た。筋肉痛で脚も組めない状態であったが、近藤孝弘氏と門脇禎二氏の発表は、相当に面白かった。しかし体中が痛かった。

7月8日(史学ゼミの「回顧と展望」をサボって)

西洋史ゼミの人々で、呑みに行ってきた。こういう企画は本来、院生がイニシアティヴを取るべきなのかなあ、と思ったりもする。
それはそれとして、個人的な反省点としては、店を追い出された後、延々と立ち話をやっている時に、私の下宿に行こう、という提案が一切頭から出てこなかったという事。まあ、来られても、面白い物など置いてはいないのだが。それでも、お茶などは出せたわけだし、まだまだ修行が足りんという事だな。

7月5日(漢気に感銘)

立浪和義の2000本安打達成に祝杯。

7月3日

睡眠が・・・結構足りない・・・

同期の友人たちに比べれば未だ恵まれた環境にあるとはいえ、本質的に蒲柳の質で虚弱で惰弱である為、私は人よりも休息を多く必要とする。だから、基本的には睡眠時間6時間+昼寝が15分は欲しい。
そんな私に、M2の某氏は注文してくる。
「頼むから図書館で寝るのはやめてくれ、頭殴りたくなってくるだろう」
「なんでやねん」
「だって木魚みたいじゃんその頭」
誉めているのか貶しているのか良く解らない、まあ取り敢えずは無理難題である。

7月1日(たまには哲学的に)

バックパッカーには、その経験の故に広い視野を持つっているのに、「右寄り」の人が多い。
これは何故か。

思うに、常に自他意識の問題に直面しているからだと思う。不断に「自分とは著しく違う、誰か」との対決をしている為に、自分と相手の立場というものを強烈に意識して居無いと、自分の立場に綻びが出て、収拾がつかなくなってしまう。従って、自己保存の為に、自分との対話が不可欠な物になってくる。他者との対決は同時に、自分との対話および対決を伴うものである、という事である。
このような作業を繰り返していると、皆、個性が強くなってくる。それにもかかわらず、対話と協調の重要性を体得している人間が多いものである。
そんな訳で、右寄りだけど視野は狭くない、という人間が生産されるという所になるだろうか。
私がどちら寄りかという事は言わない。歴史学徒にとっては、無益な問題設定であると確信しているからである。

6月24日

どうもスキンヘッドの評判は上々で、絶句したり笑い出したりする人が多い。
それにしても顎の涼しさには参った。今日の雨にも参った・・・というより、参っている、と現在形で言った方が正しい。

6月22日(今年の夏の恒例儀式は遅かった)

昨日、所用があって神戸に行って来た。暑さに辟易した。しかも辟易しているだけなら良いようなものの、三ノ宮駅からJR新神戸駅まで、何故かしら歩いて行ってしまい、死にそうになった。せめて帽子を持って行けば良かったのだが、こういう日に限って帽子が無い。

そして本日、例年より三週間遅れて剃髪した。髭も一緒に剃った。実に三ヶ月ぶりに、自分の顎の輪郭を見る。風に触れると、顎が涼しい。これでやっと、夏らしい風体になったと言う事が出来よう。

6月19日(道化師も此処まで来ると・・・)

昨日の史学科院生のS嬢とO氏のリクエストにより、今日一日だけ髪を金にして行く・・・つもりだった。
しかし、目論見は完全に失敗した。まるで金色になってくれない。お陰で、髪を洗っていたら演習に15分遅刻。ついでに睡眠不足は未だに解決しない。嗚呼眠い。

6月18日

最近はどうもパソコンの調子がイマイチ悪くて、なかなかHPビルダーを開いてくれない。
調子が上がらないのはパソコンだけではない。私も同様である。一昨日と昨日は、某女性だらけのゼミ室に突入を敢行してお茶を飲んでのほほんとしていた。ここの主任教授に「リンカーンみたいだな」と言われたのは、なかなかユニークで面白かった。昨日はプレッシャーで錯乱状態だっただけに、可也落ち着いた。
今日は、演習発表で徹夜。
「君、アラム語もやらなければねぇ」
これで私のやるべき言語は幾つになった事やら・・・

6月13日(13日の金曜日)

久し振り、私の大好きな13日の金曜日である。まあ悪癖であろう。
しかし、今日は朝イチがろくでもなかった。1コースロシア語受講のために平素よりも1時間半弱早起きしたら、何と休講。流石にガックリ来て、院生室で寝て、完全に目を覚ましたら10時半頃。殆ど早起きした意味が無い・・・しかも今日は雨の為にじっとりと湿気っていて、とてつもなく不快な暑さ。こういうときはモスクにいって午睡をしたくなるのは私だけか。

6月10日

史学ゼミ新歓コンパ、物凄い荒れ方をした。いやあ吃驚した。

6月7日(日付と実際に書いている日付の間に若干のズレが有るが無視)

府大の史学科が構成している洛北史学会の総会・大会があって、それに使いっ走りとして参加して来た。
事前に予想していた通り、私に割り当てられた仕事はPA担当。しかし、昨日から本日にかけては、汗をかきっ放しだった。
まず第一に、学生課から借りてきたマイクコードの規格が間違っていた事。次に、マイクスタンドが既にして使い物にならない程に潰れていた事。前日の準備に際して、私と軽音出身のM2約二名は頭を抱えたり、顔を見合わせたり、各出身サークルにコードその他の調達に行っていたりと、東奔西走させられた。
更に本日の大会に際しては、各委員・質問者等の声に差が有り過ぎ、私は慣れ親しんだ大学会館多目的ホールのアンプの前で半狂乱になっていた。
以下、少々専門的(?)な話になる。声というものは、その大きさよりも、音が遠くに届くような発声法を習得しているかどうかという事が重要になってくる。会場が広い場合、使用している拡声器(つまりマイク)に声が届くかどうかという事が問題なのである。私や他の二名のPA担当者には無意識のうちに行っていた事(三名共に声は響く部類に入るかと思う)が、他の出席者・委員の方々には「自明の前提」ではなかったという事である。そうと気付いていれば、前日のうちにキューシートを作っておいたものを・・・これも打ち合わせ不足か。
そして終了後には懇親会。取り合えず、予定していた規定酒量を相当にオーヴァーしていたような気が・・・

6月1日

先々週よりかかりっきりだった、SEG(Supplimentum Epigraphicum Graecum)の整理が、ようやっと一段落ついた。とはいっても、まだまだターニング・ポイントに入ったばかりである。後どれだけエクセルと向かい合わなければならんのだ・・・
今日は5時起き、しかも鼠が五月蝿くて殆ど睡眠にならなかった。

殺伐とした心を癒してくれるのは、今年も疎水の辺りに飛び始めた、蛍である。今年こそ、女性を誘って見物しようというのが、私の密かな野望である。

5月31日

昨日、史学科の縦コンに出席してきた。私の学部在学中には一度も無かった試みであり、実施を試みた3回生諸氏の尽力には、賛嘆の年を禁じ得ない。もっとも、実に約10年ぶりの試みであり、色々と手配りに欠ける所が見られたが、それでも、1〜3回生、及び大学院生4名と、さらには東洋史・西洋史の教員4氏、更には井口学長の参加は、特筆に価する快挙である。私も、学部生との交流に努めた。こういう場合は、ひたすらに尻軽な自分の性格が、かえって幸いである。
一次会の後に行われた二次会にも参加してきたが、髭を引っ張られたり雨が降ったりと、なかなかにエキサイティングであった。
いずれにせよ、体調不良をおして出ただけの価値は、十二分にあった。


inserted by FC2 system