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6月30日

今更になって、梅雨寒がやって来た。おかげで洗濯物が乾かない、というか、洗濯が出来ない。
今日は大雨の中、京都駅から洛北の下宿までチャリで駆ける派目になった。びしょ濡れである。

6月23日

後輩が出演する芝居の仕込を手伝ってきた。しかし、仕込みは手伝うわ約3名に昼飯おごるわ(松屋だからたいした額じゃないけど)差し入れはするわ、挙句に招待券は「要らん」と言って断ったり・・・私は阿呆じゃないのか。

6月22日

部屋の大掃除をした。おかげでかなり下宿がサッパリした。

最近、W杯について、「やっぱり無理してでも、初志を貫徹して海外逃亡しておくべきだった」という思いが、日増しに強くなってきている。というのも、今回のW杯、始まる遥か前からから日韓共催という形には一貫して反対だったわけだし、それにあまりにも開催国寄りの審判の判定に、好い加減ウンザリしてきた。日本では疑いの声はあまり聞こえないが、どうにも不自然、という感慨はぬぐえない。
いったい韓国に、共催国を立てるという姿勢がまったく見られないのはどういうことか。日本のジャーナリストが自主的報道管制を敷いているから日本人には見えないようだが、終了したら矛盾が一気に噴出するぞ。
日本は決勝T初戦敗退で良かった、・・・と書いたら怒る人多いだろうな。かなり本音なんだけど。

やっぱり、海外から、醒めた眼で、この不自然な狂熱を眺めてみたかった。

6月21日

一部阪神ファンと中日ファンの間で、互いに罵詈雑言の応酬が見られる。無論、阪神監督に就任した星野仙一氏が原因ではあろう。
しかし、私から見れば、両者の対立はチャンチャラ可笑しい。

そもそも、我々中日ファンや、阪神ファン、それに広島・ヤクルト・横浜ファンには、一つの互いに共通して語る事の出来る言葉が存在していた筈だ。

打倒、巨人」という、互いに共通した目標が。

巨人を叩きのめす、という「錦の御旗」の前には、それ以外の5球団の順位争いなど、色褪せてしまう。そのようなことは、巨人を完膚なきまでに叩きのめしてからやればよい事だ。
思い出して欲しい。私は幸いにして観る事が無かった、2000年の、悪夢以外の何者でも無い、あの「ON対決」を。あのような愚行を繰り返すことを望まない、という一点において、セ・リーグの巨人以外の5球団のファンは、一つの同盟関係にあると言って良い。
その共通の目標のためならば、仙ちゃんが阪神の監督になって阪神を強くする事は、よい事ではないか。また一つ、対巨人包囲網の一角が強化されたという事なのだから。

みんな、もう少し心を広く持って、プロ野球全体の事を視野に納めつつ、応援しようよ。

6月18日

体重は61kg台にまで減ってきた。このまま行くと、7月頃には60kgを割り込むような気がする。日本では夏バテと無縁な私であるが、それでも体重は減る。食欲は減らない。私の下宿の近くに住んでいる友人は思い切り夏バテしてしまう体質で、その人の前で
「夏バテだ〜」
と愚痴りながらカップラーメンをすすっていたら、思い切り怒られた。皆さんはどう思われるか、非常に興味がある。

6月14日

一日中バイトだったために日本対チュニジア戦を見ることは出来ませんでした。精神衛生上、非常に悪い状態でした。
バスの運転手さん(私のバイト先はバスの案内所ですから)曰く、
「営業所では当務助役意外全員がテレビにかじりついていた」
そうです。非常に健全ですな。

6月10日

トップページを新しくしました。旧来のもののままでも良いかな、とは思ったんですが。

雨の中、博物館の授業のために京都国立博物館に行ってきました。
なんで京博にガンダーラ仏があるの?タキシラとペシャワールとラホールで散々見たよ。・・・なんだか日本にあるのは違和感感じるなあ。
史学ゼミは・・・ううん、日本の女性史研究者やナショナリズム研究者って、イスラームが視野に入って来ることはないんだな、ということだけは良く解った。

6月9日

バイト先の友人、松永大祐氏のバンド“WILD KETCHUP”のライブがあったので、聴きに言ってきた。
ライブが始まる前、「ライブハウスに行くのは初めてだ」と言っていたが、実は間違いであった。本当は2回目なのだ。いや、3回目・・・になるのかな。

前に行ったのは、北京のライブハウス。旅先で親しくなった強介さんという男性と、京華飯店に出入りしていた黒人シンガー、チャーリーに連れられて、とあるライブハウスに行ったのである。ライブハウスと言えばいいのかバーと言えばいいのかよく解らんのだが。
その時の私は、西安から21時間の座りっ放しの強行軍を終えたばかりで、へろへろであった。
チャーリーはそこのライブハウスのバンドと一緒に歌っていたのだが、本業は英語の教師で、奥さんが日本人で、・・・という話は「絲綢之道の道端にて」中国編でも読んでください。

あれから2年も経つのか・・・チャーリーに写真を見せてもらったイェルサレムには、結局訪問を果たす事は出来なかった。本当にいろいろな事に遭遇し続けてきたが、私は少しは成長したのだろうか・・・
ただ、その頃までの私は未だ、無難な道を歩き続けていたような気がする。今、人生ではおそらく初めて、無難でない道を歩んでいるような気がする。
そんな事を思いつつ、ビヤ樽のような椅子を抱えて床に座りながら、10ヶ月ぶりにライブをする、WILD KETCHUPの飛んだり跳ねたりする様子を眺めていた。耳が痛くなった。

帰宅したら、日本はロシアに勝利していた。

6月6日

イスラエル入国拒否次第、あっという間に完成してしまった。殆ど推敲も無しである。
あの当時の日記をめくってみると、物凄い怒気が伝わってくる。
キメの台詞がすごいわ。

 「私は固く、固く、心に誓った。 
 一生、イスラエルは許さない、と。」

・・・だもんね。
ま、その当時に比べればマイルドになったものだが。

今、私の手元に、広河隆一著『パレスティナ』がある。読んでみて、たじろぎそうになった。最近は、アフガン関係といっても、直接パレスティナでの現場取材に基づく本をあまり読んでいなかったので。現場で見続けた事実を淡々と、しかし叩きつけるように示してくる広河氏の姿勢には、圧倒された。

6月4日

ワールドカップ、ついつい観てしまいました。
ま、その話は私以外にもする人居るだろうし、今日は別の事を。

今日も杉山教授の授業を拝聴していたわけだが、その授業を聞きながら、ふと思った。
この、文章力も講義での話し方も優れた京大の、いや日本の至宝というべき研究者は、いったい誰に、何を伝えたくて、何をして欲しくて、このように、学生を煽るような話し方をするのだろうか。
そこまで考えて、覚えず、立ち止まってしまう。
杉山教授の院生講義、昨年・今年と、西洋史の人間は私一人しか出席していないのである。
断っておくが、去年にせよ今年にせよ、私は府大史学科の院とは(正式には)何の関係も無い。西洋史の院生は計3人いるが、誰も杉山先生の講義を聴いていない。
それでいて、一人しかいない、しかも部外者に過ぎない西洋古代史の人間(なのだろう、私は)をしょっちゅう焚き付けるような語り方をするのはどういうわけなのか。

ひょっとするとこの人は、西洋史の人間にも、自分の話を聴いて欲しいのではないか。
西洋史の人間に講義に来てもらえない事に、深い焦りと失望を感じているのではないか。

私の友人の京大史学科の院生に同じ西洋古典古代を専攻している人がいるが、彼は、現状では新しい研究成果待ちだと語った。誰の成果を待つというのか。
別の友人は、私が日本現代史を専攻している院生を師と仰いでいる事について、そのような状態は京大ではあり得ないと語った。その彼は、京大史学科に三行半を叩きつけて転科している。
そして杉山先生は、言外に「京大には来るな」というような話し方を(おそらくは、私に対して)している。
しかし、・・・一体私は何処へ行けば良いというのだ・・・
迷いは募るばかりだ。

6月3日

今日は一日バイト。疲れた。暑かった。改めて京都駅は遠い。自転車で行くもんじゃない。

6月2日

下宿の近くに疎水があるのだが、今年も蛍が飛び交う季節になった。銭湯の行き帰りなど、ついつい足を止めて、飛び交う緑の光点に魅入ってしまう。本当に綺麗だから、誰かと一緒に見ていたくなるね。それが絶世の美女なら、言う事はない・・・ってそりゃ妄想か。

先日、当「洛北孫子亭」の初代管理責任者である霞霧氏(最初は私は何もやってませんでしたから)が、実家に帰るというので、最後の挨拶をした。
人生は、人との出会いと別れを繰り返す事・・・旅行中に噛み締めた、おそらくこれは真理であろう。

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