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10月31日

ニュースを観た。眼が腐った。耳が腐った。フジテレビの『目覚ましテレビ』のアナウンサー達、内心に恥じる所は無かったのだろうか、
「これほどに大差で虚塵が勝った理由は何なんでしょうか」
などと、解りきった事を喋って・・・FA制度とドラフトの逆指名制度によって、虚塵が『実力のパ・リーグ』を徹底的に骨抜きにしたからに決まっていよう。

あんなチームをセリーグの代表として(断じて認めたくは無いが)日本シリーズに出したという事を考えると、胃の腑から腐り果ててきそうだ。セ・リーグの他の5球団は、そしてファンは、敵は何よりも虚塵である事を再認識する必要があろう。

10月28日

眠い。理由はハッキリしている。先週土曜日に聴きに行った交響楽団の定期演奏会で、心地よい眠気に誘われたのに意地を張って居眠りしなかったからだ。あの時居眠りこいていれば、多少は眠気も醒めていただろうに・・・
とりあえず、先週外大図書館で借りまくってきた本を読破しないと。
ついでに、本棚を買わないと。人に見られてはやばい本も結構入っているのだが、全くバレない。それほどパンクの状態が酷い。

10月22日

史学ゼミのテキストが、今週はウォーラーステインだった。年齢が上の人たち(私を含めて)の人々には飲み込みやすかったが、1・2回生はしんどかったようである。まあ、これまでに『世界システム論』なんて、散々聞かされてきたからねえ。
今回のテキストは、『訳語の混乱』ということが一つと、そして、『エスニック集団=弱者』という、一つの図式を、ヒントとして私に提供してくれたように思う。そう考えるとしっくり来るものが、結構ある。

10月21日

思わず、というか、図書館に在った、佐藤賢一『王妃の離婚』を一気に読みとおしてしまった。
先日に買ったアイザック・アシモフ『銀河帝国の興亡』といい、読書の秋である。

10月16日

実家から一昨日帰ってきたのだが、それから暫くは、疲れて日記の更新すら出来ない状態だった。
もう毎年恒例となった豊山町の秋祭りだが、何が大変かって、10歳以上も年が離れた子供たちの相手をしながら、どういう順番で叩くかを指示しなければならないという事。何しろ私が太鼓を叩き始めたのは小学3年生、昭和62年の事だ。その時には生まれて居無い子供たちが大半である。ついでに言うと、『昭和』あるいは『ソビエト連邦』が既に彼らの中では歴史上の出来事、もっといえば『昔の事』としてしか認識できないという事でもある。こういう子供たちの相手をしていると、これは小学校や中学、高校の先生は大変だと思う。こういう認識のギャップを埋めていかなければならないからだ。してみると、もう何年にもわたって『おじさん』と言われ続けながら(そして密かに傷つきながら)子供たちの相手をし続けてきたのは、非常に貴重な体験と言わざるを得ない。

硬い文章になった。
さて、実家で携帯電話を買い換えた。それはいいのだが、妹と機種が同じだった。
結構ショックだった。
何しろ、前の携帯も妹と同じ機種だったのである。しかも前回も今回も、色まで同じである。少しヘコんだ。

そして今日。京都外大でのギリシャ語の授業に出て来た。ついに私と先生のマンツーマンになってしまったが、つまりこれは、外大の学生が一人もギリシャ語を受けて居無いという事になる。えーのんかいな。

10月10日

どうも10月10日と言うと、私の中では『体育の日』という意識が抜けない。
今日は久し振りに、ふらりと川端四条のSIBAに行って来た。酩酊酩酊。
初めて週刊ベースボールを買いました。西部ナインが秋山を胴上げしている写真が、見開きで載っていたのでつい・・・

10月8日

史学ゼミ後期第一回。お題は、ウォーラーステイン&バリバールの『人種・階級・国家』。
サッパリ解らんぞ。

10月5日

今日はスポーツニュースを見まくった。西武ナインが、今年引退する秋山を胴上げする映像が、どうしても見たかったのである。しかし、この光景を流してくれたスポーツ番組が意外なほどに少なくてがっかりした。

10月4日

当初予定では今ごろは実家の筈だったのだが、このHPの更新をしているという事は、当然、まだ京都に居るわけである。
理由は単純明快。村祭りのある日を、1週間、勘違いしていたのである。今朝、実家の母に電話した際に指摘されて、初めて気がついた。もっとも、その瞬間に血の気が顔から一気に引いた。
今日は、史学科の院生室の引越しを手伝ったりと、昔の経験が生きた日だった。

10月3日

どうも、友人の卒論の手伝いをしなければいけない状態になりそうである。その友人のテーマの対象が中国だから、いくらでも助力できる・・・と思っていたら、私と彼の興味のベクトルが少々ズレているという点が、厄介である。
友人『中国の貧困問題』
私 『将来の中国大動乱に関する一考察』 
・・・さて、どうすり合わせていったモノか・・・

9月28日

昼過ぎにギリシャ語と格闘していた佛教大学図書館からバイト先に向かう途中、クライブ・ポンティング『緑の世界史』下巻を買った。後輩に教えてもらったのであるが、ホンとに上下巻二揃いあったのでビックリだ。私の上巻の状態が、最悪なので、少し考えなくてはなるまい。
早いとこ、本棚を買わないとl。もう完璧にパンクしていやがる。

9月27日

午後にバイトが入っていなければ、恐らく一日中、図書館に雪隠詰になっていたのではないかと思う。
HPが移転しただけではないな、この更新熱は。

ところで、URLの最後のところにくっついている(これがユーザー名なのだが)、quettaとは何か。
あまりわかる人おらんだろ。パキスタンのバローチスタン州の州都のクェッタである。
このIDにするのは大変だった。

「何!孫子はもう使われている!誰だ使用している奴」
「うげぇぇペシャワールも既に使用されている!誰だこんなID使う物好きは?」

そこで、下宿の壁に掲示してある地図群に目が行く。

「じゃあクェッタはどうだろう?」

こうして、このHPの新URLは決定したのであります。

9月26日

食堂で友人の宮堤氏と先日の阪神−巨人戦について語っている時、史学ゼミの1回生の後輩たちが、突然、やって来た。
何でも、今度の渡辺信一郎教授の東洋史概論のテストが、どう解けばいいのかサッパリわからんという。
お題を観て、思わず唸ってしまった。

「『史』」とは何か」
「『史官』の成立について書け」

信一郎先生、これはお題がキツ過ぎますよ。もっともこのテーマで書くというのは、好きな人間にとっては、たまらないのではないだろうか。とりわけ、中学・高校時代、なによりも中国史を深く愛した私にとっては、まだ詰め襟の制服を着ていた、あの頃を思い出させてくれるようなテーマである。

しかしまあ、去年といい今年といい、史学科の先生方のスパークぶりは、年々悪化していく一方だな。彼らについていくには、学年の壁・分野の壁を突き破った、幅広い交際関係が要求されそうだ。もう少し、パワーをセーブしても良いんじゃないかと思うんだが・・・

9月25日

お知らせ

サーバー移転しました。上手い事カウンターが回らなくて、呻吟しています。あと、各方面への連絡も大変です。これを機に全面改訂に着手しています。

とりあえず、新生洛北孫子亭の最大の(?)見せ場は、「別館」と銘打った、下鴨劇場写真館です。
いつの間にやら、下鴨劇場での写真を一番多く撮影し、皆に配布する役目は、私が担当していました。しかし、(同僚たちに)配布し損ねた写真も数多くあります。そのような写真を公開することは、かねてから構想していましたが、今回、容量がジオシティーズよりも遥かに巨大なインフォシークにサーバーを移転する事で、ようやっと実現が可能になりました。
下鴨写真館は、何よりも、下鴨劇場でかつて苦楽を共にした、旧友たちに捧げるものです。

今後とも、洛北孫子亭を宜しくお願いします。

9月24日(HP移転前だけどこれだけは特別に)

京大西部講堂に、電子游戯科学館+ニットキャップシアターの、『新京の動物園』を観て来た。いやー、何が凄かったかって、突然舞台上に登場した、T−34だね。最高だね。関係者に聞いたところでは、ホンモノよりも若干スケールが小さくしてあるそうな。思わず絶叫しかけてしまった。

そして本日最高のミモノは、甲子園の阪神−巨人戦だな。まさか今年のペナントレースの最高の見せ場ともいえる優勝決定戦が、あのような試合になるとは思わなかった。
一言では言い得無いので、二言云わせて頂く。

「最高!素晴らしい試合だった」
「ざまあみさらせ!これが天罰というものよ!」


あの時は銭湯に居た。洗い場で身体を洗っていたのは私一人、他の客は全て脱衣所でTVを食い入るように見ていた。私は、ワイルドピッチの後、胴上げが始まるまでの間、サウナでTVを観ていた。全く、あの六甲下ろしは、実に最高だった。


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