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3月31日

以前からそうなのだが、友人カップルが呆け呆けぶりを発揮していたりすると、必要以上に大笑いしてしまう癖がある。特に、アルコールが入っている時はそうだ。
悪癖だと承知している為に直す気が無いのだが、最近になって、あれは(無意識のうちに)邪気払いの積もりでやっているような気がしてきた。笑う門には福来る、という訳である。何より、笑いながら同時に、天地の八百万の神々に祈ってしまう私である(私には唯一神を信仰する事は出来ません)。
言葉は祈りである。笑いもまた祈りである。文字にもまた、祈りを込める。特に宗教的な信条があるわけでは無いが、事ある毎に、その事を意識するようにしてきた。

上の文章には特に意味は無い(あってたまるか!)。ただ徒然に・・・何となく書く気になったまでである。
ついでに、私にとって特に重要ともいえる守護神として認識しているのは、実家豊山町の氏神様と道祖神と郭源治と宣銅烈と与田剛とギャラードである。何だこの文章は・・・

さて。
本日は、史学ゼミの打ち合わせであった。出席者各位が非常に真剣に討議をしていたが、新2・3回生が以前よりも滑らかに会話を交わすようになった事を確認できたのが、私としては非常に大きな収穫だった。その後は私の大学院進学を祝って頂いたのだが、
「全く初々しさが無いなあ」
といわれて些か意気消沈する次第。いやそれは、一体何年の付き合いになると思っておられるのですか、我が師よ・・・

3月30日

所用で訪問していた三重県から、急遽取って返して京都でのピースウォークに参加した。
抜けるが如き晴天の下、今日の参加者はかなり多かったんじゃないかと思う。
ただ、今日は三重県での所用の際に催された呑み会の後遺症で、咽喉が完全に潰れていた。非常に有意義かつ愉しい集いではあったのだが、何せい、喋りすぎて咽喉が完全にお釈迦である。喋りすぎで咽喉を潰したのは、多分初めての事である。
取り敢えず、列車の中に置き忘れた寝袋について、問い合わせをしないといけない。

3月27日

大学院の入学手続きの日だったのだが、致命的なミスをやらかしかけた。
幸い、事なきを得たものの、相当に泡を食った。
それにしても、新入生勧誘のビラ、どのサークルも渡そうという素振りすら見せなかったな。当たり前といってしまえばそれまでだが・・・なんだか寂しいなあ。

3月25日

依然として咽喉は痛いものの、体調はだいぶん持ち直してきた。しかしこんなガラガラ声では、言いたい事も充分に言えやしない。
そんな状態で京大の文学部図書館に行ったら、どうも今日は卒業式らしかった。

3月24日

昨日は風邪で寝込んでいた為に、一日中外出できず。本当はピースウォークに参加するつもりだったんだがなあ・・・バイトの時がしんどかった。
今日は多少持ち直し、卒業式の様子見に行ってきた。下劇、見送りが私以外には一人とは・・・おいおい。

3月21日

昨日は二日酔いで頭がバクダード状態だった。即ち、麻痺状態。などと思っていたら、どうも咽喉に痰が絡まる。やっぱり一昨日の飲み会の時に3時まで騒いでいたのがまずかったのかな・・・咽喉が痛い。
そんな事をさて措いて今日は立命館に図書の閲覧に行ってきた。休日なのになんで人文系書庫が空いているのかな?と首を傾げていたのだが、どうも卒業式であったらしい。これ幸いとばかり、京都を引き払ったばかりの友人つかちー氏を呼び出し、珍しくも暖かく晴れ上がった空の下、お茶を飲んでのほほんとする次第であった。

3月20日

昨日は下鴨劇場の第三期生の追いコンに、PTA代表として参加してきた。おいおいそんな歳かよもう・・・でも、昔の映像とかを見ていると、過ぎ去った歳月を感じる。それにしても、わざわざ懲りまくった舞台装置を作ってのけた下鴨劇場第4・第5・第6期生諸氏には恐れ入る次第。

3月18日

懲りる事を知らない・・・というべきだろうか。
本日、京都国際会館で行われた、キャンドルチェーンなるものに参加してきた。同会館で行われている、世界水フォーラムへの参加者に、反戦の言葉を呼びかけようという試みである。

『私の研究材料が灰になるのは到底耐えられる事ではない』
『世界遺産がゴロゴロ転がっているイラクが瓦礫の山になるのは人類の損失だ』

などという私の反戦への主張は、はっきり言って変化球であるかもしれない。しかし、今回の戦争に対しては、どうにも釈然としない物が多すぎる。そうである以上、反戦を唱えざるをえないのである。

3月15日

足が痛い。京都で行われた、イラク反戦を訴える街頭デモに参加した為である。
私が参加したピースウォーク京都は、三条河原から始まり、市役所前まで行進した後、そこで先着している他の団体と合流し、円山公園まで歩いたのである。
公式発表では四千人という事だが、小雨がちの天候でなければ1万を超したのではないかと思う。
まあ行進に参加しながらも、交通整理の警察官は大変だなあとか公共交通機関の関係者は苦労しているだろうなとか、全然関係ないことを考えていたが。
取り敢えず思い至るのは、あと半月、戦争開始がずれ込めば、アメリカは、半年は戦争が出来ないだろう、という事。理由は、冬将軍の逆。つまり暑さ。いくらなんでも今回は地上軍を投入するだろうし、地上軍を展開するのならば、今しかないのである。暑さに強い軍隊を持つアラブ諸国は絶対に自軍の投入を肯じないだろうし、いくらなんでもあの地域の暑熱に米軍はもたないだろうし。

3月13日

今日、四条某所のある呑み屋に女性と呑みに行ったときの話。
「ホワイトデー、何か頂戴」
「そもそもバレンタインに貴女から何も貰ってませんけど」
「この間来た時に、チョコあげたでしょ」
「あれは残り物ではなかったかな・・・」
「私にも何かくれるんですよね」
と、その店のバイトの娘に言われたのには頭を抱えた。酒がまわっているんだから、そんな頭を抱えるような事を言わないで下さい。第一、私はバレンタインにチョコをあげた事はあっても(後輩たちへの差し入れですが・・・)、もらう事は、これまでもこれからもあり得ませぬよ。

3月12日

下宿のテレビのケーブルを少しいじったら、受像状態が格段に良くなって愕然とした。これまで撮り貯めた、あの映像状態の最悪な世界遺産とゾイドのビデオの山を眺めながら、とてつもなく恨めしい気分になって、ひたすらに鬱々とした気分になった。嗚呼。

3月6日

以下に述べる事は昨日のことである。

京都外国語大学へと向かう途中、北大路と賀茂街道のぶつかる所にある古本屋で、平成元年発行の、大学書林『ラテン後四週間』を購入した。値段は3000円だった。少し逡巡したが。パラパラめくっている時に、ふと気が付いて背表紙を見た。
値段、税抜き4500円。おい、何で15年が過ぎた今でも同じ値段なんだよ!
傑作だったのは、古本屋のオヤジさん。本を包みながら
「高くて御免なさい」
実に粋な言葉である。

話は飛んで、夜。
京阪バスの営業所でアルバイトをしている私のところに、かなり怪しい格好をした人が現れ、バスについて短く質問を投げかけてきて、立ち去ろうとした。しかし、その声・顔・そして頭に巻いている布に、かなりの引っ掛かりを覚えた私は、その人に追いすがって色々質問をぶつけてみた。
カイロのサファリの番頭・丸山さんであった。
お互い、こんな所で会うとは思っても見なかっただけに、私は狂喜した。・・・にしても、丸山さんに全然気が付かれなかったのは少々ショックだった。ま、確かにサファリのあの頃とは顔の輪郭が全然違うけれどもさ・・・

2月24日

京都府立大学の友人、静彰夫の見送りに行って来た。3年間、ロスアンジェルスに滞在するそうである。よく解らんが、坊さんとしてあちらに赴任するのだそうだ。私が遊びに行く事があるのだろうか・・・
それはそれとして、関空に行く事自体が非常に久し振りだった。もう、丸2年訪問していないのだ。前に関空を利用したのが、あのユーラシア遠征の最後、2001年1月6日土曜日(良くこんな瑣末な事を覚えているな・・・)以来の事になる。空港の空気が、本当に懐かしかった。

2月23日

ようやく、下鴨劇場写真館の更新を再開した。同時に、写真集『飛ばずにイスタンブール』編も、若干の変更を加える予定である。

2月17日

京大の院試の結果を見る前に、京都外国語大学に本を借りに行ってきた。また行かなければならぬな・・・
京大の院試は、モノの見事に落第していた。ガックリきたというかホッとしたというか、なんだか妙な気分だ。

2月14日

巷ではバレンタインというこの日、私は京大の大学院入試二次試験の日であった。
オフレコで『柴田が一次通っているとは思わん買った』とのコメントも伝え聞くが、今日の二次試験は、正真正銘に襤褸襤褸だった。
まず筆記。二外の露西亜語、単語をサッパリ覚えていないのが露呈。せめてもう少し早く、精神的再建を果たしていれば・・・見事に轟沈炎上した。
続いて面接。こちらもオタオタしまくり。谷川稔・服部良久・南川高志・小山哲と並ぶ顔触れに、まず尻込みをしてしまった。
怖かった。物凄く怖かった。
あまりの怖さに、口頭試問の際に貰った打撃に、すぐには気が付かなかった。時間が経ってから、徐々に、しかし強烈かつ圧倒的に効いてきた。待機場所となった西洋史研究室で院生と雑談し、帰宅する頃には精神が廃墟と化していた。100tハンマーで完膚なきまでに叩きのめされたような感触である。府大の院試が合格していても、まるで歓喜の情が沸いてこないのは何故だろう・・・

この1ヵ月、院試の勉強に邁進して来て本番に臨んで不断に痛感したのは、絶望的な敗北感である、自分の甘さについては常々承知してきたが、ここに来て歯軋りとともに思い起こされる。全く甘い人間である。
とりあえず確定的な事実は、私には敗北感に打ちのめされている時間的余地が無いという事である。

2月4日

昨夜はT2マフィアSIBAの新年会である。私は、そこに至るまでに、下御霊社で振舞い酒を呑んだ為に、出来上がりかけていた。そうか、節分だったな・・・道理で寺町に幟が立っていたわけだ。
かなり酔っ払っていたから、何を言っていたのか解らないと思う。マスター御免なさい。同席した皆さんも御免なさい。

2月2日

友人・松永大祐氏のバンド『ワイルドケチャップ』のライブを聴きに行って来た。
当然、時間的余裕などは無い。しかし、何か気晴らしをしないと駄目な状態だった。精神が崩壊しすぎ・・・
まっちゃん、咽喉の調子イマイチだった見たいね。

2月1日

先程、院試一発目の京都府立大学の院試が終わった。
いやつかれた。
筆記よりも面接が。
本年度は殆ど何もやっていなかったからなあ・・・専門の研究は。いや無理ですよ。
気分が疲れたので、今日は安眠出来そうもない。

1月30日

前回の『ご報告』と、事情はさして変わらない。相変わらず、英単語を暗記して、息抜きに中央公論社の世界の歴史を読むという日々が続く。違うのは、ついに院試が明後日に迫っている事か。
最近、下宿が猛烈に寒い。今も、室温は10℃を下回っている。おかげで、全然眠くならず、頭は冴えきってしまっている。日中図書館で午睡をしている為ではあるまい、おそらく・・・

1月24日

院試も近いというのに、ここ数日は連続でバイトに入っている。まあバイトしながら院試のために単語を覚えているのが実情であったりする。しかし、大学受験時代の単語帳、実に使えるよ。今後の為にも、何とか全て暗記したいものである。

1月22日

ギリシア語の授業がついに終了した。そうは言っても、テキスト最後まではとても終了しなかった。大変だったのよ、あれをやるのは・・・それにしても、1対1なぞという恐ろしい講義を受講する事は、当分ないかもしれん。先生には本当に良くして頂いた。
夜に来訪されたF女史、寒くて御免なさい。

1月15日

京都府立大学と京都大学の、院入試の願書を提出してきた。
といって、色々と不備な点が多く、院生室でマスター連中(殆ど同い年っていう所が恐ろしい)におちょくられながら、作業をしていた。京大の願書は高野の左京郵便局から発送したのだが(規則だから仕方が無い)、なんと吹雪いていやがった。朝も雪が積もっていたし・・・思わず雪合戦がしたくなった。ちなみに今日は、その吹雪の中、新年第一回目のギリシャ語の授業。寒かった。

1月13日

本日は、卒論本論を院生室でプリントアウトした後、谷底どっきゅん倶楽部の新年会に出席してきた。そんな時間的余裕は何処にも無いのに、無理をしたものである。並木氏の北朝鮮報告は興味深かったのであるが。

1月10日

京都に戻ってきたのはもう一週間も前になるのだが、今まで何をやっていたのかというと、
@知人の修論のチェックを依頼されて、それをこなしていた。
A並行して、自身の卒論補論を製作していた
それらの作業が一段落したと思ったら、風邪で倒れてしまった。しかも昨日・一昨日の2日間・・・
やっと風邪が落ち着いた今日は、卒論補論を見てもらっていた友人の下宿に携帯電話を忘れ、昼から晩まで大騒ぎしていた。疲れた。
また明日、朝イチで手続きに行かなくちゃあ・・・


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