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5月29日

先日、知人と話している時に
「嗚呼、旅に帰りたいなあ・・・」
と、半ば独り言のように言ったら、とてつもなくウケた。院生達の間でも「名言だ」との誉め言葉を貰ったから、結構良い表現なのだろう。肩に一切力が入っていない、ごく自然な台詞にすぎないのだが(私にとっては、である、勿論)。

もっとも、その誉め言葉も、先週号と先々週号のマガジンの読みきり連載の中村医師の話を読むと、たちどころに色褪せてしまう。
ペシャワール会の活動報告、あるいは会に関係した人たちの著作を読んでいると、私は内心、苦々しい思いを禁じ得ないのだ。何故なら、私は
『ユーラシア大陸中央、殊にアフガニスタンが空前の旱魃に見舞われた』
という2000年7月、体調万全、気合十二分の状態で、アフガンの隣国パキスタンの観光に飛び回っていたのだから・・・
あの時、このペシャワール会の活動を知っていたら、私は会の活動に参加していたのだろうか。正直、微妙な所だと思う。あの時には、
『西へ!更に西へ!』
と、気が逸りに逸っていた頃だったから。
それでも、せめて丸山直樹氏のルポ的著作だけでも目を通しておけば・・・今でも、その気重さからは、なかなか開放されない。

5月24日(気分は少々ムスカ大佐)

本日7時、バイトを終えた私は、アバンティ5階のとある店舗に、先日注文したスーツを取りに行った。
そして、バイト先で待ち構えていた友人2人に促されるまま、試着してみた。
眼前で爆笑する2人。私は小首を傾げながら、トイレに行って、鏡の前に立ってみた。
思えば私の耳には其の時、バルス!」とハモりながら叫ぶ、パズーとシータの声が何処かから、聞こえたのかもしれない。・・・そう、それはひょっとしたら、鏡の中からだったかもしれない。

「眼が!眼がぁぁあ〜!!」

気がつけば、私は呆然として鏡の前に立ち尽くしていた。
あまりにも整合性の無い、服と人間の組み合わせに、自ら愕然としていた。
嗚呼・・・どうせいというのだ。ネタにしかならんぞ、この格好は・・・

(以上の記述には、一部にネタと嘘と冗談を含んでいる事をお断りしておきます。)

5月20日

史学ゼミの最中に抜け出して、四条某所でF女史と酒を呑んでいた。思えば私はこの人に弄ばれるのが楽しみで、わざわざ呼び出して酒に付き合ってもらっているようにも思う。要するに私はマゾか。見ているマスターやバイトの娘にとっては、私が女性と呑むというミスマッチが面白いかも知れんが。
今日の史ゼミのテキストの内容は、個人的には「?」マークが数十個は軽くつくような内容だった。あれはどうなんだ、一体・・・

5月19日

一週間続いた立命館通いが、やっと終わった。取り合えず、疲労は抜けないし眠い。まあそれなりに充実はしていたけれどもね。
それから、スーツを買った。尤も、今は裾直しをしていて、私の手元に来るのは土曜日の事。
買う時には、当然試着をするわけだが、してみた感想は、・・・以下省略。

5月16日(時には昔の話を)

1コースロシア語に出席していた時の事。常に切れのいい訳をぽんぽんと出すA氏が、今日に限って調子が悪いので、どうしたのかと先生が問うと、

「明日から静岡でやるホビーショーの準備で殆ど寝ていません」

おお素晴らしい。昔そういえば私も、模型同好会の事務を一手に引き受けていたよ。私が日本を離れると同時に模型同好会は崩壊したけどもさ・・・現在、京都市内の大学で模型同好会を持っているのは同志社だけだそうな。

話は飛んで、午後。
立命館に行く途中、後輩宮堤氏の友人T氏と少々同道しながら雑談していたのだが、

「柴田さんは今年は旅行に行かないんですか?」

おお、私ってば同じ問いを毎年長期休暇の前にはぶつけられる命運と成り果てているなあ・・・
思えば2000年、フンザを訪問して、出来たてホヤホヤのメルアドを記した『風の谷訪問記』と題した書簡を日本の各所に発送してフンザを離れる時、

『必ずや3年のうちにこの地に戻るであろう』

と、道祖神と風の谷の神に誓ったものである。あれから3年が経過した。今更ながらに、背筋の凍る思いを味わっている。そんな思いを抱きながら今日もまた立命館に足を運ぶと(ここ一週間立命館通いのおかげかどうか、最近は体重が極めて安定している)、いくつか立てカンが立っていた。
私の目は、ひとつの立てカンに釘付けとなった。

「放浪同好会 新入生募集中」

思わず、膝が砕けてしまった。
嗚呼、西の風様が、『孫子』を名乗っていた頃の私の魂を誘っている・・・

5月14日(一寸だけ0083の気分)

来たああ!遂に来たぞおお!
注文していたロエブ古典叢書のポリュビオスが、やっと来た。
他の本と一緒に頼んだら三週間待ちだった。

「我々は、三週間待ったのだ!!」

等と絶叫したくなる気分である。
もっとも、全六冊のうち四冊だけ・・・それ以外は注文していないから・・・まあそのうち全部揃えちゃうような気もするけど。国際文化の共同研究室に無いストラボンとかどうしよう・・・当分、そんなモノを買う金は無いぞ・・・
今日は一昨日に引き続いて立命館に行ってギリシア語碑文集と大格闘戦。疲れた。明日はポリュビオスを持って行って、疲れたらポリュビオスを読んで休むか(あまり愉しく無さそうだ)。

5月12日

昨日まで、日本西洋史学会が愛知県立大学でやっていたので、昨日にあった部会だけ出席してきた。吃驚したのは、県立大がとてつもなくアクセスの悪いド田舎にあったという事。「愛知県民なのに知らなかったのかよ」と突っ込まれそうだが、私が高校生の頃には、長久手には無かった筈である。交通の便が悪いのは、学生が車で通学する事を前提としている為であろう。
で。
皆さんがスーツの中で私は普段着だった(普段着率は確実に一割を割っていたように思う)。何故、普段着だったのか、というと、・・・単純に忘れていただけ。もともと持って居無いという事もあるけど、父から借りるのをすっかり失念していた。それにしても、W邊先生とかH本先生とかに、すっかりネタにされてしまった。やはり、好い加減にスーツを買った方が良いのかな・・・しかも、後輩に頼まれて、バックパックを実家から(スポーツバッグに詰めて)担いできたので、一人だけ矢鱈に荷物が巨大だった。

5月10日(若干、回想的)

西洋史学会のために帰省したわけであるが、初日は面倒臭いので省略して鶴舞の図書館に行ってきた。何年振りになるか忘れてしまったが、相変わらず学習席は狭いけれども書籍は充実していて(多分、府大の図書館よりも品揃えが充実している)、足利惇氏著作集とか色々積み上げて本を読んでいた。一時間ほど読書を堪能した後は、先月の3日に私に恐怖感を与えてくれた後輩と共に、再び古本屋など巡る。前回の教訓が活きて居無いな全く・・・ってか、もう少し潤いのある事が出来んのかな・・・

5月5日

バイトの後、当HPを立ち上げるにあたって甚大な迷惑を蒙った(というより、途中までは更新をやっていたのは彼だったな)、珍友H氏とともに酒を呑み、ボウリングに行ってきた。いや腕が痛い。明日、マトモに字が書けるかな・・・それにしても今回のGWは、当初予定していた帰省も急遽中止になったり、予定が最初っからガタガタだったな。自分の無計画と無軌道が主たる要因だが。

5月1日

今日からみやこめっせで始まった、古本まつりに行って来た。とはいえ、会場に駆け込んだのが3時で、営業終了まで2時間弱しかなかったので、大慌て。調子に乗りすぎて、顔見知りの京大の研究生某氏に所在を教えて貰ったオックスフォード・クラシカル・テキストのホメロスを買い漁ってみたり、あれこれと品定めをしていたら、あっという間に5時になった。
その後、三条寺町のアートコンプレックスに行って、電子游戯科学舘の「牡丹灯篭」を見てくる。二部構成の、トータル2時間40分芝居だったかな。かなり長かった。オモロかったけど。
とりあえず帰宅後、また軽くなった財布と既にパンクしている本棚を見やりつつ、溜息をついている次第である。

4月30日

先週はサボった1コースの講義に行くと、何と休講でガックリきた。流石は小山さん、京大の先生である。おかげで眠いんだよー。
夕方には梅田に行って、下劇の僚友だったG嬢の出演する芝居を見てきた。会場が非常に狭い、線路脇のビルの4階だった為、芝居を見ながら、
「これで火事が起こったらどーするんだろ」
と、余計な事を考えてしまった。それにしても、妊婦の役というのは、妙に生々しかった。下種の勘繰りかなあ。何しろ舞台の上にあるのが化粧箪笥と布団二枚という時点で、思わず身構えてしまったし。

4月29日

先週は修論計画報告(無茶だ・・・)があった木曜日をはじめとして、懸案山積みだった。まあそれも、無事に終わりそうな気配ではあるが。だからって、更新を長い事サボっていた言い訳にはならぬか。

今日は、お世話になっている先生に、本をお借りしに行った。しかも、御自宅・・・かなり緊張しました。相変わらず、他人の家にお邪魔するのは気が張る。腰が痛いのは、腰を曲げた姿勢を維持しすぎた所為かな。
これで後は、アマゾンで注文した本と、心待ちにしている『お知らせ』が来て、明後日に始まる春の古本市に足を運んで、帰省ついでに後輩に会うという仕事を片付ければ、懸案は一応片付くわけだ。
何の事か解らん、という部分もあるかと思うが、当事者が解ればいいのだ。解る様に手配するのが明日の仕事だあ・・・

4月18日

かなり久し振りにロシア語の授業に出た。それにしても、金曜1コースはきつい。身体に堪える。
それから、下記4月7日の条について、ある人に追求されそうになった。差しだったら、あっさりと白状していたようにも思う。

4月17日(ン年ぶりの演習)

久し振りに史学科学部3・4回生の西洋史演習に出席して、思わず唸った。4回生が、雰囲気を和ませようと積極的に動いていたのだ。私は、自分個人では下の回生の人たちと積極的に会話を持とうと心掛けた積もりだが、なかなか全体については意識が回らなかったなあ、と今更に反省をする。人間というのは、下から上にアプローチを試ることは、なかなかに難しいものなのだよね。逆もそうだけど。でも、上から下に歩み寄るほうが、まだしも容易いのかな。
根本のところで引っ込み思案なので、私も人に話し掛けるというのは苦手なんですが。特に、最初に話し掛ける時には、相当に勇気を出しているのである。いや事実だから信じてくれ・・・

4月15日

今日は講義2つに出席した後、史学ゼミの第一回会合に出席してきた。旧来のメンバーのうち、風邪で来なかったり大阪ドームに野球観戦に行っていてネタにされたりした奴もいたが、まあ盛況といってよいのではないだろうか。

4月14日

昨日、谷底どっきゅん倶楽部の企画で、赤穂に行って来た。
『赤穂に塩を作りに行くツアー』
莫迦である。どう考えても阿呆である。しかし、このような莫迦な事こそ、われら谷底部員の本領というものである。とりあえずしんどかったのは、・・・まあ徹夜して赤穂に行ったことだな。私は座った席がかなり特殊だった為、ほぼ一睡も出来ず仕舞いであった。
そして赤穂に着いて、まだ咲き誇る桜の花を見て、・・・本当に塩を作っているところが、我々の計り知れず面白くそして阿呆なところである。
そして帰り道の明石で、明石焼きを食った。
「蛸が食えないから明石焼きの蛸だけ食ってくれ」
私はそう言っておきながら、平然として蛸を食っていて皆呆れていた。
それにしても、最近は阿呆な国内旅行ばかりしているな。東京で花見とか明石で塩作りとか・・・

4月10日

バイトが昼から夜という事で、少々迷ったが、自転車で仏光寺通り付近まで鴨川の土手を走り、そこからは高瀬川の桜を愛でながら走るというルートをたどった。全くらしくは無いと思うが、桜を見ていると浮き立つような気分を抑えきれない。今年は花見も存分にしたし、言う事は無い。

4月8日

入学式があったわけだが、今日もまた、雨男の本分を全開にしてしまった。式の間中、外は音が五月蝿いほどの大雨。遂に、記念撮影が体育館内ということになってしまった。
式の後は、先生にさっそく呼び出されて釘をさされた。卒論が全く駄目であったと。引き攣り笑いすら浮かんで来ない。ついでに言ってしまうと、私には新入生らしい初々しさが全く無いという事を、完全に露呈してしまった。院生室では勝手知ったるという顔で、色々と仕事をやらされていたり。

4月7日(日記というよりも雑想録)

以前からの懸案の一つが解決。出た結論は、予想通りのものであった。
とはいえ、問題は、今後の対応だろう。出た結論が、対処法への一つの道標にしかならぬという事はしばしばある事だが、今回の件はそのような事例のひとつである。取り敢えずは、また酒を入れての慎重な密談を重ねる事と相成りそうである。

何の事か解らぬであろうが、ヒントは以下に挙げる通り。
『常に色恋沙汰というのは格好のネタであると同時に厄介事のひとつの種である』

色恋からは常に無縁であり続けた日々が教えてくれた教訓である。
この日付の時点で理解できる人は、私以外には一人だけである(もっともその人がこんな余計なコーナーを見ているのかどうかは確認の仕様も無い)。

4月6日(東京・名古屋遠征録)

1年ぶりの東京遠征から帰ってきた。
まあ下記の通り、サファリホテルの同窓会が目的であったのであるが。

東京に行く前日、名古屋に寄って、N大に編入する後輩の案内をしていた。その時、
「柴田さんって女の子に普通に興味あったんですねー」
と、さも意外そうに言われて絶句した。別に、女に興味が無い風を装っていたつもりは無かったんだけどな・・・いずれにせよ、女性と一緒に古本屋など行くものではないという事が良く解った。自らすすんで弱点を曝しているようなものである。後輩の、妙に天下を取った様な笑顔が私に恐怖感を植え付けた。

昨日、待ちに待ったサファリホテル同窓会の日であった。私の顔を見てすぐに解った人が結構多かったので驚く。頑張って顎鬚を伸ばした甲斐があったというものである。それにしても、1時半から9時まで酒を呑んでいたわけである。京都から来る莫迦は私だけだと思っていたが、大阪とか一宮とか和歌山から来ている人までいて、大笑いすると同時に感心した。取り敢えず、友人S氏から借りた、バグダッドの写真もまた、巨大な成果である。クテシフォンの王宮の写真を見た時の私の気持ちは・・・嫉妬で狂いそうであった。電車の座席指定券、危うく捨てて所沢に一泊しそうになった。このようにして、久し振りに『孫子』に戻った一日は、物凄い終わり方をした。

そして今日。
ムーンライトながらで名古屋途中下車して実家に顔を見せて、京都に戻って、京大で古代史研究会に出席して、ついでに懇親会でまた酒を呑んでいた。ここまで来るとかなり阿呆だが、それより何より、明日の健康診断がかなり心配である。

4月2日

「明日から東京に花見に行くよ」
「あんたは阿呆か」
・・・云われてしまった。それも年下の女の子に・・・

そんな訳で、明日から東京遠征である。目的は、上記の如く花見であるが、もう少し精確にいうと、エジプト・サファリホテルの同窓会としての花見である。そうでもなければ、こんな時期に、大嫌いな東京なんぞに行ったりしますかい・・・目的としては、懐かしの知己たちと交流を暖めるという事と、イラクについての話を聞くという事である。何しろ、2002年はイラクツアーでイラクに突入した人たちが多いので。・・・と、流石にここまで言うと、「あんたは阿呆か」という人は殆ど居無い。
今回の東京行きは、小生に何を齎すのだろうか。現時点で確実なのは、逼迫状況にある財政が更に悪化するという事である。宿すら決まって居無い・・・

4月1日(4月の莫迦)

エイプリルフール。だからどうしたと言いたくなるくらいに、今日は一日中バイトに明け暮れる日。
今日から新年度である。仕切り直しと思って『御報告』も新章にしたのだが、なんだか歳をとったなあ、と思ってしまう。最近は本当に昔話をする事が多くなったものである。おお何だこの若さの欠片も存在しない文章は・・・


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