旅の所感集

好き放題に書き散らします。かなり硬い文章になるかもしれませんがご容赦ください。

中国

中国とは、すなわち「巨大な寄木細工」である、というのが私の中国に対する見方である。その寄木細工を束ねているのが人民政府である。
人民政府の存在の正当性は、「中国的共産主義」にあるのではない。列強による干渉を最終的に、広大な国土の全てから排除し、完全な自主独立国家を復活させた事にある。したがって、人民政府成立時の領土は、神聖不可侵なものである。寸毫も割譲する事は許されないし、国内の少数民族の自主性を尊重した連邦制を採用する事も許される事ではない。そのような事をすれば、人民政府は即座に正当性を失い、瓦解するだろう。少なくとも、人民政府はそのように信じているように思われる。
全ての力は、中華人民共和国という、非常に脆い組織を維持するために向けられている。基本的に、内向きの国家なのである。
日本に対して強硬姿勢が目立つのは、内面が脆いからである。内面の脆い国は、勢い、外に対して居丈高になるという習性を持つ。

とりあえずこの国の事が知りたかったら、南京の南京大虐殺記念館に行く事をお勧めする。別に歴史学徒に限った事ではない。訪問してみて、私は愕然とした。一体、この博物館を見て、
「戦争犯罪に対する謝罪と反省」
の必要性を痛感する日本人がいると、果たして中国人は、中国政府は、考えるのだろうか。あるいは、中国国内のウイグル・チベットなどの少数民族が、館内でくどいほどに叫ばれている
「振興中華」
のスローガンに、呼応する事があると考えているのだろうか。

あの南京大虐殺は、日本の歴史学者や一般民衆が信じているほどに、日中友好のトゲとなるような代物ではあるまい。それよりもむしろ、バラバラになりそうな中華人民共和国という、巨大な寄木細工を維持するための道具と見たほうが良いように思う。あの展示を見て感銘するのは、漢族だけであろう(いや、それすらも怪しいと思う)。私のような小僧すら欺けない様では、底が知れている。

当分の間、穏健に国家運営を続けていく事は出来ないだろう。最悪の場合、大規模な内乱の発生を視野に収めておいた方が良い、というのが私の結論である。

国土は大部分が乾燥している。一方、気候が湿潤な江南地帯は同時に商工業も極度に発達しており、内陸部との経済格差は加速度をつけて拡がる一方。この状態をどうする気だろうね。



パキスタン


国土全体から辺境の匂いが漂ってくる、特異な国家である。すなわちインドの辺境・ウイグルの辺境・アフガンの辺境・イランの辺境の寄せ集めである。観光客ズレした国ではない。人は純朴で、しばし身体を休めるには丁度良い。
最大の難点は、夏の猛烈な暑さだろう。副首都ラワールピンディーやパンジャブ州の州都ラホールの5月など、とうてい日本の軟弱な生活に慣れた人間に耐えることのできるものではない。安宿には空調など望むべくもなく、暑い大気は日本の夏のような湿気を含んでいる。まさしく、殺人的な暑さである。北西辺境州のペシャワールは乾燥しているが、こちらも立っているだけで熱射病になりそうなほどに暑い。こんな所で18年間も医療活動を続けているペシャワール会の中村医師は、超人である。素直に尊敬してしまう。その中村医師が、
「(アフガンの)何処に行っても、東京と広島・長崎の事は知っている」
と仰っていた。パキスタンでも事情は同じである。

現在は軍が政権を握っているから非民主的だ、とよく日本では考えられているようだ。ちゃんちゃらおかしい。私の訪問した2000年の時点では、前政権よりもはるかに軍政の方が支持を受けていた。クーデターの際に大規模な混乱が起こらなかったのが、その証拠である。
ただし、現在は事情が異なるだろう。軍政トップのムシャラフ大統領が、アメリカのタリバーン掃滅戦に(やむを得ず、だが)協力したからである。おかげでムシャラフ政権は、その根元を揺るがしかねない状態に陥っている。

なんと言っても、あのアフガン空爆以来、パキスタンへの訪問が難しくなってしまったのが痛い。



インド

貧乏旅行者に大人気の国である。何でかね?
ただし、私は気に食わなかった。インドという国が気に入らなかったのではない。そこを旅行している旅行者(まあ主に日本人ですが)が、である。もっと言ってしまえば、「旅行しているつもりになっている奴ら」という表現が一番正確になる。
私は、
「これこそが旅行のあるべき姿だ」
という風に押し付けられると、反発してしまうのである。で、インドではこのテの人間がやたら多い。別にいいじゃないの、旅なんて好き好きで。旅行人の蔵前編集長が言っていたけど、「おごるな!貧乏旅行者!」
とまあ、それがインドの感想だね。



ネパール


本文中でも書いたが
「奇跡の国」
である。中国とインドのようなワガママ大国に挟まれて、よく国家運営なんぞやる気になるもんだ。
私が行ったのは雨期だったが、おかげで観光客がいないから宿の値段は値切りたい放題。シングル150円とか200円だもんね。気候も暑すぎず涼しすぎず、ちょうど良い。住民の人柄も穏やかだし、療養には良い所よ。



イラン

評価分かれるんだよなあこの国・・・「好き」という人と「嫌い」という人と。
私は3週間滞在していたくらいだから、「好き」な部類に属するのだろう。しかしそれでも、好奇心が旺盛すぎるイラン人には辟易した。私はじっくりのんびり旅を楽しんでいたいというのに、必ず声をかけて来るんだもんね。
日本語が喋れる人が多い、というのも変な特色である。日本への出稼ぎ労働者が多かったため、という。

国政に対して不満をもつ人が非常に多い。聖職者のみが国政運営に参与しているという状態は、やはり、かなり無理があるようである。

国土は殆どが沙漠である。日差しが強いために日中は暑いが、乾燥している為に、日陰に入ったり日が暮れたりすると涼しい。
そして、文化遺産の宝庫。嗚呼いくつ見逃した事やら・・・



トルコ

見所だらけ、世界遺産だらけの国である。
にもかかわらず、私は、「最初の海外旅行だったらトルコだけはやめときな」とアドヴァイスする。理由は、イスタンブールの日本語使いたちに翻弄され、有り金を巻き上げられて、失意のうちに帰国する危険性が極めて大きいからだ。私は東から来る際に、散々イスタンブールの悪評を聞いていたから、それなりの心構えも出来ていたのだが。ま、ガラが悪いのはイスタンブールの日本語使いだけで、それ以外の人々はまったく危険でも何でもないのだが(別にイスタンブールに限った事ではなく、何処の国でも旅行業関係者には注意する必要がある)。
ヨーロッパへの憧れを濃厚に持ちつつ、イスラーム教徒としての敬虔さも十分に持ち合わせている。その両面性の故に、「神聖経済同盟」と私が呼んでいるEUには加盟できないし、イスラーム諸国からもそっぽを向かれ、周辺諸国から毛嫌いされているイスラエルと近しいという、泥沼にはまり込んでいると私には見える。



シリア

シリア大統領ハーフェズ・アル・アサドの死去と息子バッシャールの政権継承を知ったのは、ネパール・カトマンドゥでの事だった。
政権移行期で、バッシャールが足場固めに奔走していたね。イランのシリア大使館でも、シリア国内でも、バッシャールの写真は、父親アサドの写真と必ず並べて飾られていた。まだまだ、独り立ちが出来るような状態ではなかった。そんな状態で対イスラエル情勢が急激に悪化していたのだから、そこを乗り切ったのはそれ相応の力量があったのだろう。
古い文明の地だが、近代国家としての潜在能力も、結構持っていると思う。国内を流れるユーフラテス川(流域にダムを作っていた)、まだまだ開発の進んで居無い油田、豊かな穀倉地帯である、地中海沿岸地域など。勿論、観光資源も豊富である。
これでもう少し、国際社会の目が向けられればなあ・・・



ヨルダン

国土の殆んどが沙漠、観光資源にも極めて乏しい(目ぼしい所では、高名なペトラを除けば、ローマ遺跡のボスラと、首都のアンマンくらいかな。従って、国政の運営は、極めて難しいと思われる。これでせめてもう少し平和ならば、また別の生き方もあるのだろうが、何しろ隣国が、世界でもっとも排他的で喧嘩っ早い国ときているから、全くロクでも無い。



エジプト

御存知、犬も歩けば世界遺産に当たる国。ここは国土が結構広がっているように見えて、地中海沿岸とナイル流域だけを見て置けば、主要な所はほぼ完全にカヴァーできる。
ここは国家元首の(あるいは国父の)写真がかなり少ない国なのだが、現大統領ムバラクが最初にクローズアップされた事件って、意外と知られて居無いと思う。イスラエルからシナイ半島を奪い返した、第四次中東戦争の空軍司令官が、ムバラクなのである。従って、カイロ市内の往昔の政庁所在地、シタデルにある軍事博物館に行くと、この第四次中東戦争のときの展示が君臨している。
大体このことから、もう一つ解る事があると思う。平和条約を結んで20年以上が経つのに、対イスラエル感情は最悪である。実際、私がシタデルに観光に行った時も、デモ行進するパレスティナ人たちを無慈悲に銃撃するイスラエルというモチーフの映像が撮影されていた。
そして、私がイスラエルに入国しようとして拒否された話は、『絲綢之道の道端にて』で書いたとおりである。

観光地だらけであるために、観光客目当ての連中が矢鱈にうざったい事は、言うまでも無い。

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