時間差を、どう解釈するか〜『氷菓』感想まとめ


「氷菓」というアニメ作品を薦められたのは、おそらくはバイト先だったでしょう。
実のところ、見る以前から、京都アニメーションの制作ということもあり、注目していた作品でありました。
そんなこともありまして、ものは試しと観てみて、しっかりハマッてしまいました。

ハマッた原因のひとつが、主人公・折木奉太郎の姉である、旅人・折木供恵の存在です。
顔も出さず、そのくせとてつもない存在感を発散する脇役。
さりながら、この人物への関心を表明することは相当に物好きであるらしく、誰もが絶句します。
『他に魅力的で感情移入できるキャラが、いくらでもいるだろうに・・・』
そんな言葉が、言葉に出さずとも、私の耳に、しっかり届いてきます。
しかし。しかしながら。
旅人としては、存在感満点の旅人・折木のねーちゃんに、第一番の共感を覚えてしまうのです。

その一方で、アニメを観ていて、思わず首を傾げた箇所がいくつかありました。
たとえば、主人公の奉太郎が「拙劣くそ」な筆記体を書いた場面もその一つなのですが・・・
その中でも最大のモノは、ヒロイン・千反田えるのおじ、関谷純の「死亡」にまつわる設定です。
日本の法律では失踪後、7年経つと人は「死亡」という扱いになる・・・らしいですね。
ですから、

「おじが『死んでしまう』前に!」

というえるちゃんの叫びが、物語の発端となります。そうなると、
「関谷純の失踪から7年後の青春群像劇」
−これが、絶対にいじることができない、作品の基準点となるわけです。

その一方で。
京アニは、時代設定だけをアニメ放映時点にあわせて、2012年に持ってきた。
それ以外の時間進行を忠実に再現した結果、私がどうにも納得できない、思わぬひずみが生じました。
関谷純が、干支一回りぶん余計に年を取ったことではありません。まぁ、関係が完全にないわけではないのですが。

アニメ版の「氷菓」では、この千反田えるのおじは、2005年のインドで行方不明になっています。
これに違和感を感じた人は、まれなようですが・・・
しかし、私には気になって仕方がないのです。

何がおかしいのか、と思われる向きもあるかと思います。
しかし、ちょっと立ち止まって、考えてみてください。
2005年時点のインドって、そこで人が当たり前に行方不明になりそうな天外魔境ですか?
原作ですと、関谷純はマレーシアからインドに向かい、消息を絶っています。
行方不明になるのはマレーシアでは不充分で、インドでなくてはならなかった。すなわち、
「秘境としてのインド」
のイメージは、より明らかなものと解釈して良いでしょう。

しかし・・・
2005年頃だと、インドはもう、新興の大国としての地位を完全なものとしつつあった時期でしょう。
その証左のひとつ・・・と申しましょうか、インドはエディンバラ大学のビジネススクールにも、大量の学生を送り込んでいました。
いかに『深夜特急』の強烈な印象があろうと、いまや
「秘境としてのインド」
のイメージは、弱いものとなっていると解釈して、差し支えないのではないでしょうか?
そうした自身の経験もありまして、この新興経済大国で「日本人が行方不明」という設定に、どうにも釈然としないものを感じたのです。

この違和感は、原作の奥付をみて、さらに中身をパラパラめくって原作の時代設定を見た時に、深い納得へと変容しました。
なるほど、舞台設定が2000年だったら解るな、と。
すなわち。あくまでもイメージの問題ではありますが、
「1993年のインドで行方不明」
という設定は、インドを旅した経験がある人間としても、かなり首肯できる話になるのです。

それまでわだかまっていた違和感が、アイスクリームのようにするっと「氷解」して、胃の腑に落ち着いたような心持ちでした。
『氷菓』だけに。

駄洒落はさておきまして。
それと同時に、供恵さんの存在が、一気に近くなりました。
私と同じ時期、同じ場所を旅し、旅の空の空気を吸い、飯を食べた人なのだなぁ、と判明したからです。
ですので、その後、旅を語る折木のねーちゃんの言葉には、より一層、深く共感し、納得するということになりました。
とりわけ。
供恵さんがイスタンブールから日本にいる弟に送った書簡の、


「きっと十年後、この毎日のことを惜しまない」

という一言には、魂の底からの共感を覚えました。
あの時には、そこまで考えていたか・・・
でも、確かに、その通り。干支を一巡りすぎた今、私はあの日々のことを惜しんだことは一度もない。
多分、一生涯、惜しむことはないだろう、と思います。
あの頃の自分に、折木のねーちゃんみたいに洒脱なセリフがはけたかというと、無理だったでしょう。
それでも。

ああ、崩れる前のイランのバムを見たのかな・・・
取り壊されてしまう前の、サライェヴォのオスボロジェーネ新聞社を見たのかな・・・
イスタンブールのチャイハネでバックギャモンに興じたのかな・・・

そんなことに思いを馳せてしまいます。
原作者の米澤穂信氏が、何処まで旅に関する知識があるのかは存じませんが。
旅仲間のおねぎさんが、私に向かって酒盃を片手に仰った、

「私たちは、2000年のアジア/ユーラシア横断組で、この上なく幸せだったのだ」

この一言に深く首肯した、4月の大阪での花見を思い出しつつ、
資料を片手、いま一方の手では酒盃を傾けつつ、参考文献をあたりつつ、思わず「氷菓」と旅の空に、思いを馳せてしまった次第です。。

※2012年11月6日Facebookアップロード

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