私が前科者にされそうになった一件



古代ローマの政治家・大カトーの
「とはいえ、カルタゴは滅ぼされるべきである」
という有名な文句をコピー&ペーストしている気分でした。
「当方に非がなくても」
という言葉を、いったい何度繰り返したでしょうか。担当者が私にする説明を区切るたび、私はこの文句をマクラにおいて、言葉を発したものでした。

パスポートの更新のため、京都旅券事務所に足を運んだのは1月8日のこと。
発給されたのは、実に2月7日のことでした。

通常であれば、パスポートの更新には十日間あれば充分なのです。これが通常の3倍、実に1ヶ月もかかったのは、旅券申請用紙の「刑罰等関係」に該当する箇所が一点だけあったためでした。それも、筆頭条項です。

「1. 外国で入国拒否、退去命令または処罰されたことがありますか」

私は堂々と、胸を張ってこの項目に「はい」とチェックしました。
これは、当然のことです。入国拒否、もしくは退去命令は、基本的には一方的に当該国の都合によるものです。
従って。
「入国拒否、もしくは退去命令」と「処罰」を等号で結ぶがごとき同条項は、一笑に付すべき代物といわざるを得ないものです。実際、私のバイト先では、同条項を見た後輩が、

「なんの後ろめたいこともないのに、こんなところにチェックを入れなきゃ行けない人が、まさか身近にいるとは思いませんでした」

と、私の前で笑っていたくらいです。それを受けた私も、何の危機感も抱いていませんでした。
そんな私が、いざ申請に行ったところでこの条項を見とがめられ、延々1時間近くも質問攻めをされることになりました。
「前の更新の時には、普通に更新されていますね。・・・おかしいな」
担当者のこの一言は、ただでさえ低い私の沸点をあっさりと突破するものでした。
「何故、イスラエルとブルガリアで入国拒否されたんですか?」
無知と無礼は、同期するものなんですね。私は、この一言が、その生きた事例であると思いました。

入国拒否にあたって、その事由は明確にされないのが通例でありましょう。少なくとも、国境の管理官に、そんな暇はありません。だって彼らは、山のような国境通過者をさばかなければならないのです。ご丁寧に、入国拒否事由を説明した文書など、発給されるわけがありません。
まして、イスラエルは建国以来、常に臨戦態勢にある国です。
「現在の情勢に鑑みて」
という文句が公明正大に適用されるならば、彼の国に対しては、たとい日本国政府が躍起になって推奨するツアーであっても、「渡航自粛勧告」を提示し続けることが妥当であろうと思われます。
また。
こういった事情から、田中真知氏が『旅行人』誌2005年秋号(通号149号)55頁でも指摘していることですが(そして、バックパッカーの間では「常識」ですが)、イスラエルの入国審査が著しく厳しく、被入国拒否者も多いことは、よく知られた事実です。
「何故、そんなことを馬鹿正直に文書に記入したのか」
ともいわれましたが、これはパスポートの更新に際して前のパスポートを提出することが義務づけられているため、シラを切ることができないためです。ましてや、イスラエル入国拒否は私にとって、何らの後ろめたいこともありません。なぜ、食言の必要がありましょうか?

加えて。
UKへのビザ申請に際しても、入国拒否の履歴を問われましたが、その際にも正直に拒否履歴を申告しており、その点は何ら問題とされないまま、通常はビザが下りるまで三週間かかるといわれていたところ、たった十日後にはビザが発給されました。
幾多の歴戦の旅人たちが入国拒否の憂き目に遭ってきたのが、UKなのです。古くは、沢木耕太郎もあわ入国拒否されそうになったことを『深夜特急』(新潮文庫版では第6分冊、178〜187頁)で記しています。その極めつきに入国審査の厳格な国からのビザ発給に際して一切問題とされなかった条項が、日本で問題とされる事態を、何故想像し得ましょうか。

国外退去にしたところで、事故であることにはかわりありません。
この事例で私がすぐに思い浮かべるのは、硬骨の学者にして旅人、小島剛一氏です。氏がトルコ国内の少数民族の諸言語の専門家で、現地での実地調査を積み重ねる過程でトルコ政府ににらまれ、二度の国外退去の憂き目に遭ったことは、氏の『トルコのもう一つの顔』と『漂流するトルコ』の両著作に詳しく記されています。
その国外退去歴を理由に、小島氏を咎人扱いし得る日本人が、果たして存在しましょうや?

その私が申し渡されたのは、こんなことでした(後日、送付された書類より転載。ただし、口頭で言われたことも、だいたいこんなところ)。

「あなたの一般旅券発給の可否については、この申請に基づき、事前に提出していただいた関係書類により外務省において審査され(通常1〜2ヶ月を要す)、外務大臣が決定します。その結果、あなたの一般旅券の発給が認められなかったり、有効期間や渡航先を限定した旅券の発給しか認められないこともあります」

皆さんの目には、この一節、どのように映るでしょうか。私には、

「あなたを、過去の入国拒否履歴によって、前科者と認定する可能性が存在します」

としか読めませんでした。その旨を通告された私が返した言葉は、

「当方に一切、何の非もないことが明らかなのに、そのような不都合を受ける可能性があるということなんですか」

ここから先、何を言われても最後まで、「当方に一切非がないのに」の一言をつけて返答し続けた、という次第です。不快きわまる質疑応答の3週間後に通常旅券の発券を通達され、新しいパスポートを受け取るまでの間、私は担当部署に対して何の感謝も労いの言葉も発しませんでした。
実に一ヶ月間、私は怒り続けることを強いられていたことになります。

その一方で、この一ヶ月間、ずっと考え込んでいたことがあります。
旅の経験を積んだ人には言わずもがなのことですが、入国拒否はいわば事故のようなもので、誰にでも起き得るものです。
しかるに今回の一件は、事故を犯罪と等号で結ぶ意図を感じさせるものでした。
その事故に遭遇する危険を回避するために、という名目でツアーという
「管理・去勢された海外への渡航形態」
を誘導し、管理することが得策であると国民に教え諭そうと、果たして当該項目の記載者は思っているのでしょうか?少なくとも私には、そう信じていると思われたのですが・・・
そして同時に。
この「去勢された海外渡航形態」で、海外への視座が形成されると、本気で考えているのでしょうか?
(余談ながら、英語ではツアーは旅と同等視されません。ツアーの元の語はpackage holiday/ tourですが、この際holidayはさて措きましょう。Tourの語源はturnで「戻ってくる」、travelの起源はtroubleですから、まったく別物であることは明確です。以上、Online Etymology Dictionary調べ、URL→http://www.etymonline.com/index.php)
旅券事務所の自動扉の「開扉」ボタンを膝蹴りで押し開けながら、改めてそんなことを思いました。

沸々と煮えたぎり続ける怒りを抑える術もなく、臼杵陽氏の新刊『世界史の中のパレスチナ問題』でさらに激情に油を注ぎ続ける、そんなこの1ヶ月でした。


※2013年2月Facebook掲載
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