翻訳という難題と時代区分の用語を選択する困難
先日、日本近世史の先生から頼まれて、短い報告を英語に翻訳する作業を行った。
自分の専攻領域外の事について書かれた文章を英訳するというのは、恐ろしく難しいものである。まして、私は歴史学諸分野の中でも日本史には一番疎く、未だに高校生レヴェルの知識すら持っていないのではないかと、たびたび恐怖に襲われるような状態である。まともに訳しあげる事が出来たかどうか、まるで自信が無い。
その様に困難な作業の中で、とりわけ引っかかったのは、「近世」という言葉をどのように英語に訳するのかという問題だった。
言うまでもなく、日本史では当たり前のように使用され、西洋史学会においても
「近世史部会」
というのは存在するから、当然に和英辞書中にも出てくるものと思い、手元にあった新リトル英和・和英辞典の第六版(研究社、1994年)を開いてみると、「近世」という用語の所には、
「近世→江戸時代」
とある。これに従うならば、「近世」の訳語は「Edo Period」なのであり、つまりは近世というのは日本史にしか存在しない概念、という事になる。
その時は、それで無理矢理納得して、近世をEdo Eraとして訳したのだが、どうにも釈然としないものが残った。なんといっても、その問題を放置しておいては、西洋史学会の部会がひとつ、存在を否定されてしまいかねない。そこで後日、研究社の『新和英辞典』第五版(2003年刊)を調べてみた所、近世の所には、ただ
「Early modern period」
とあるのみだった。
「近世=江戸時代=日本に固有の時代区分」
という図式は、ここ10年の間に何処かに消えていってしまったらしい。
しかし、このアーリィ・モダンという言葉、素直に直訳すると近代初期というのが一番スッキリする訳語であろう。果たして、江戸時代は「近代初期」といってしまって良いものだろうか。
ここでいつも紐解いてしまうのは、私の所属する京都府立大学の岡本隆司准教授の著作『属国と自主のあいだ』である。といっても、このとてつもなく重厚な著作のうち、きまって開くのは、「あとがき」の次の一説である。
「そんなくりかえしのなかで思い当たったのは、日本史の中国・朝鮮に対する一知半解と東洋史の他分野に対する迎合、そして両者のもたれあいである。後者は西洋史・日本史に耳ざわりのよい枠組みと概念をつくれば、それで史実を理解した、できる、と思っているし、前者はよくわからない中国や朝鮮の事情は、東洋史に任せて、その記述と枠組みを援用すれば足る、と思っている、このままではいつまでたっても、両者の格差はうまらない。ひいては真に両者を統合する歴史はできないだろう」(岡本隆司『属国と自主のあいだ』名古屋大学出版会、2004年、484-5頁)
さて、岡本氏のこの痛烈きわまる批判は、果たして中国史・日本史に対してのみ向けられたものだろうか。
この問題を考えている時にふと思い浮かんだのは、これまで、西洋古代史の人間がつい閑却してきた、ある問題である。すなわち、「帝国」という語を用いる事によって生ずる問題である。
吉村忠典氏の「「帝国」という概念について」(『史学雑誌』108編三号、1999年)以来、西洋古代史の研究書のタイトルでも、敢えて「帝国」の語を用いる例が増えているように思う。これは、つい最近まで殆ど無意識のうちに用いられてきた「帝国」という用語を敢えて意識的に用いる事によって、その出発点を扱っている分野である事を意識し直そうという姿勢のあらわれであるように私には思われる。この用語は、殆ど無批判に用いられ続けてきてしまった結果、元祖「帝国」の研究者としての立場から、他の分野の人々に向けて発言せねばならないはずの西洋古代史は、殆ど背景に追いやられてしまっている観があるからである。
さて、ここで岡本氏の発言に立ち戻ってみよう。今、西洋「近世」史の研究者たちが何気なく使用しはじめているかに見える「近世」史という用語は、すぐに一人歩きを始めるだろう。しかし、そうなる前に、きちんとした定義をする必要があるのではないか。日本史や東洋史の研究者たちの耳に聞こえが良い、という理由から受け入れられやすい用語であるだけに、なおさら危険である。
訳語が一人歩きを始めた時、また原点に立ち戻る事が非常に難しい事を、「帝国」という概念をめぐる様々な検討から、我々、西洋古代史の研究者たちは承知しているはずである。そして、果たしてその了解事項が、何処まで他の分野の人にまで伝わっているのか。既に「アーリィ・モダン」を専攻する学部生のあいだで「西洋『近世』史」という用語が一人歩きし始めている状況を、指導教官に出席を命じられている学部生の演習報告を通じて見ている私としては、危惧を覚えざるを得ない。
いやいや、院生レヴェルでも、現状は極めて危ういと言わざるを得ない。私は先日、ある本の書評を書いたのであるが、その書評を読んだ中国近代史の院生に
「帝国って日本語なんですか?」
と訊かれて、半分喜び、半分憮然とした事がある。
一度奔りだした概念の本来の意味を定義し直す事は、かくも難しいものである。
※
この文章は、実は書いたのは一昨年、2006年のことです。
このままお蔵入りのままというのも勿体ない、かといって古すぎてメインで使用している「はてなブログ」に出すのは恥ずかしい、というので、ミクシィにて蔵出ししました。
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