回答無き「自己責任論」の忘却
−マスコミの役割放棄について−


友人、ゴローさんからの問いかけを受けて、作成した返答です。
彼の問いをまとめると、次のように整理できるかと思います。

@


マスコミには、
「香田さんが何故殺されたのか?」
という問いは設定できたが、答えを提示する能力は無かったのではないか? 
A 日本国には未だ「利用価値」があると思うが、その点についてはどう思うか?

それを受けての、私の回答です。


マスコミが何故、自分の問いに対する答えを出せなかったのか、と言う事に関してですが、これに関して考えていたら、少し思い違いをしている事に気が付きました。
彼らの発する「何故」は、質問のマクラではなく、抵抗する力のない哀れな子羊に対する糾弾のマクラに過ぎなかったと言う事です。

これは研究に際してのもっとも根本的な事ですが、一番重要な事は問題の設定の仕方です。つまり、「どういう問いが研究の出発点にあるのか」という事が、研究の出来を8割方決定します。そのためには、関連する研究に嫌というほどに当たって問題点を見つけ出さなければなりませんが、この時に厳に戒められなければならないのは、
「そんな事は当然の事で、分かり切っている事だ」
という態度です。なぜならば、「前提」あるいは「当たり前」などと思っている事こそ、実は疑わしいからです。
「自己責任論」をめぐる報道で私が問題と考える第一の事は、

「危険なイラクに、何故行ったのか?」

という、この問いかけそのものです。
この問いかけの内包する最大の問題は、問いを設定し、回答まで用意した人間の思考回路が日本を一歩も出ていない事でしょう。つまり、
「イラクが危険な事など分かり切っていることであって、そんな事も分からない奴は阿呆だ」
という思考を強固に持つ人間である、という事です。

しかし、この態度は果たして真っ当なのでしょうか?
そして、この姿勢から、有効な「回答」は出て来るのでしょうか?

報道の通り、香田さんはオセアニアからイスラエルに行き、ヨルダンを経由してイラクに入っています。私の見る限り、このルートそのものの持つ問題性、という事を指摘したマスコミはありませんでした。それに対して、私が真っ先に指摘したのが、このルートの持つ問題性でした。
つまり、それらの諸国で、
「イラクが危険である」
という事を痛感させるような国が果たして存在したのか、という事です。
実のところ、これらの諸国が一体どういう国で、そこに滞在するというのはどういう意味を持つ事なのか、という事まで切り込んでいかなければ、到底、まともな回答−というか「仮説」と言った方が良いか−にはたどり着けないだろう、と考えていました。
で。
同時に思ったのは、彼の内心に肉薄しうる関する「識者」は、中東の専門家よりもバックパッカーだろうな、と思いました。
つまり、具体的に挙げれば、『旅行人』関係者、カイロの丸山さん、といった所の人たちです。しかし、これらの人たちのコメントは、殆ど確認する事が出来ませんでした。辛うじて確認できたのは下川さんのコメントでしたが、これにしても、彼自身の著書の中でしか確認はできませんでした。

つまり、
「有効な『何故』を発する事が出来なかった事」
もう少し言えば、
「有効な『何故』を発するための錬磨を怠り、あまつさえ、その怠惰を平然と正当化した事」
であり、そして
「回答を用意するための謙虚さを持てなかった事」
こそが最大の問題、というのが私の結論です。

で。
日本には未だ利用価値はあると思います。
でも、このままで行くと、上に挙げた、『有効な問い』を発するための素養を欠き、その事に何ら疑問を抱かない人間ばかりが幅を効かせるような気がして、そうなるとろくな事にならないような気がしますね。

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