洛北孫子亭個人データ

本名:柴田広志

それ以外のデータについては、少々長くなりますが、だいたい下記の通りです。データ古いけど。


 柴田広志・紹介

 演劇実験場下鴨劇場の初代音響部長である柴田広志は、

「下鴨劇場には初代の音響部長など存在しない。いたのは『音狂』である」

という迷言を残したり、

「夏の到来とともにスキンヘッドにし、冬は髭を伸ばす」

という風体が物語るように、その奇矯な人と為りで、その名を残している。

「入学当初は、静かに目立たない大学四年間を過ごすつもりだったのに…」

そう本人は主張するが、いまだかつて、その世迷い言を信じた人間はいな

い。

愛知県立春日井高校から入学早々に史学科自主ゼミ「史学ゼミ」に入

って白川哲夫氏に師事し、放送研究会(いまは廃部となり、そのクラブボッ

クスは現在、エコプロジェクトが使用)にその籍を置いた彼は、ほどなくその

超変人的な行動と神出鬼没さで、次第に頭角を現す。

すでに’97年4月の時点で音響としての参加を並木香織から打診されて

快諾するなど、下鴨劇場との関わりは、意外にも早い。同年11月、

下鴨劇場旗揚げ公演「バンク・バン・レッスン」に音響オペレーターとして

参加したのち、翌年1月、音響主任として、正式に下鴨劇場の構成員の

一人となる。以来、

「自分の仕事はハードウェアを充実させること」

と公言し、ミキサー・MD・アンプなどの音響機材を私費で購入し、同僚たち

が唖然するのを尻目に、自身の周囲の環境整備に努めた。’99年5月の

新歓公演「ある日、僕らは夢のなかで出会う」のあとは音響チーフの座を

源馬美樹に譲り、自身は他の劇団との接触を積極的に展開するようにな

る。

 京都府立大学屈指の変人として、その知名度は高い。そのためか、下鴨

劇場以外にも、活動の場は多い。先述の史学ゼミでは2年連続で代表を務

め、模型同好会(公称は模型部)の会長代理もまた、2年間にわたって務め

た。また、3回生だった’99年には学生自治会の執行委員の一人に名を連

ねた。

一人旅をこよなく愛し、2回生だった’99年2〜3月には中国一人旅を敢行し、

見聞を広める。また2000年3月現在、

「9ヶ月をかけてユーラシア大陸を横断してやる」

などと宣言、すでに休学届けを提出し、着々と準備をすすめており,彼が無

事に帰国するかどうか、下鴨劇場のメンバーのみならず教員までも噂の種

にしているということである。

 とかく人騒がせな人間だが、その奇天烈な風貌からはうかがえないほど、

性格はいたって温和で温厚。のんびりした人間である。

 

 彼は今、遠い異国の空の下を歩いている。上記の紹介文は新下鴨劇場ホ

ームページのスタート直後に、本人により作成されたものである。

 しかし、管理人が本人から受け取った原稿を紛失したために公開されてい

ませんでした。すみません。最近出てきたので載せることになりました。

 当時、HP作成の為に「自己紹介を書いてくれ。」とメンバーに呼びかけた

のだが、約100%で無視された。その中で一人、原稿を用意してくれたのが

柴田先輩であった。彼の誠実さがあらわれていると思う。


2000年、絲綢之道横断旅行直前に、当時の下鴨劇場HP管理人・ナカノ実験室に依頼されて、書き下ろしたものに、若干加筆修正を加えました。
だから、中野君の説明では「遠い異国の空の下を歩いている」事になっています。
この当時は言わなかったけど、これは半分くらい、不測の事態に備えて書いたものなんだよね。だから長い。
で、下鴨劇場の「メンバー紹介」のところには、当時の写真付きでこの文章が載っています。

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