☆飛ばずにイスタンブール

イスタンブール・アヤソフィア前にて

アジアの東の端、上海に到着したのは2000年3月26日、そしてアジアの西の端イスタンブールに到着したのは、同年8月31日のことだった。そしてイスタンブールから私が日本に発信したメッセージのタイトルが、上記「飛ばずにイスタンブール」である。我ながらロクでもないタイトルである。きっと日本に居た連中は、爆笑したであろう。
到着翌日、背景となっているアヤソフィアの中に入った。観光名所を見まくった挙句に観光疲れ気味だった私も、流石にここに来た時には感動して、思わず落涙しそうになった。私はこの街で情報を収集し整理しながら観光に勤しんだ。そして気が付いたら10日間滞在していた。この2ヵ月後に、エジプトのカイロからここに飛んで帰ってくることになった私は、心中に「飛んでイスタンブール」を熱唱していた。
なお、私が自称としている「洛北孫子亭」の原型である「孫子」の称号を得たのはこのイスタンブールの宿、ガラタホステルである。そのガラタも、2001年3月に閉めてしまったと言う事で、非常に寂しいものである。
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