☆諸王の王への拝謁

ケルマンシャーのターゲ・ボスターンにて

テヘランからハマダーンへ行き、その地でジーパンを購入した後、ミニバスターミナルからミニバスで暫く走っていくと、ササン朝の事実上の滅亡の地、ニハーヴァンドに差し掛かる。日本で読み漁った歴史のテキストを思い出しながら感慨にふけっていると、バスはケルマンシャーの街に到着していた。ハマダーンから3時間の距離で、テヘランからは9時間の距離であろうか。
地図帳が傍にあったら開いてもらいたい。このケルマンシャーは、イラクの国都バグダードから、直線距離にして200km有るか無いかの位置にあり、メソポタミアとイラン高原との結節点といってよいだろう。1980〜88年のイラン・イラク戦争で激戦地になったというのも、当然である。詳しいことは、新潮文庫の『世界紛争地図』(松井茂著)でも見てください(同書では、ケルマンシャーは「バフタラン」と表記)。したがって市街地も新しい。古代史莫迦の私の感慨は、なるほどケルマンシャーやニハーヴァンドを落されたらササン朝に後は無いなあ、というものになるが。
さて、私は別にイラク突入を画策していたわけではない。この地にある、有名なササン朝のレリーフが見たかったのである。ケルマンシャー市街地の北、岩山の山肌に求めるレリーフは在った。往時は、このレリーフに近接して神殿でもあったのだろうか、遺跡の敷地内では発掘された柱の残骸が並べられていた。ちなみにこの遺跡を訪問した後、牛乳を500ccほど一気に飲んだら下痢になった。何事もほどほどが肝要という教訓を得た。

この写真については、もう一つ思い入れがある。10月半ばに、エジプトのカイロから京都府立大学の下鴨劇場に、肉筆の手紙とメッセージをを吹き込んだMD、そしてイスタンブールで現像したこの写真を同封した書簡を、同志社大学のT氏に持っていってもらったのである。それから一年後、サークルの旧友の家に遊びに行ったとき、この写真が鎮座していて、なんだかくすぐったい思いをした。

ケルマンシャーの宿 市外中心・メイダネアザディ近くの名も無き安宿
             ツイン2万リアル
ターゲ・ボスターン遺跡 入場料:学割1万リアル(無いと2万リアル)    
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