☆教皇の外套−シルクロード横断終了宣言

イタリアのローマにて

ユリウス・カエサルがローマを囲む城壁を撤去した300年後、軍人皇帝時代の皇帝の一人、アウレリアヌス帝によって、城壁は再構築された。その時の縄張りのままに現在でも城壁が残っているのは、歴代ローマ教皇が頑張って維持に努めたからだという(by塩野七生『ローマ人の物語』)。とは言っても、せっかく市内随所に見ごたえのある観光地があるのに、わざわざ街外れまで足を運んで写真を撮る物好きは数少ないと思うが、そこはそれ、私は城壁マニアを自認している。こんな写真を持っている人は少ないだろうと確信する、悪趣味な一枚。
勿論、ローマでは教皇の居城バチカンを訪れたのは、言うまでも無い。毎週水曜日には、このバチカンの広場で教皇の一般朝見というのがある。で、「ローマの良心」ヨハネ・パウロ2世の挨拶する姿を見ることが出来た。日本語でも挨拶を仰ったのには驚いた。

この地を以って、私の「シルクロード横断」は達成された。途中、カイロからイスタンブールまで飛行機を使ったものの、西安からローマまでを陸路+海路で走破するという、永年の野望は達成された。そしてここから「シルクロード横断終了」を、高らかに宣言したのである。時に、2000年11月13日、宣言を日本に発信したのは翌日である。

ローマの宿 ペンション・ケンゾー:ドミ3万リラ(多分)
                     100円=2000リラ

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