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6月25日

昨日に修論の構想報告が何とか終わった。
襤褸襤褸なのだが体調が最悪なので、あまり傷が残らなかった。
先生方が熱心に駄目出しをしてくれたので、非常に有難かった。
火曜日夜にパソコンが突如クラッシュした為に気分がどん底になったが、再インストールで何とか復活してくれたのが不幸中の幸い。

一夜明けて本日。
毎年恒例の剃髪の儀でございます。
今年から府大に入って来た人々は、やっぱり一時停止していたねえ。古参の面子は受け流すか喝采を上げるかだったんだけど。

6月21日(i・no・ri)

天よ、願わくは我が杯を、快く、御許に、おさめたまえ。
我が祝いと祈りの杯を・・・

6月20日

晩飯を食べながら、NHKスペシャル「ローマ教皇、動く〜イラク戦争とバチカン外交〜」を見た。あまりにも熱い番組だったので、箸が全然進まなくて困った。

最初に断っておくが、私はキリスト教が大嫌いである。カソリックもプロテスタントもかなり嫌いである。
そんな私が敬意を表する(恐らく)唯一の聖職者が、現教皇ヨハネ・パウロ二世である。共産国家ポーランドに生まれ、激動の世界へ老躯に鞭打って飛び込んで行くその姿には、心底、尊敬を禁じ得ない。

NHKスペシャルは、「文明の道」を見た時に、私の中での評価が著しく下がったのだが、最近はまた、えらく熱い番組が多い。何があったのかは知らんが、見ていて面白いから言う事は無い。

6月18日

友人・中村健が出演する、ワンダリングパーティーの「真珠色の革命時代」を見て来た。今日の会は谷底どっきゅん倶楽部2期生が大勢来ていた。で、後輩G嬢から、昔の写真とか昔貸したレジュメとか返してもらった。でもなあ、今更日本史の報告のレジュメを返してもらってもしょうがないような気もするなあ・・・芝居が終了した後は、皆で疎水の蛍を見て来た。
2月の「てるてる家族」以降、たけちゃんの演技を見るのは久しぶりだなあ。最近、演技がかなり安定しているように思う。

6月17日(体調崩壊)

午後2時半から、西洋史のM2三人で、修論構想報告事前発表会をやった。来週が本番の構想報告会なのだが、ぶっつけ本番ではあまりにも危険過ぎるというので意見が一致して、一週間前に予備報告会をやったのである。
しかし。
誰も前日までレジュメに全く手をつけておらず、ほぼ全員が完徹に近い状態でレジュメを打って来たから、当然にへろへろ。しかも、私とM氏は、2限にあった学部の演習に出席していたから、壊滅といっていい状態だった。今日の報告者はギリシア・アテナイのシュコファンテス(告発者)についての報告をしていたから、出ないわけには行かなかった。でも、彼女、よく勉強している。思わず感心してしまう。
で、肝心な私の予備報告だが、史料を読んでいる間に関心が出てきたところを巧く出し切る事が出来なかったというのが遺憾な点だな。

6月15日(風流・・・なハズが)

史学ゼミでは、久しぶりに、E.H.カー『歴史とは何か』第一章を読んだ。さすがに名著、久しぶりに読んだが、今読んでも新たな発見がある。
其の後、疎水に蛍を見に行ってきた。綺麗ですな。今年は、積年の野望どおり、女性(コードネーム:工場長)と一緒に見てきた。蛍を見ながらした話題は、実に色気も風流さも無い内容だったが。

6月10日

4日ぶりに、銭湯に行ってきた。
この3日ほどは、シャワーは使うものの、どうもサッパリした感じがしない。やはり日本の気候では湯船は不可欠のものだと痛感した。
そんな実感を、柄にも無く詠んでみるとしようか。

銭湯(フロ)通い 傘さし歩く 日本(くに)の梅雨

6月6日(この時期にスーツを着ていたらそりゃあ暑い)

昨日と本日は修羅場であった。特に昨日、午前中は立命館で行われていた西洋古典学会に顔を出し、午後は京都府立大の洛北史学会に参加してきたから、そりゃ大変なのは当たり前か。
昨日については、出るのは片方だけにしよう、と思いはしたが、西洋古典学会の午前中の発表でかなり面白そうなのがあったから出ないわけには行かないし、洛北史学会については、内容そのものは専門外だが、大会の企画委員をやっていたし、PAは全て私が管轄していたから、こちらは出ないと会が壊れる危険性がある、・・・という訳で、身体を酷使して双方に出てきたわけである。
西洋古典学会は初参加だから盛会だったのかどうかは解らなかったが、「人の移動と「境界」認識」をテーマに掲げた洛北史学会は、多分、6回目にして一番盛り上がったんじゃないかな。報告も討論も、かなり面白くて、企画委員としては本懐である。懇親会では毎度の如く、O本先生に深刻な話をされながら酒を注がれ続けたので酒量を易々と越したが・・・それにしても、あれだけ情宣に努めたにも拘らず、学部生の出席は今一歩だった。折角面白い報告・討論だったから、もっと来て欲しかったな。折角スーツなど着て気合を入れて来たのに(半分以上大嘘)、かなり無駄になってしまったではないか・・・

で、一夜明けて今日は、睡眠不足でふらふらな状態で立命館に朝8時半。西洋古典学会のお手伝いに顔を出す。最初は手持ち無沙汰だったが、どんどん仕事が回されて来て、奔走する羽目になった。今日の発表で一番面白かったのは、ギリシアでの船の造り方。居並ぶ高名な先生方の顔が、少年になっていた。
会場設営に当たった立命館の院生の皆さん、お疲れ様でした。

もう学会ハシゴなんてやらんぞ・・・

6月3日(好い加減、頭にきている此処3日間)

嫌だな、この国は・・・
圧倒的多数を占めている「強者」が、「弱者」「被害者」面して歩いているよ。
哀しいな・・・

5月30日

後輩H嬢からもらったメールによると、今年の府立大学史学科合宿研修旅行は、10月に延期されたとの事。おいおい、それでは自動的に私の参加は不可能ではないか。嗚呼、折角、無理を押しての参加を表明していたのに、全ての目論見は木阿弥と化してしまった・・・

今日は二ヶ月ぶりにサッカーをした。府大から市大の院に行ったK原君とか阪大の院に行ったT君などと久しぶりに話をして愉しかった。サッカー自体は途中でバテてしまい、体力の無さを改めて実感しただけであるが。

5月26日(眼鏡考)

洛北史学会の宣伝を、学部生の前でやった。
人前に立って喋るのに素顔のままでは恥ずかしくて仕方が無いので、ダテ眼鏡をかけて行った。そしたら一部でウケた(当然、ウケ狙いではない)。
ついでなので、そのまま一日中、かけたり外したりを繰り返していた。
「インテリヤクザですね」
と大学院の同僚M氏に言われたが、まあ、まだ日本人には見えたという事で良しとするか。それより、かけていると眼が疲れる。まして、今日は編集の仕事をずっとやっていたから余計に負担がかかる・・・

5月25日(最近言われたあんな事こんな事)

「第二の故郷・中国はどうでしたか(もちろん第一の故郷は中東ですよね)」(後輩Y嬢)
「俺が君に会ったのは、君が帰化した直後だったな」(O本先生)
「もう旅には出んのか」(旧友たけちゃん)
「もう旅に行かへんなんてつまらんな」(旧友某嬢)
「もう故郷の中東の格好しないんですか」(院生室で誰かに言われた一言)

つまり日本人には見えませんか。そうですか。

5月24日

2限の授業で、先生(非常勤)に伊藤義教著「古代ペルシア」をわたされ、
「今度まとめて発表してもらいます」
良いんですか、そんな事私がやっちゃって。まあイラン史の授業だから良いんだろうけど。大体「東洋史」なのに大家R.N.フライの著作を読んでいるくらいだし。

5月22日

長岡京コンサートホールで行われた京都府立・府医・工繊三大学交響楽団の演奏会を聴いて来た。まあ、聴くといっても聴きながら寝てたんだけどね・・・最初の曲を聴き始めて5分で眠くなってうつらうつらしたら頭を打ち付けて痛いの何の。その後席を替わってまた聴いていたら今度こそ本当に寝てしまった。演奏を聴きに行ったのか眠りに行ったのかイマイチよく解らない。

5月18日

前日は友人と四条川端某所で11時まで痛飲していたのだが、一夜明けて今日は立命館で同じ友人と一緒に授業を受けてきた。嗚呼眠い。
夕方は、史学ゼミに出席。レジュメはかなり面白い作りをしていたのだが、いささか問題が残る議論の展開となってしまった。年寄り連中の発言を如何にコントロールしていくか、年寄りの一人としては頭のひねりどころだ。私が代表として議長を務めていた頃よりも、議論の手綱を取って行くのがしんどくなっているのは確実だ。

「中華三行」の上海漫遊のところのタイトルを若干いじりました。個人的にはこちらの方が気に入っております。

5月16日

同志社大学で毎月一回行われる西洋古代史の研究会・属州史研究会に初めて顔を出してきた。同志社の院生さん、こちらに出ているから若手研に出て来ないとはよく聞いていたが、こちらの研究会は大盛況である。
それに先立って、京都駅八条口のバイト先に行ってきた。日記帳を忘れてきてしまった。ううむ、こんな莫迦をやるのは初めてだ・・・

5月15日

本日夕刻7時、注文していた本が届いた。これで、今月発注した本は全て手元に届いた事になる。
今月は、本を買い過ぎたなあ・・・一番吃驚したのが、紀伊国屋に注文していたE.WillのHistoire Politique du monde hellenistiqueだな。何しろ注文したのは2月末、届いたのが、なんと5月14日午前9時半。
「発送しました」
というメールを受け取った時に、思わず
「おいおい今更かよ」
と突っ込んでしまった。それにしても、ウィルさん亡くなっていたのね、知らなかった。

京都新聞によると、京都の二条駅前に、有料の公衆トイレがあるらしい。しかし、使用者が余り居なくて閑古鳥が鳴いている状態だという事。
私としては、トイレが無料なのは当たり前とは欠片も考えないが、出来れば日本の公衆トイレは無料であり続けて欲しいと思う。日本の誇るべき良風だと思うのである。

5月10日

ようやく体調が回復の兆しを見せてきた。
しかし外は雨。傘は・・・あるけど。

5月8日

黄金週間の終盤からの体調不良が昨日に最高潮に達し、昨日は晩飯すら食べずに寝て、今日起きたのは10時、実に15時間くらい眠っていた計算になる。少しはマシになったようである。胃腸の不良が身体全体の不調へと悪化している。もともと虚弱にして惰弱な体質の持ち主であるわけだが、ここまで絶不調なのは珍しい。

黄金週間か・・・古本祭りで1万2千円ほど消費したなあ。

4月28日(面倒臭きかな)

先週月曜日以来、学部の西洋史演習の名簿を作っている。
が、これが遅々として進まない・・・
理由は、若干名のメルアドが解らないのと、アドレスを複数持っている人は教えて欲しいといったのに誰も私にメールを送ってくれないから。これは困る。やはり、先週、名簿の草稿を回覧したときに書き込んでもらえば良かったかな・・・それより、何で3人しか返信寄越さないのよ!作る方の身にもなれっつ−の。いっそ
「もう知らん」
といって放り出してしまいたいが、それが出来ない性分だから困る。こんなんで、来月1日の報告の準備は遅々として進まん・・・嗚呼、頭痛い。

4月27日(大雨)

滝のような大雨の中を立命館まで自転車こいでいったら、とてつもなく濡れた。トイレでズボンを絞ってみたら、水が出る出る。カバンの中までぐしょ濡れ。一段落着くまで、大戸先生の貴重な四方山話を聞く姿勢を取る事が出来なかった。

ふと思い出したので一筆。
BBSにも書いたが、バックパッカーというのは基本的にNGOが嫌いである。何故か。
NGOにしてもバックパッカーにしても、現地に対する認識は表層的なものに過ぎない。バックパッカーたちは基本的にその事を熟知している。従って、NGOの活動の大半が、
「独りよがりな善意の押し付け」
に見えて仕方が無いのである。無論、ペシャワール会などの例外はある。だからこそそういった組織は貴重なのだが、もし私がパキスタンにいた当時にペシャワール会の存在を知っていたとして、その活動を素直に賞賛する気持ちになれたかというと、かなり怪しい。それくらい、バックパッカーたちはNGOに対して、見る目が厳しい。だから今回イラクで拉致された人たちに対する見方は、私の旅仲間たちは基本的に厳しい。

4月22日

本日は修士論文の計画報告の後、史学科大学院生の新歓呑み会となった。酒量を越してふらふら・・・最近は呑み過ぎているような気がする。いかんな・・・まあこれで、新入院生諸氏ともある程度は面識が出来たかな。

外電を見ていたら、
「世界はイスラエルに感謝すべき」
とブッシュ大統領が述べたという信じ難い報を目撃した。
それは、どうやっても無理だろ。
アリエル・シャロンは1982年に行われたベイルートでの大虐殺当時のイスラエル国防相である。いかに表面を繕おうと、イスラエルが他国の首都を占拠し、多民族国家であるその国(レバノン)の関係調整役を殺した上でその国で大虐殺を行った時の作戦実行者なのだ(その事実の確実性は、あの南京大虐殺の信憑性とは比較にならない)。その時の行動について些かも悔いる事無く(正当化すらしている)、あまつさえ動乱を煽り立てまくる輩に、どうやって感謝など出来るというのだ?何を考えているのだ一体。やはり中東を研究していると、現在の問題への意識と離れる事は出来んなあ・・・

4月21日

イラク人質事件に関して、ふと書く気になったので。
最初に人質となった3人のイラクへの突入ルート、あれは2002年に日本人バックパッカー達によって開拓されたルートである事を述べたい。当時はイランからの入国が不可能で、ヨルダン・アンマンのツアー会社が出していたツアーで訪問した人が、結構な数に上った。ツアー自体はそれ以前から存在していた。私も2000年に、アンマンのホテルに置いてあった情報ノートでツアーの存在を確認している。5人参加者を集めれば、一人524米ドルでツアーを出すというのがその内容である(その後、2002年夏からあのイラク戦争勃発まで、イラク行きはカイロ・サファリホテル投宿者の間で流行った。これは意外な事態だった)。
すなわち現状では、イラクへの入国ルートはこのアンマン→バグダッドという道しか存在していないのである。待ち伏せして人を拉致しようと企画すれば、進入ルートなど簡単に確定できるのである。その対象が日本人に限らない事は、いうまでも無い。
危険がどーのこーの、自己責任がどーのこーのいう前に、まずはこの事実をしっかり把握した報道と議論をして欲しかった。

4月20日

立命館での授業から帰ってきた後は午睡をして、放課後の史学ゼミと下鴨劇場の新歓公演をはしごして来た。史学ゼミでは私の発言する時間がなくなる寸前であったが、何とか言いたい事だけ言って出て来た。慌てていたから発言の内容も纏まり切っていなかったし、意味通じたかな・・・相変わらず、喋りは苦手だ。ひとつだけ心掛けたのは、いまや府大史学科では絶滅寸前種となってしまった(私が3回生の頃には想像出来なかったな・・・)、西洋史の、それも古代史を専攻している人間であるという立場を踏まえた発言になるように、加えて、旅を心の糧として生きている人間の発言である事を意識するという事。
そして、下鴨劇場の新歓公演は、
「無謀にも」
と後輩たち自身が言っているように、野外公演。気温が下がることを見越して暖かい格好をして行ったのは当たった・・・惜しむらくは、役者が少なかった事と、芝居が綺麗にまとまりすぎていた事。外でやるのだから、もっともっと大暴れしても良かったような気がした。まあ、それは個人の趣味かもしれんが。

4月19日(暑かった、安田講堂)

早朝、東京からの夜行バスで京都に帰ってきた。
国際シンポジウム「古代地中海世界」に出席するため、東京に行ってきたのである。
東京に行くのは3度目だが、東大に入ったのは初めてだ。国際学会というだけあって欧米の、しかも韓国からも研究者がパネリストとして参加していて吃驚した。
ひたすら尻軽に、東京の人たちと少しばかり話をしたのが収穫かな。
残念だったのは、大戸先生や田中穂積先生など、関西からの研究者の参加が手薄だった事。金曜日からだったし、本務校の事務や指導が多忙である方が多いだろうから仕方が無いだろう。だが、考える事は東京の人たちも同様だったらしく、これらの先生たちの不在を残念がる人たちが多かった。その一方で、関西在住の大学院生たちにすれば、東京に二泊もしてしまうと5月に仙台でやる西洋史学会への出席が事実上不可能になるという側面もあったため、参加を直前まで躊躇する人が多かった(私も迷った)。
心が只管に1年前の所沢を思い出してしまうのはどう仕様も無かったが。

東京に行く前日、イラクで人質になっていた日本人3名が解放され、さらに残る2人も別に解放されたという報を聞いた。まずは安心した。もともとイラク人が日本人に対して敵意が殆ど無い事は、私も朧気には知っているが、最近はその感情も変化しているとの報も聞いていたし、かなり心配であった。
国内は彼らの「自己責任」を問う声で充満しているらしい。しかし私は、それに隠されて見えてこない日本のマスコミの好い加減さをこそ非難したい。もう、被害者の家族をブラウン管の前に引っ張り出して来るのは、少しは自重してはどうか。あれは本人たちが疲れるだろう。

最後に蛇足。
東京で会った友人に、「中華三行」を「中華三昧」と間違えられてしまった。そのタイトル良いかもしれない。

4月15日

今夜より東京遠征である。行きたくないっていうか泊まりたくないな・・・
まあ学会だからしょうがないが。
ああ、昨年のサファリホテル同窓会以来の東京か。

4月14日

只今、下鴨劇場の部内秘の宝物
「下鴨ベッドタイムストーリーズ」
またの名
「家宝」
をCD-Rに録音中。嗚呼、懐かしい。なんだか妙に幸せ。これを録った頃の私は何しろ20歳。今の様に、旅にハマって抜け出せなくなる前の話である。後輩そーた君、CDレコーダー貸してくれて有難う。

昨日、史学ゼミに新入生を迎えての第一回ミーティング。出てくれたうちの一人がロシア語をやりたいというのを聞いて小躍り。いけいけ、ロシア語万歳。
さて、何人残ってくれるかな・・・

4月12日(4月の莫迦は5月も莫迦)

バイトの早朝勤務が終わり、PCをいじった後一眠りして大学の院生室に行って、珍しく勉強に集中し(時々眠気が襲ってくるが・・・)、M2の女子たちが春の古本祭りのパンフを見ながら騒いでるのを聞いて、思わず目から鼻血が出そうになった。
古本祭りは5月1日からではないか!
「5月1日に研究会報告という事で宜しく」
と言ってしまった。京都在住の院生各位から文句の嵐を被りそうだ・・・いやそれよりも私はどうするんだ。今年の春の古本祭は、午前中から歩き回る予定だったのに・・・

バイトの時は、小島剛一著『トルコのもう一つの顔』を貪り読んだ。恐ろしく面白い本だった。平凡なのは、タイトルだけである。私が愛するトルコの裏の顔を冷徹に、しかし愛情込めて抉り出した名著である。眠気も完全に忘れさせる一冊であった。

4月9日

昨日分の報告を書いた後に、またパソコンがクラッシュした。
なぜリアルプレーヤーをインストールしたくらいで動かなくなるのだME?訳が解らんぞ。
復旧作業に追われる。再インストールしたらIE6がスムーズにインストールできたというのが唯一の救いだな。

まあそれはさて措き。
髭を剃ったら反応は種ヶ雑多、見ているだけで面白い。
誰も聞かないのが
「失恋したんですか?」
・・・当たり前か。

4月8日

本日、入学式&大学院のガイダンスがあったので、久しぶりに大学院生集合である。
もっとも、私はそれよりも別件の仕事で走り回って息があがったけれども。
それが一段落してから、髪を切るついでに髭を剃ってきた。半年振りに顎の皮膚と対面するが、めちゃ涼しい。冗談抜きで10歳くらい若返ったように見える。鏡を見ても、
「誰だこいつ」
と戸惑いを禁じえない。

イラクで日本人が拘束されたという事である。
とりあえず言えるのは、あの人達は命を賭して行っているであろうという事。それゆえに今回のような事態は端から覚悟していたであろうが、問題は、拘束する側は一体何を考えているのかという事。あのような形で日本に撤退をせまったとて、面子の問題があるから要求を呑むとは考えられない。その事を、拘束した側は認識しているのか。

4月7日

健康診断があった。診断そっちのけで、スタッフたちと私の髭について歓談する。皆さん、仕事そっちのけで興味津々といった顔で私の髭に見入るんだよね。視力が1.5をキープし、ほっとひと息ひと安心である。

4月6日

桜が美しい。
そんな事とは関係なく、今日は立命館の授業に出席してきた。北山から立命まで25分で走破したら、ものすごく暑くなってしまった。

4月3日(4月の莫迦)

エイプリルフールの日に、3つめの本棚を買った。
購入場所は川端今出川のニックホビーショップだったが、そこから数kgある、170cmもある組み立て前の棚を担いで下宿まで歩いて帰ったのである。バス代を浮かそうと考えたからではなく、こんなものを持ってバスに乗ったら他の乗客の迷惑になると考えたのだ。しかしよく考えたら、あんなでかいモノを担いで歩いたら、それこそ通行客の迷惑である。一体何を考えていたのだ・・・まさしく「四月の莫迦」であろう。
これを組み立てて部屋に配置するのにもとてつもない時間がかかり、昨日の史学ゼミミーティングでは遅刻しカップラーメンを啜りながらミーティングに加わる有様。その混乱も、ようやく一段楽した格好である。この本棚、いつパンクするかな・・・

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