ロシア報告

(2001年の)7月29日から8月26日まで、ロシアに行って来た。今回は、これまでとは異なり、語学研修というスタイルでの訪問である。これで滞在した国の数は、21になった。
 滞在中からすでに何度も、掲示板を用いて「現状報告」は行ってきたが、まあ、これから書くのは正規報告書である。また追加修正するかもしれない。

 私が滞在したのは、ロシア極東、沿海州(プリモールスキー)の中心地であるウラジオストックにある、極東国立大学の学寮である。私はこの寮の344号室に居住していた。窓からは疾走するロシアの鉄道が見える、実によい部屋だった。
 語学研修は、結構しんどかった。まず、昨年の「シルクロード横断」の間に、ロシア語の学習がすっかりお留守で、ほとんどの事を忘れていたのだ。それなのに、授業はすべてロシア語である。かくして、日々、予習復習に追われる有様だった。夜ともなれば、ルームメートと共に自炊をし、酒を飲み、ウオッカの品定めを夜毎にしながら語っていた。
 ウラジオストックといえば、旧ソ連の極東艦隊の軍港として有名だ。そのため、この街が対外開放されたのは、ソ連が崩壊した1992年のこと。いまだにロシア連邦の極東艦隊が駐屯しているらしいが、どこに停泊しているのやら。艦隊本体がどこにいるのかわからない一方で、一般の港にも軍艦(駆逐艦?)が停泊していた。ちなみにこの街、坂また坂の連続で、歩くのがしんどい。道路を走る車は、8割が日本車だという。私が見た限りでは、どう見ても日本車の割合は9割に達している。残り1割強は韓国車である。・・・という割には、空気が汚い。
 市内には市場(ルィノックという)も何ヶ所かあって、様々な店が軒を連ねていた。ロシアの市場は、キオスクと呼ばれる箱みたいな小店舗がズラリと並んでいる、という形のものが多い、で、ここには中国人や韓国人がよく店を出していた。中国製品や韓国製品もまた、非常に多く並んでいる。まるでハンガリーのブダペストみたいだ。
 食料品などばかりでなく、カセットやCDなどを商う店もいくつもあった。それにしても、ロシアのカセット等のジャケットには、女性のヌードがやたらに使用されている。日本アニメの『プラスチックリトル』のイラストが使用されているものを見たときには、笑いを通り越して感心してしまった(この話、解る奴にしか解らんだろうな・・・)。
 ついでながら、ウラジオストックとは、アルファベットで書くと(キリル文字は省略)VLADIVOSTOK、「東方を支配せよ」という意味なのだそうである。

 そんな中ではあったが、8月10〜12日にかけて、ハバロフスクを訪問した。しかし、この訪問は本当に難産だった。まず、列車が出る駅が変わってしまったのである。ウラジオストック駅発の切符を買うには買ったが、出発数日前に台風の直撃を受けて線路の一部が破壊され、発車駅が変更されてしまったのだ(この事実が判明した時点で私は、ハバロフスクに行くのはやめようか、と、なかば真剣に考えた。3人の同行者がいなければ、遠慮なく中止にしていただろう。こう思った理由には、いいだしっぺが私でなかったということと、パーティー全員と親しかったわけではないことが上げられる)。変更された駅には、バスで行かなければならない。そのため、ウラジオストック出発の10日の授業は、休むハメになった。
 ハバロフスクからの帰りも難航した。先述の台風のため、極東方面に向かうロシアの鉄道の運行が、ぐちゃぐちゃになってしまったのだ。結果、ハバロフスク出発は11日午後9時のはずが12日午前8時に、ウラジオストック到着は12日午前11時のはずが、同日午後10時になっていた。現地に協力してくれる人がいなかったら、どうなっていたことか・・・
 という具合に、ウラジオストックとハバロフスクの間は、かなり離れている。距離にして767キロ、列車で14時間かかる。当然、通常は夜行列車です。で、黒龍江河畔の街ハバロフスクは、ウラジオストックに比べれば、ずっと平坦な街である。街並みも、ハバロフスクの方が上品に見える。相変わらず日本車が多いが。見所といっても、博物館と黒龍江くらいしかない。
 

 さて、上のほうで「夜毎に部屋で酒の品定めをした」と書いた。なぜ、そのような状態になったのかについて、少し述べたい。
 通常の海外旅行のときならば、私はそれほど自炊をしない。EU諸国くらいに経済力があって物価の高いところならば話は別だが、それ以外の国では、殆ど自炊などしないのだ。実際、同じヨーロッパでも、旧東欧諸国を歴訪した際には、ほぼ毎日、外食していた。アジアよりは高いが、それでも日本に比べれば、ぐっと安く食事や酒が楽しめるからだ。それがロシアでは、毎日夜食を自炊していた。それは、この国では、手ごろな値段で飯が食べられる食堂が存在しない、ためである。物価は日本よりも安いのに、食堂で食べる飯の値段は、日本とさして変わりが無いのである。
 ロシア人に、食事に呼ばれる機会が2回ほどあったのだが、いずれもホストのクバルチーラ(集合住宅のフラット。ロシアの都市部では一戸建ての家など見たことが無い。旧東欧は、どこもそうだが)でのホームパーティーだった。ダーチャと呼ばれる郊外別荘で作った野菜などで手料理を作ってもてなすのが、ロシア流ということである。レストランで食べると高い、と言っていた。
 外食文化が成立していない、といっても良いのではないかと思う。その意味では、私がこれまでに培った海外旅行の経験が、まったく生きない国だった。
 かくして専ら自炊に努めていたのだが、おかげで1ヶ月間の滞在期間で210$しか使わなかった。授業料とか寮の代金とかは事前に払っていたから、宿泊費がかからなかったのは当然だが、毎日ワインやウォッカやビールを飲んでいて(ひどいときには昼から飲んでました)この滞在費である。金銭を使わなかったものだなあ、と、慨嘆してしまう。ま、ひとつには、高級そうな店に入ったら椅子を蹴飛ばしてしまいたくなるという、私の性格が大きく影響していることでしょう。
 もっとも、これで外食ばかりしていたら、とたんに懐がもたなくなっていただろう。かなり、ぎりぎりな話である。

 今にして言えること、いや、ロシア滞在中から思っていたことがある。
「1ヶ月じゃ足りねえよ!」
まったく、せめて2ヶ月はほしいと思った。それだけあれば、もっとロシア語の基礎固めが出来たであろうに。このままでは、もう一度、ロシアに行かねば収まりがつかない。
 つまり、また行きたいだけなんだろうって?そうかもしれない。

以上、雑ながら「ロシア報告」です。

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