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1月10日

「旅に出よう。遠くへ、遥か遠くへ・・・」
そういう夢を抱いたのはいつ頃からだろうか。少なくとも、中学生の時には公言していたように思う。それが、「シルクロード横断」という明確な形を示したのも、それほど遠いときではない。

大学に入学当初に考えていたのは、
「出来るだけ目立つのは避け、おとなしい学生生活を送ろう」
・・・早々に潰え去ってしまった学生生活プランだが、入学したときは大真面目にそう考えていた。あまり目立っては、人付き合いが多すぎては、いずれ、「シルクロード横断」に行くときに、しんどくなると思っていたのだ。
本当は人恋しい性質だ、ということが、無意識のうちに解っていたのだと思う。
だからこそ。
9ヵ月半の旅行から帰ってきて、朋友たちの懐かしい顔に再会したとき、思わず落涙したくなるほど、心の奥底からの歓喜を覚えた。

それから10ヵ月後、痛感したのは、もはや私の世代の仕事は(府大では)終わったのだ、ということだ。
「未だ老け込む年からは程遠い」筈だが、かつて苦楽を共にした人々が居無い、という寂寥感に耐えることが不可能になっていた。
卒論に猛然と取り組み始めたのは、そういう理由だった。

1月10日。一年前のこの日は、この日は、
私が帰国を正式に下鴨劇場の人々に報告した日にあたる。
我が師匠に、帰国を報告した日である。
そしてまた、同期の人々が一斉に卒論を出した日にあたる。

そして今日、私もまた、一年遅れで卒論を提出した。

1月6日

ユーラシア横断を終了させてから、今日で一年になる。
ハンガリー・ブダペストで徹夜をして飛行機に乗り込んで、ブダのフェリヘジ空港殻スイスのチューリヒまで飛んで、そこから11時間をかけて日本の関西空港に降り立ったわけである。
いまや、私が使用したスイス航空は倒産してしまった。そして日本に帰国してから関空で初めて手にした新五百円玉も、いまや当たり前で手にする。そして西ヨーロッパの殆どの通貨が、いまや自国の通貨を解消してユーロに変更した。手元に有るドイツマルクやオランダギルダーを見ると、感慨深いものがある。しかし、一年前のあの時は、自分が卒論を書くとは、夢想だにしなかったなあ・・・それにしても、何とか卒論が完成しそうなのが意外である。


そしてまた、何時の日か・・・
また、旅で眠りたい。

12月1日
今更という感じはするが、「千と千尋の神隠し」を観てきた。
今日はなにやら「映画の日」ということで、入場料は千円というラッキーである。映画館なんぞに入るのは昨年7月のインドのバラナシ以来である。
映画館で見る映画っていいですね。あの音の立体感がなんともいえずいい気分。そして見終わったらひそやかな泣き声が。ああなるほどいい作品だ、と思った。ちなみにこの時期になっても満員なのは恐怖だった。

11月27日
昨日、院生の授業の忘年会で泥酔した。うーん、最近、以前よりも飲み方が激しくなっているなあ。

卒業公演が終わった。今回の公演で一番しんどかったのは、「何事も思うに任せない」という状態に陥ってしまったこと。途中で「音響を降りよう」と思ったのは今回が初めてではないが、それにしても、音響が実質4人という状態は、下劇始まって以来であるが、この部署は、照明と違って「人数が多いほど助かる」というパートではないのである。
加えて、一緒に仕事をしている子達の世代が違っていた。
『老いたな』
そう思った次の瞬間に、物凄い恐怖感と寂寥感に襲われた。卒論を書いてさっさと卒業しよう、そう思ってしまった。
ついでながら、その感慨と昨夜の泥酔との間に因果関係は無い。

11月14日
ローマのペンション・ケンゾーから、『シルクロード横断終了宣言』を出してから、今日で一年が経過した。もう、同期の殆どが居ないんだよなあ。
今現在は卒業公演で頭が回らない。今月8日には、卒論の中間発表をやってしまった。これで、今年卒業しようと思えば卒業できるわけだ。
そうそう、シルクロード横断終了に合わせて下鴨劇場に送った写真、こないだ同期の某氏宅を訪問したら、彼の家の壁に鎮座していて面食らった。まあ嬉しかったんだけどね。あの時写真と一緒に送ったテープが聞いてみたい。ふと、そんなことを思ったり。

10月24日
高野山に行って来た。府大の同期の所で、心の洗濯をするためである。
しかし、高野山は遠かった。まさか片道二千円するとは思わなかった。そして高野山では、ひたすら雑談と酒とドライブしかしていない。観光魔の私が一つも塔中を見ていないというのは妙なものだ。まあ、たまには良いか。
気が付けばサントリーのヴォツカが転がっていた。酒が強くなったのだろうか。

10月8日
実家の秋祭りで太鼓を叩いてきた。昨年は出席していないから、2年振りという事になる。
ブランクは大きく、今年は例年よりも、仕切り役としての働きが十二分には出来なかった。
それにしても、もう15年目には入る、祭囃子であるが、もう構成員の殆どは平成生まれである。したがって、小生のことを『おじちゃん』なぞといいくさる。嗚呼モノ哀しい。

9月26日
先日のニューヨークの爆弾テロ騒ぎ以来、イスラム過激派の関与については声を大にして否定してきたわけだが、声を大にしすぎたらしく、最近は声が嗄れてきた。嗄れてきたのは声だけではない。テレビを見ては日本の対応の拙劣さに激し、テレビ局の報道の底の浅さに激しという訳で、最近は体全体が疲労してきた。そんなわけで、例のテロについては少しばかり意見を制御することにした。
昨日は、友人のT氏とそーちょー氏とともに四条某所で酒をしたたかに飲んだ。気が付けば3時だった。マスターには申し訳ないことをしたなあ・・・
それよりもショックなのは、星野仙一の勇退だ。仰木といい星野といい、今年はプロ野球界から名将の引退が相次ぐなあ

9月6日

7月29日から8月26日まで、ロシアに行って来た。今回は、これまでとは異なり、語学研修というスタイルでの訪問である。これで滞在した国の数は、21になった。
 滞在中からすでに何度も、掲示板を用いて「現状報告」は行ってきたが、まあ、正規の報告書については、「旅の徒然」内の、「ロシア報告」をお読みいただきたい。


 今にして言えること、いや、ロシア滞在中から思っていたことがある。
「1ヶ月じゃ足りねえよ!」
まったく、せめて2ヶ月はほしいと思った。それだけあれば、もっとロシア語の基礎固めが出来たであろうに。このままでは、もう一度、ロシアに行かねば収まりがつかない。
 つまり、また行きたいだけなんだろうって?そうかもしれない。

 海外に行くのは、もうしばらく無いだろうなあ・・・

7月15日
友人某氏の下宿にて、また写真集の作成のため、押しかける。
最近は、すこぶる暑くなってきた.最も、昨年のこの時期に滞在していたパキスタンに比べれば、たいした事は無い.昨年、この時期に、アフガニスタン人少年と交わした会話から、抜粋してみよう。
「あんた、今日はまだましだよ。43度だからね。昨日は、45度だったからね」
だから去年は夏バテしたんだ。まあ今年はしないでしょう。何しろエアコンをいっぱい浴びることが出来るし。
取り敢えず現在の問題。ウェーブから出ている144分の1レッドミラージュを買うかどうか。若しくは、トイズプレスから出ている『ナイトフラグス』を買うかどうか。って、半月後には、ロシアに行くのに、何やっているんだか・・・
ちなみに今日は、後輩が来週末にやる芝居の仕込みの手伝いに行ってきました。

7月某日
思いつきで、ホームページを作ることになってしまった。いや、実は、作ったのは後輩のO氏であって、私は横で見ていただけなのだが。
これからどうやってこのページを充実させていくか、正直、何も考えていないといってよい。まあ、写真はごっそり載せるけど。それくらい。

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